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The Book of Illusion / Paul Austerの作品と一緒に読みたいTBR

自分の核に触れる物語

 ここしばらく、Paul Austerの"The Book of Illusion"を読んでいた。いつものごとく読書日記に残したいところだけれど、なんだか深いところまで感想を書く気分にならない。どの作品でも、オースターの書いた物語は私の心の中心的な、ごく個人的なものに触れる力を持っていて、それについて考えたことをnoteで公開するとなると、なんだか自己開示が行き過ぎているように思われる。なので、今回は気に入ったシーンや表現の抜書きをまとめたり、作中に登場する本や読みたくなった本について書くことにした。

死者の物語

 "The Book of Illusion"は、飛行機事故で妻と2人の息子を失ったZimmerという文学者が、古いサイレント・ムービーに登場するHector Mannという役者を追いかける話。大切なものを失うことで生きながら死んだ人間の話であり、死を見つめながらも生きる人の話でもある。Zimmerは作中で、 18-19世紀に生きたFrançois René De Chateaubriandによる"Mémoires d'outre-tombe" (The Memoirs of the Dead Man) の翻訳に取り掛かる。その中で引用される文章には、生きながら死んだものたち、あるいは死者の物語としてのこの作品を象徴するものがあった。

I talk only to the dead now. They are only ones I trust, the only ones who understand me. Like them, I live without future.

The Book of Illusion, Paul Auster, p. 147-148.

 生きたまま魂が死ぬこと、死者の世界を覗き見ることは、オースターの作品に最もよく登場するテーマの一つだと思う。"Mémoires d'outre-tombe" は、著者の希望で死後にのみ一般に公開され、出版されるという形式が特徴的な作品。文字通り、死者の回顧録になっている。読者がこの作品を手に取る時、この作品と介して語りかけてくる男はもうこの世にいない。Zimmerもまた、山中の小さな家にこもってこの作品を翻訳するとき、対話する相手はたった1人の死者のみだった。

 死者の世界というと、思い起こされるのが Dante Alighieriによる"The Devine Comedy"だよな~、などと考えていたら、作中で登場人物がこの作品を読む描写が出てきた。「神曲」という和訳でよく知られるクラシックだけれど、死者の世界に迷い込んだ(ほとんど死んだ)人物が、苦労しつつもなんとか地上に帰ってくる、という話は、ほとんど神話のように、多くの人の精神の根底の部分に響くものがあるのだろう。それは宗教的な体験であり、死を見つめて、その死から回復してくることでもある。これもまた、"The Book of Illusion"と合わせて読みたい一冊。

ソリチュードを求めて

 オースターの作品の主人公たちは、孤独な生活に身を置くことが多い。ニューヨーク三部作はもちろんのこと、"Moon Palace"、"The Music of Chance"、"4321"…社会生活から離れ、ほとんど気が変になるほどの孤独な生活に安らぎを求めるナレーターばかり思い浮かぶ。私も時々社会から逃げ出してぇ〜という欲求があるタイプの人間なので、オースターの作品のこういう描写はかなり好きだ。完全な孤独に身を置くことが、たいてい主人公たちを正気から遠ざけてしまう点も、一回それをやったことがある身からするとそうだよな〜という感じ。そいうえば、ニューヨーク三部作の"Ghosts"では、主人公が窓越しに監視しているもう1人の青年がHenry David Thoreauの"Walden"を読む描写があった。今やいわゆるOff Grid的な生活を志す人間の必携書みたいな扱いになっているが、これもまた孤独な環境に身を置いた人間を描写した本として名著。オースターを読むと何だか"Walden"を読みたくなる。Thoreauが暮らした湖のほとりの小屋は今でも保存されていて、その土地の名所になっているという。

"The Book of Illusion"を読んでいる間、ウインナーコーヒーを自分で作るのにハマっていた。
少し前にYoutubeで"London Fog"というコーヒーのスタイルを知ったけれど、ぜんぜんカナダ発祥の飲み方らしい。

Pull The Plug

 "The Book of Illusion" で好きだった表現に一つに、遠くにいる知人が、自ら死を選んだこと、そしてもう助からないということを悟る描写として、「固定電話の線を引き抜いていた」というものがあった。固定電話の接続がもとより不安定であったことも、表面上は見えなかったその人の精神のありようを暗示していたようにも思う。もう二度と電話をかけても、電話線の向こう側からその人が答えることはない、という表現が、自らプラグを引き抜くという行為と重なって、不可逆な断絶として重く感じられた。

 これを読んで思い出したのが、Raymond Carverの"Elephant"に収録された "Whoever Was Using This Bed"という短編。この作品もまた、電話の線を抜くという行為を、死を選ぶことと重ねて表現している。初めて"Whoever Was Using This Bed"を読んだ時、繰り返し間違い電話をかけてくる女性は一体誰を探しているのだろう…と思ったのだけれど、今思うと、彼女が電話をかけたかった相手というのは、この世にはもう居ない、ということなのだろう。もう二度と繋がらない相手を、電話線の向こうに探し続けているのか。

美しい晩秋の日!セコイアの葉っぱって鳥の尾羽みたいで綺麗。

 オースターは作中に色々の作品を引用する、あるいは登場人物たちの読書として登場させる傾向にあるので、オースター由来のTBRは積み上がるばかり。今回挙げた中で、まだ読んだことがないのは"Mémoires d'outre-tombe"。とんでもない大作だというので、少しずつ読み進めてみようと思う。


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