見出し画像

【ショートショート】40円のドリップコーヒー

standfMシアター主催の創作物語コンテスト2022にて佳作に選ばれた作品です。

 最近、社長はよくドリップコーヒーの話をする。先週は二回した。火曜日の昼、会計士のM先生と食事をしている時と、木曜日の午後、H大学のT教授と車で移動している時だ。
「ドリップコーヒーってあるでしょう。粉の入った袋をカップの上に乗せて、お湯を注いで淹れるやつです。あれ、バカにしたものじゃないですよ。ちゃんとコーヒーの味がする」
 社長がドリップコーヒーの話をするのは、仕事の話が一通り終わった時だ。社長は資料をカバンにしまうと、ふと思い出したようにドリップコーヒーの話を始める。
「ドリップコーヒーを飲むようになったのは最近です。前はちゃんと自分で豆を挽いていたんですよ。
 でも、やめたんです。私はね、コーヒーは心の安らぎを得るためのものだと思っているんです。だけど、凝り始めるとそうもいかなくなる。粗挽きにするか細挽きにするか、どのフィルターを使うかと、いろいろ考えるようになる。その都度、手入れもしなくちゃならない。初めはそれも楽しかったんですが、だんだん面倒になってきましてね。これじゃあ、心の安らぎもあったものではない。それで、ドリップコーヒーにしたんです。あれなら手軽でいいと思って」
 M先生は深くうなづいて、「よくわかります」と賛意を示した。M先生もカメラだとか釣り道具だとか、道具に凝る人なので、社長の気持ちがわかったのだろう。
 T教授は顎を少し上げて目を細めた。この先生は、何かに興味を持った時、こういう顔をする。社長の話に興味を持ったのだ。

「これは君にあげよう。使わないならメルカリに出しなさい。さっき調べたら、そこそこの値がついていた」
 社長がそう言って、手挽きのコーヒーミル、陶磁器や金属のドリッパー、さまざまな形のコーヒーサーバーが入った箱を私の机の上に置いたのは先月の初めだった。
「社長、コーヒー、やめるんですか?」
「いや、私はカフェイン中毒だから、やめることはできない。淹れ方を変えるだけだ。いろいろ試してみるよ。インスタントコーヒーも美味しくなったというからね」
 それから社長はいろんなコーヒーを買って来るようになった。初めはインスタントコーヒーを試し、そのうち、ドリップコーヒーに落ち着いた。
 そして、二週間くらい前から、会う人、会う人にドリップコーヒーの話をするようになった。社長は話したいことがあると、我慢のできない性格なのだ。
 話の内容はいつも同じ。誰が相手でも変わらない。
「ドリップコーヒーにもいろいろありますが、買うなら一杯40円台のがいいです。スーパーに行けば一杯20円台のも売っています。18杯で398円とかね。でも、あれはやめたほうがいい。40円台のと比べると味も香りもかなり落ちる。
 50円以上するのもありますが、あれもおすすめできません。豆の品質は40円台のと変わりませんから。パッケージとかフィルターに金をかけているだけです。
 100円以上するのもありますが、味は変わらず、豆の量が多いだけでした。40円台のは7から8グラムですが、100円以上のやつには15グラムも入っている。
 15グラムと7グラム、どっちがいいか。
 15グラムなら大きめのマグカップにたっぷり淹れられます。しかし、美味しいと感じるのは初めだけ。だんだん冷めて不味くなるので、結局、飲み残す。
 その点、7グラムの方は美味しいうちに飲み切れる。
 豆の品質は同じ。豆の量は7グラムで十分。だから、ドリップコーヒーは40円台のがいい。これが私の結論です」
 初めてこの話を聞いた時、私は感動のようなものを覚えた。社長はそんなことを考えながらコーヒーを飲んでいたのか、これが経営者というものなのかと。
 H大学のT教授もこの話に何かを感じたようで、二、三度、大きく頷くとこう言った。
「実に興味深い話です。コーヒー豆の品質は値段に比例する。ところが、商品としてのドリップコーヒーの価値は必ずしも値段に比例しない。商品の価値を考える上で、これはいい題材になります。他にどんな事例があるか、学生と調べてみますよ」
 会計士のM先生もこの話に感銘を受けたようで、「それだ!」と膝を叩いてこう言った。
「社長、それは真理です。安いもの、高いものは目立つ。人は目立つものに惹かれる。しかし、本当にいいもの、本当に価値のあるものはそこにはない。これは人生全般に言えることです。人ははっきりしたものを求めがちだが、本当の答えはそこにはない。正解は常に真ん中にある。しかし、真ん中はなかなか目に入らない。あー、もどかしい。答えは目の前にあるのに気がつかない。しかし、これが人生と言うものなんでしょうね」

 月曜日の朝、私の机の上にドリップコーヒーの入った箱が置いてあった。
「社長、これ、社長のコーヒーですよね」
「君にあげるよ」
「どうしたんですか?」
「私がコーヒーの話をすると、みんないろんなことを言うだろう。T教授は経済学を語ったし、M先生は人生の真理を語った。そういえば、君も経営者の姿を見たとか言っていたね」
「社長の話には深いものを感じるんですよ。それで、みなさん、いろいろ話したくなるんだと思いますよ」
「そうか。しかし、私にとってコーヒーは心の安らぎを得るためのものなんだ。難しいことを頭から追い払い、ほっと一息つきたいときにコーヒーを飲む。ところが、みんながいろいろ言うから、私もいろいろ考えるようになってしまい、のんびりコーヒーが飲めなくなったんだよ」

#私の作品紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?