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あれはコロナだったのか⁉️

中国で、“コロナ”の話が出て来たのは2019年の年末だったと覚えています。
2020年の3月、まだ、日本は「コロナ」に対してのんびりしていた頃、私は、用があって、天神に行っていました。
思えば、地下鉄の車両の中、とてもうるさい中国人団体がいました。
でも、それも良くある風景。
多分それだと思うのですが、それから1週間もせずに、滅多にない、発熱が起きてこんな季節に『インフルエンザ❓』と、『もしかして、“コロナ”というものか⁉️』とも思い、家族とは離れて、寝ていました。

体温計も買いました

私、“インフルエンザ”に滅多に罹らない人なんです。
高熱を出すこともあまりなく、その前は、娘が赤ん坊の時、「乳腺炎」で、38.5度まで上がったことがあったのですが、それ以来でした。

病院に行くもまだ「コロナ対策」なんてありませんでした。ですから、
“インフルエンザ”と同じように行きつけの病院にマスクをして行って、看護師さんに、別室での待機を申し込んで診察を受けました。
別室に先生も来てもらい“インフルエンザ”の検査をして、待っていると、
「インフルエンザではない様です」の答えで、
まずは、38.0度の熱を下げた方が良いとのことで、点滴を受けました。
もう、頭の中では、『コロナだーーー‼️』
でしたけど、先生に中国人に会った事を話すも、検査するものもその頃はまだ無く、接触も電車内かも、、では“コロナ”と断定出来ないと言われました。
幸い、次の日には熱も下がり、用心の為、一週間は、誰とも合わない様にして過ごしました。
その間、鼻が効かず、味覚がわからなくなりました。
味覚は2週間程で戻ったので、助かりましたけど。
娘にも移らず、『なんだかわからない病気』は終わりました。

その後、サッカーの選手が、味覚が無くなるとのコメントをしていたのを聞いて、
『ドキッ❗️』とは、しましたけど、自分の中だけ『コロナだったんだ』になりました。
幸い、病院の方も誰もまだ、“コロナ”になった人が出ていなかったので、ホッとしました。

その後、予防接種が始まり、打ったのですが、『コロナだった』時より、具合が悪くなり、寝込んでしまい、長い間悪い状態が続きました。
それで、結局、一回打っただけで、辞めました。

まさか、“コロナ”があんなに長く流行るなんて、思ってもみませんでした。
なんなら、まだいます❗️
何度でもかかると言われている“コロナ”ですが、とりあえず今の所は大丈夫そうです。
果たして、あの時かかったのは
“コロナ”だったのかあの当時

誰にも言えない秘密でした。

コロナが流行り出した頃
マスクを沢山作ってみんなに配っていました
その残りです。





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