縄文の里・朝日 奥三面歴史交流館とは
縄文の里・朝日 奥三面歴史交流館は、平成17年7月31日より開館した考古資料・民俗資料の展示施設です。主に、奥三面遺跡群より出土した考古資料と三面集落の民俗資料を展示しています。また、まが玉づくりといった縄文体験が常時おこなわれており、笹団子づくり、布ぞうりづくりなどの各種イベントが定期的にあります。土・日曜にお食事処やまびこで、地元産の手打ちそば、古代米おにぎりなどが味わえます。
開館の経緯
村上市には、いくつか大きな河川があります。その中でも、三面川は特に大きな河川です。1967(昭和42)年におこった羽越水害を契機に、治水の観点から三面川上流に県営ダムの建設を行うこととなりました。ダム建設地より上流にある三面集落が水没することから集団移転することとなりました。
その際、三面集落周辺に19の遺跡があることが分かり、1988年より1998年まで11年にわたる発掘調査が行われました。ダム水没範囲であることから当時あまり行われなかった遺跡の全面発掘をしました。これにより発掘成果は全国的に注目されました。また、三面集落自体が民俗学的資料価値の高い集落であり、貴重な民俗資料を所有していました。
これらの考古資料と民俗資料を展示・活用できる施設を、三面集落の住民のみならず、県内外の多くの人々から切望されました。このような経緯から奥三面の歴史を展示できる施設として、縄文の里・朝日 奥三面歴史交流館が開設されました。
奥三面とは
奥三面とは、三面集落の通称です。奥まったところにあるために“奥”三面と呼ばれました。三面集落は、古き良き日本の原風景を残した山あいの集落でした。「山に生かされた」と言われるように、山菜やキノコ、クマ、カモシカ、イワナ、マスなど自然からの恩恵を生活の中心にすえた生き方を三面集落の人々はしていました。
奥三面遺跡群とは
奥三面ダム水没範囲内で確認された19遺跡の総称を奥三面遺跡群と呼びます。後期旧石器時代から現代まで人が生活していた痕跡があります。その中でも縄文時代遺跡が多く発見されました。
後期旧石器時代(約30,000年前~)の樽口遺跡、縄文時代草創期(約15,000年前~)のガラハギ遺跡、縄文時代早期(約12,000年前~)の黒渕遺跡、弥三郎遺跡、縄文時代前期(約7,000年前~)の本道平遺跡、ミヤソリ遺跡、坂巻遺跡、縄文時代中期(約5,000年前~)の前田遺跡、下クボ遺跡、下ゾリ遺跡、沼ノ沢遺跡、脇ノ沢遺跡、長通り遺跡、上向い遺跡、縄文時代後期(約4000年前~)のアチヤ平遺跡、落合向い遺跡、竪岩遺跡、縄文時代晩期(約3,000年前~2,300年前)の元屋敷遺跡、弥生時代中期(約2,000年前)の二又遺跡があります。
水没するため、各遺跡が全面発掘され、遺跡ごとの全貌が明らかになりました。遺跡規模や継続期間、遺構、遺物も大量に見つかりました。そのため、これまでにないほどの縄文時代の情報がわかりました。
これからのこと
縄文の里・朝日では、noteを通じて、奥三面で生きた人々のことを発信していきます。奥三面地域には、旧石器時代から人が生きた痕跡を残しています。その時々での生き方を皆さんにお伝えできればと考えています。
阪神淡路大震災、東日本大震災、各地の豪雨、ウイルスの脅威など、これまでの生活を一変させられるような出来事やIoT、クラウド、5G、ブロックチェーンなどの技術革新の真っただ中に立つ我々は、待ったなしで新しい生き方に変えていかざるを得ない状況にあります。
明日のことは教えられませんが、これまで村上市の山あいの中でたくましく生き続けた人々の生き方は皆さんに伝えられます。今後、発信する情報が、皆さんの生き方の一助になれれば、幸甚に存じます。
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