ミルクセーキの思い出
「電動ミキサー」は国内ではナショナル(現パナソニック)が1952年に初めて発売したそうです。
発売するや国内で、流行り瞬く間に家庭に浸透していったとか、、、
御多分に洩れず、我が家も祖母が購入していました。
祖母はおやつを手作りする人で、その為「ミキサー」も必要だったと思われます。
3歳の時、郊外の新興住宅地に引っ越しをして、記憶がある頃には、電化製品が一通りは揃っていました。『三種の神器』と呼ばれるものです。
両親が共働きだった事もあるでしょうが、生まれた1962年(昭和37年)には、テレビももうありましたから、1964年の「東京オリンピック」は我が家のテレビで見られたようです。
(記憶にありません)
もしかしたら、テレビ購入は、上皇様のご成婚(1959年)の際だったかもしれませんし、両親の結婚の際だったかもしれません。
また、洗濯機もありました。
洗濯槽の横にローラーが付いた洗濯機で、そのローラーで、押し花を作ろうとした記憶があります。
その頃はまだ、お風呂場の横に備え付けて、洗濯するたびに、ホースをお風呂場に下さないといけませんでした。
冷蔵庫も記憶がある時にはもうありました。
古くて、氷を入れて冷やす小さな冷蔵庫もありましたが、物置にあり、子供の頃には乾物入れになっていました。
冷蔵庫は、1ドアの小さな冷蔵庫でした。
たまにコンセントを抜いて、冷凍部分の「霜」を取らないといけないものでしたが「氷」はちゃんとできていました。
夏になると、祖母はその氷をミキサーで砕いて、冷たいジュースを作ってくれるのでした。
その中でも肝入りだったのが、
「ミルクセーキ」でした。
ミキサーに、卵黄、砂糖、牛乳、氷を入れてスイッチを入れると、
ガガガガガッ
っと氷を砕いてサラサラだった液体が、ドロっとしてきて、長くて深めのグラスに注いでくれた「ミルクセーキ」は、特別なおやつでもありました。
祖母の「ミルクセーキ」を大きくなり、飲まなくなっていた頃、長崎に旅行した時懐かしさに
長崎名物の「ミルクセーキ」を飲んだことがありました。
とても美味しかったのですが、祖母のあの「ミルクセーキ」とはちょっと違っていました。
何度か家でも作ってみましたが、不思議なことに、祖母の「ミルクセーキ」は、できないのです。
何も特別な物が入ってないと思っていたのですが、何か秘密のエッセンスが入っていたのでしょうか⁉️
ところが、最近、OHAYOの「昔なつかし アイスクリン」を初めて食べました。
思わず祖母の「ミルクセーキ」を思い出したのでした。
一番近い味だとビックリしました。
それで懐かしい頃の思い出も蘇った訳です。
このアイスの原材料を見ながらまた、チャレンジしてみたいと思うのでした。
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