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『未成人間』



『未成人間』



目の前を大型トラックが地響きを立てて通り過ぎていく。私の顔は藁半紙をはりつけたように無表情である。もう死のうかな。そんな憂鬱な思いが胸を去来していた。
大学を卒業してもまともな仕事に就けていない私は、何かはやらないといけないという焦りからコンビニのアルバイトの面接を受けたのだが、店長であるひとつ年下の大柄の男から、
「大学を出てもこうではねぇ、意味ないよねぇ。やっぱり、おれみたいに高卒ですぐに社会に出たほうがいいよね。いくら優秀な大学を出てもこういう体たらくではねぇ?」
などと偉そうに言われたので、「やかましいな、このボケは」と思いながら苦笑いで、「週五でシフト入れます。日勤でも夕勤でもどちらでもいいです。なんなら夜勤でも…」と自己アピールをしてみると、店長は顎にできた大きめのニキビに触れながら、
「まあ、今は夕勤の人員が薄いから、海上君には夕勤をお願いしたいんだけどいい?ちなみに夕方五時から夜十時までのシフトね。夕勤はスタッフ二人体制だから。あ、あと、今の夕勤メンバーは高校生もいるし、若い女性スタッフが多いから、そのなかでやっていくことになるけど平気かい?見たところ、海上君は女性と接することが苦手なタイプに感じるんだけど、ちゃんとコミュニケーションを取ってやっていけそう?そこは確認しておきたくてねぇ」
などと年下のくせに失礼千万なことをぬかすので、私は苛立ち、「本当にやかましいな、このボケは。つぶれたドッジボールみたいな顔しやがって。ニキビつぶしたろか…」と内心で店長を罵っていると、
「わっかりました。三日後くらいに電話連絡をします。不採用の場合は連絡をしないので、連絡がなかった場合はそういうことだと思ってもらえれば」
と言って会話を終わらせると、店の奥にあるヤニ臭い狭小な事務所から私のことを早々に追い出した。


三日後、コンビニからの連絡がなかった。といっても、クソボケの店長は「三日後くらいに」と言っていたので、一応は五日経つまでそわそわして連絡を待っていたが、一向に電話が鳴らない。一週間が過ぎても音沙汰がない。私は不採用になったのだ。
気分を害し、自棄になった私は母親と同居する自宅の冷蔵庫にあった大量のしそ巻きを食べまくり、
「うまいわー、しそ巻き、うまいよね」
などとひとりごとを言い、虚ろな目で炊きたての白米をかきこむと、茶の間で寝そべっている三毛猫のぬいぐるみの腹をなでなでするなどして、時間を空費していたら、無性にさびしくなり、なまなましい他人の生活の痕跡を垣間見たい気持ちになった。電話をかけて、友人の関東君の家へ遊びにいく。


関東君は国道沿いにある古びたマンションに彼女と二人で同棲をしている。彼も無職である。彼女は看護助手をしているらしい。玄関ドアを開けると、寝癖がついたぼさぼさの髪に無精髭、青白い顔、上下とも芥子色の毛羽立ったスウェットというだらしない恰好で現れた関東君は電子タバコを吸っており、
「もしかして寝起き?」
と問うと、
「トータルで十四時間くらい寝てやった」
と答えて、背中をかきながらにかっと笑った。
手前のフローリングの八畳はある程度きれいだが、奥の和室の六畳はごちゃごちゃだった。そこに煎餅布団が敷いてある。些か黴臭い。部屋にある物の九割は彼女の私物であり、圧倒的に衣類が多く、カラーボックスとスチールラックには漫画、小説本、CD、DVD、ゲーム機などが雑然と並んでいた。
また、ソファの後ろの壁にはってある映画『猿の惑星』のポスターが派手に破れていた。ティム・バートン監督のリメイク版のである。これは彼女の趣味らしいが、先日、彼らが大喧嘩したときに彼女が投げたくるくるドライヤーが命中したのだそうだ。



大喧嘩の理由は関東君の就職のことである。関東君も大学を卒業してもうまく就職することができなかった。そして駅前の漫画喫茶でアルバイトをしていたのだが、その店が再開発で閉店を余儀なくされたため失職したのである。それ以後は数か月まったく働いていない状態だ。私と関東君はその漫画喫茶のアルバイトで知り合ってからの付き合いになる。
関東君はフローリングに胡坐をかき、おやつカルパスをバカのように口に放り込みながら、
「っていうか、職安やネットで仕事を探して応募しても全然受かんないのよ。そのほとんどが書類選考で落とされるわけ。どういうことなんだろうね?履歴書を書くのがだんだん嫌になってきたよ。んでまあ、たまには面接に行けるけど、結局、なぜだか落とされるよね。社会のバカどもは何を基準に採用の合否を決めているのか知らないけどさー、全然わかってないよね。一回働かせてみてから採用を決めればいいのにね。というのはさ、面接ではやる気満々みたいな男や女ほどすぐに辞めたりするからね。そんな連中を腐るほど見てきたよ。そんなの雇うならこっちを雇ってくれよって感じだね。そいつらのせいで真面目で有能な人材が落とされているケースがあるわけだからさ。しかし、まあ、こっちはこっちで正直に言うと、面接を受けながら心のどこかで不採用にならないかなあとか考えているような社会不適合者の豚野郎だから、それが雰囲気なり態度に現れて面接官に伝わるのかもしれないな。オレは基本的にやりたい仕事なんてないからね。学生の頃からずっと考えているけどいまだに見つからない。生活費を稼ぐ、つまり、生きていくために仕方なく何かをやらないといけないから仕事をしてやるっていうスタンスだから、こっちは。うけけっ。うぐぐっ」
「やりたい仕事はないね。やりたくない仕事はいっぱいあるけど。あと、ああいう大人にだけは絶対になりたくないという明確なビジョンは生意気だけど子どもの頃からあって、それだけは譲れないな。ほら、ザ・ブルーハーツのマーシーが何かの曲で歌っているじゃない?あれが妙に頭に残っていてさ」
「満員電車の中~くたびれた顔をして~夕刊フジを読みながら~老いぼれてくのはゴメンだ!」
「そう、それ。はじめて聴いたとき、はっとして。まさにその通りだ!と思ったね。へへへ」
「オレさ、昔、誰かの小説で読んだある文章がずっと頭にこびりついているんだけど。金で得られる喜びより金をとる不快の方が大きかったから仕事を辞めた。というね。だからさ、生活のため、生きるために、興味がない・やりたくもない仕事をやり続けて生きることはあまりにも苦痛だし、心が荒廃していくだろうから、どうにか自分の中で折り合いをつけて、これならやれそう、これは気になるなと少しでも思える仕事を選んでやってみたいんだよね」
「そうだね。それがダメだったら、これはダメでしたーというひとつの答えは生まれるからね。でも、これならやれそう、これは気になるなと思える仕事があっても、いざ応募すると、なかなか採用されないのが現状だから就職ってのは難儀なんだよねー」
と言って私が自虐的に笑うと、関東君は、「難儀だよねー」と言って、カルパスの袋のゴミを手のひらで丸めて一塊にし、部屋の隅にあるゴミ箱に向かって投げつけた。ゴミはゴミ箱に入らなかった。


隣の部屋から轟音が響いてくる。地鳴りのようなベースの低音だ。この音から推測するに、おそらく変則チューニングの五弦ベースギターを使って弾いているのだろう。迷惑この上ない悪行である。
「何?隣人はベーシストなの?うるさいんだけど…」
「らしいね。ど田舎から出てきたぱっとしない大学生って感じのなで肩の男。どうせ童貞だろ」
「あっ、今、奇声を発した。何か、ぶつぶつ言ってるけど、歌っているのかな?」
「あああ。あれはよーく聴いてみるとラップなんだよ。ヘタクソなジャパニーズラップだYo」
「童貞なんだろうなぁ。過去の自分を見ているようで悲しくなる。彼の数年後の姿が俺であり、その頃にはあの五弦ベースギターもメルカリで売って生活費に変えられている気がする…しかし、うるさいな」
そう言って業腹になり、左手にあるテレビ台を見やると、額に入った一枚の写真が飾ってあった。
関東君と看護助手の彼女が二人で写っている。日光東照宮の神橋で撮ったもののようだ。
私は「あんまりかわいくないな」と失礼なことを思いながら、同時に、目にした瞬間にそう思ってしまう自分の性格の悪さに辟易し、自己嫌悪と虚無感を味わいつつ、写真を薄目で見つめていると、
「あっ、いけね。彼女が今から帰るよってラインよこした。オレの大好きなモスバーガーを買ってきてくれるらしい。海上君、悪いけどそろそろ」
と言うと、関東君が慌ただしくベランダに出て、彼女の洗濯物をとりこんでいた。涼しい風が澱んだ室内に入ってくる。ガラス窓の奥に広がる夕景の空では、濃淡のあるいわし雲が金色に輝いていた。
   
                                                                          (了)

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