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本当にそうなのか? ~田村隆一「木」の魅力~

教科書に長年載っている詩


田村隆一の「木」という詩は、長年、多くの国語教科書に掲載され続けている。
 
令和6年度現在、例えば、中学2年生が使用する光村図書出版の国語教科書に掲載されており、筆者が中学生だったときの教科書にも掲載されていたと記憶する。なお、すでに公表されている光村図書出版の令和7年度版中学生用国語教科書の内容に筆者が目を通したところ、「木」が見当たらなかった。非常に残念である。
 
ちなみに、筆者が使用した高校の教科書にも「木」が掲載されていたため、筆者は「木」の授業を中学校でも高校でも受けた。余談になってしまうが、興味深かったのは高校の先生の「老樹」の読みだった。中学校の先生は「老樹」を「ろうじゅ」と読んだが、高校の先生は「おいぎ」と読んだ。確かに、「若木」は「わかぎ」と訓読みするから、「老樹」のほうも「老い樹」と送り仮名がなくても「おいぎ」と訓読みするのかもしれない。筆者は、「木」が初めて掲載された季刊誌「樹」第4号(書房「樹」、1980年)を所有しているが、その中の「老樹」にルビはなく、田村がどう読んだのかは分からない。
 

「木」が初めて掲載された季刊誌「樹」第4号(書房「樹」、1980年)


常識を疑う


さて、この詩は、
 
木は黙っているから好きだ
木は歩いたり走ったりしないから好きだ
木は愛とか正義とかわめかないから好きだ
 
という第一連から始まり、第二連で
 
ほんとうにそうか
ほんとうにそうなのか
 
とそれを疑い、第三連では第一連を覆す考えが書かれている。
 
第一連の「木は黙っている」「木は歩いたり走ったりしない」「木は愛とか正義とかわめかない」というのは、言わば「常識」である。パッと言われると、3つとも「うん、そのとおりだね」と言いたくなることばかりである。

授業でアンケートをしてみたところ……


 筆者は、ある学級の「木」の授業の導入として、「木は黙っている」「木は歩いたり走ったりしない」「木は愛とか正義とかわめかない」という三項目を提示し、それぞれに賛成か反対かを生徒に尋ねてみた。すると、
 
①木は黙っている…賛成62% 反対38%
②木は歩いたり走ったりしない…賛成100% 反対0%
③木は愛とか正義とかわめかない…賛成73% 反対27%
 
という結果が出た。興味深いことに、どの項目においても、賛成すなわち常識のほうに多くの票が入ったのである。「木は歩いたり走ったりしない」に至っては、誰も反対する者がいなかった。
 
このように、パッと聞くと「そのとおりだよね」と言いたくなる意見に対して、「本当にそうなのか?」と疑問を抱くこと、これが非常に大切なことだと筆者は考えるのである。
 

立ち止まって考える


世はすっかりネット社会になり、不確かな情報に大衆が流されることが問題視されるようになった。それを防ぐためには、一人一人がもっともらしい情報に対して「本当にそうなのか?」といったん疑ってみることが必要である。
 
学校において、「木」に見られるような「発想の転換」的思考を推奨するのはなかなか勇気の要ることである。なぜなら、教員の言うことや決まりごとに対して児童生徒がいちいち「本当にそうなのか?」と言い始めたら、ちょっと大変すぎるからである。
 
ただ、世態は最近大きく変化し、「学校の当たり前」に疑問を抱くこともタブーではなくなってきている。もちろん、すでにある事柄を何から何まで「それは違う!」とひっくり返す必要はない。「本当にそうなのか?」と考えたうえで、「本当にそれでよい」という結論が出たならば、それはそれでよい。要するに、全てを鵜呑みにすることもなく、常にあまのじゃくになるわけでもなく、一つ一つきちんと「本当にそうなのか?」と立ち止まって考え、結論を出すことが大切なのである。
 
【引用・参考文献】
・季刊誌「樹」第4号(書房「樹」、1980年)
※詩の引用はこの季刊誌を参照して行った。
・『国語2』(令和3年度版教科書)光村図書出版

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