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「半世紀前」という振りで恐らく読んでくれる人には、 現在の私のあり様は大方類推できているのだろう。   誰ににだって伝えたいこと・残したいものは あるってことなんだろう。  2023/07/01 あん_note

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  • 「日記」予測不能にもほどがある 昭和的実録海外ひとり旅

    既に半世紀前、プライベートでの初めての海外ひとり旅時の一年半程の日記です。 旅行日記であるにも関わらず、その地の紹介や感動などは余り書かれておらず、ただ自身の上に絶え間なく押し寄せる大波・小波の如き体験群とその時々に揺らされる心が克明に描かれていたことに、不思議を感じ、まとめ直してみようと始めたのです。 リライトするにあたり、当時の状況や思い|視点を忠実に再現することを方針としています。

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半世紀前の日記が発端だった

自分の書いた唯一の日記が出てきた、半世紀前の日記だった。 それは会社を辞め、はて目標は?と自分に問い直した時の差し当たっての身代り策となった「海外丸腰ひとり旅」の日記であった。 B5サイズのスケジュール表の表裏にびっしりと書き込まれた、時にはスケッチやエッセイ風のメモも差し込まれたモノであった。 見返してみると・・・面白かった・・・。 当時会社に入って、4・5年経って多少仕事が回せるようになると、案の定、虚無が襲ってきた。 当時の小生意気な自分には、(今思えば全く必要

    • 予測不能にもほどがある 36 イタリア編 (13 昭和的実録 海外ひとり旅日記

             日記_038 アカデミックな日々     8 (1 / Aug  1978  テラスにて まだ約束の時間ではないだろうと云うのに、既に”Revoir”のテラス席に(確信以外のなにものでもない想像していた通りの)大きなサングラスにパンタロン姿の女性が、今まさに席に就こうとしていた。 Firenzeの街のど真ん中にある ” Piazza della Signoria(シニョリーア広場)のダビデ像の対面側の” Revoir ”というcafe ”を電話で指定して

      • 予測不能にもほどがある 35 イタリア編 (12 昭和的実録 海外ひとり旅日記

                日記_037 50Lireに泣く     4 / Aug  1978  出発遅すぎ (出発時刻遅すぎるかなの危惧もあったのだが) Firenzeへの列車の午後便は、これ一本しか無かったので致し方なし。 この辺りFiume Po(ポー川)に沿った穀倉地帯Lombardia平原だから(のんびりと列車旅)と思っていたら、Firenzeは伊の尾根Appennini(アペニン山脈、見くびっていたよ)を越えなければならず、予想外のトンネルの数に出喰わすことになった

        • 予測不能にもほどがある 34 イタリア編 (11 昭和的実録 海外ひとり旅日記

                  日記_036 Bolognaは、どう?     28  /  july  1978  優劣つけ難し 伊の歴史文化の底の深さを僅かでも触れようものなら、次の訪問地を(確かに伊の全ての街はその領主の意向を色濃く反映しているようで、街形成は千変万化の様相、地図を広げてもとなり街隣街、全てが何処かで聞いた知ったような名で、簡単には選択できないのだ)おいそれとは・・・と決めあぐねていた時、Youthで遭った日本人(Pergia在住と言っていた)が「Bolognaは

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        • 予測不能にもほどがある 36 イタリア編 (13 昭和的実録 海外ひとり旅日記

        • 予測不能にもほどがある 35 イタリア編 (12 昭和的実録 海外ひとり旅日記

        • 予測不能にもほどがある 34 イタリア編 (11 昭和的実録 海外ひとり旅日記

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        • 「日記」予測不能にもほどがある 昭和的実録海外ひとり旅
          37本

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          予測不能にもほどがある 33 イタリア編 (10 昭和的実録 海外ひとり旅日記

                  日記_035 Milanoが遺しているモノ     26-(2  / july  1978  どれだけデカイんだ! Duomo自身もおそらく100m×150m位の敷地に位置しているが、今居る広場も同じ大きさ位、遮るものの無い広場で、合わせれば陸上競技場のトラック&フィールドを悠に超えるだろう。 その辺にT字型にぶつかっているのが、 かの名高きVittorio Emanuele IIのGalleriaでこちらも同様の大きさがありそうだとすれば、教会一つが持

          予測不能にもほどがある 33 イタリア編 (10 昭和的実録 海外ひとり旅日記

          予測不能にもほどがある 32 イタリア編 (9 昭和的実録 海外ひとり旅日記

                  日記_034 二つの言い訳     23-(2  / july  1978  些細な屈辱 カオスのような街々から、突然整然としたBAUHAUSな街に放り出されたようだ。 そのFrankfurtで、この旅初めて道を間違えることになった。 まずは”Central stationに行きたい、尚且つより多様な表情を持つオススメの街があれば教えて欲しい”のつもりで言った”Main”に込めた意味が、英語を理解しないあるいは俺の英語が曖昧すぎたのか間違ってい

          予測不能にもほどがある 32 イタリア編 (9 昭和的実録 海外ひとり旅日記

          予測不能にもほどがある 31 (欧州各国)|イタリア編 (8 昭和的実録 海外ひとり旅日記

                  日記_033 ・・・をたずねて  - 番外     18/ 19/ july  1978  手ぶらの帰り道  もう1度Liverpoolに行こうかと思ったのだが、Markが勧めるのでYorkに行くことにした。 「York」、ヨークシャーとかヨーク大主教とか良く聞くのだが、果てさてどんな街なのか。 降り立った駅舎は、竜骨のボールト天井で形成されたトップライトに取り込まれた薄光が、プラットフォームを深く緩やかなカーブを描きながら覆い、支えのコリント柱や壁

          予測不能にもほどがある 31 (欧州各国)|イタリア編 (8 昭和的実録 海外ひとり旅日記

          予測不能にもほどがある 30 (欧州各国)|イタリア編 (7 昭和的実録 海外ひとり旅日記

                  日記_032 ・・・をたずねて  - 3     14/july  1978 メモが誘うもの ParisからLondonの旅は楽しめる以前に、シンドイ。 やはり割引チケットの影響か。(ちょっと高を括っていた) これでもかの田園に次ぐ田園(夜の列車で地平線のシルエットから連想するだけ)を5時間、しかしDankerqueには3時に着くので、寝ているわけにもいかない。実際列車は混んでもいた。 ここで船に乗り換える訳だがその接続で1時間以上待たされる。やっと

          予測不能にもほどがある 30 (欧州各国)|イタリア編 (7 昭和的実録 海外ひとり旅日記

          予測不能にもほどがある 29 (欧州各国)|イタリア編 (6 昭和的実録 海外ひとり旅日記

                  日記_031 ・・・をたずねて  - 2     8-(2 / july  1978 ” 国は好きだけど 険しいアルプス越えは終わったか、やっとの事で湖が見えて来た。 Zürichは大きな駅だが、目もくれず、Konstanzの一つ手前のKreuzlingen駅に降り立つ。 直ぐEugenに連絡を、とも思ったのだが、”アジア廻って、日本にも行く”とか言っていたし、今晩の宿のYouth Hostel探しが先決だ。 先程降りたKreuzlingen駅はス

          予測不能にもほどがある 29 (欧州各国)|イタリア編 (6 昭和的実録 海外ひとり旅日記

          予測不能にもほどがある 28 (欧州各国)|イタリア編 (5 昭和的実録 海外ひとり旅日記

                  日記_030 ・・・をたずねて  - 1     6/july  1978  怪しいもの 実はイタリアの旅では別の目標があり、Veneziaは特段の思い入れがある訳では無かった。 しかしあたかも海面の水切り遊びを思わせる一直線の列車専用道、またドキドキの街裏迷路は思いもかけぬ大収穫で、大いに俺のココロを高めてくれたそのご機嫌に拍車をかけるかのように、列車はVeneziaを後に、さらにMilanoもスルーすると、一気に北上し始める。 辺りは既に緑深く、

          予測不能にもほどがある 28 (欧州各国)|イタリア編 (5 昭和的実録 海外ひとり旅日記

          予測不能にもほどがある 27 (旧ユーゴ)|イタリア編 (4 昭和的実録 海外ひとり旅日記

                  日記_029 これぞ、ITALIA     04-(2 / july  1978  先ずはVenezia Triesteから即列車だから、劇的にItaria感を味わっている訳では無いところが何か腹落ちしない。 (カンツオーネの歌声でも聞こえてくれば、話は別だが・・・) 確かにRome方面からVeneziaへ向かっていると云うのなら大いに(筋が通っているのだが)、アドリア海側のTrieste方面からと云うのがしっくり来ない原因なのだろう。 (どうでもい

          予測不能にもほどがある 27 (旧ユーゴ)|イタリア編 (4 昭和的実録 海外ひとり旅日記

          予測不能にもほどがある 26 旧ユーゴ|イタリア編 (3 昭和的実録 海外ひとり旅日記

                  日記_028 生きているということ     01-(2 / 02 / 03 / july  1978  「ドコデモ ドア」 Dubrovnik この街は生きている。 (観光地(旅の通過点のつもりで立ち寄ろうとした街であり、聞き知っていた訳ではない)という名声に胡座をかくでもなく、その遺産に寄り掛かるでもなく、そんなことに意を介しない人々の暮らしが普通に見える街というだけ。 比喩に例えられるような“中世が生きている”などと云う意味ではない) Athen

          予測不能にもほどがある 26 旧ユーゴ|イタリア編 (3 昭和的実録 海外ひとり旅日記

          予測不能にもほどがある 25 旧ユーゴ|イタリア編 (2 昭和的実録 海外ひとり旅日記

                  日記_027 非の打ちどころの無い街     29 / 30 / jun 1978  海に傾いた街 バスは既に夕闇の中、おそらくこの辺り素晴らしい渓谷が展開されているだろうことは、時折ヘッドライトに照らし出される覆い被さるような岩陰で想像はできるのだが、そんな中を悪戦苦闘しながら走るバスを思い描くばかりで、景色を堪能する術もない。 峠の頂上らしき(暗黒で分からない、唯 寒風が吹き上げてくるコトで察せられるだけだ)に小屋があり、一回だけの休憩をとる。 ガ

          予測不能にもほどがある 25 旧ユーゴ|イタリア編 (2 昭和的実録 海外ひとり旅日記

          予測不能にもほどがある 24 旧ユーゴ|イタリア編 (1 昭和的実録 海外ひとり旅日記

                  日記_026  シアワセの国    26-2/ jun 1978  途中Jimmyの友人のIsmaniと合流し、英語の先生と共に、彼の部屋に入ると楽しい晩餐はパイとアイラン(ヨーグルトに塩を混ぜた飲み物でトルコ発祥)で乾杯となった。 (実はここはJimmyの家ではなく、Ismaniの家であった。これからあちこち引き回されながら有りったけの友人を紹介されたので、誰が誰だか何処が何処だか、混乱してしまったのだ) しかしお互い旅の疲れか談笑も早々と切上げ、

          予測不能にもほどがある 24 旧ユーゴ|イタリア編 (1 昭和的実録 海外ひとり旅日記

          予測不能にもほどがある 23 ギリシャ編 (9 昭和的実録 海外ひとり旅日記

                  日記_025      25/ jun 1978  ギリシャ エピローグ 翌朝、惜しむ気分もままならず追い立てられるように、人気のない道をバスで行く。 ところが(なんてコトだ) 船の中には長髪の外国人が二人、三人と居るではないか。 船は来た時とは反対側の半島の海岸線を、俺のいきり立った思いを沈めるかように、静かに舐めるように朝靄の中を進んで行く。 呆気ないAthosの幕切れに腹の虫が治らないのか、下船したらヒッチと意味もなく決め込んでいる。 すぐ

          予測不能にもほどがある 23 ギリシャ編 (9 昭和的実録 海外ひとり旅日記

          予測不能にもほどがある 22 ギリシャ編 (8 昭和的実録 海外ひとり旅日記

                  日記_024  Athosは遠かった    23/ jun 1978  頑張れっ Tessaloniki 早朝に着いたTessalonikiの駅前の公園は、テントを張った避難民で、溢れていた。 不謹慎な言い方なのだが、瞬間ジプシーのテントかと誤解してしまった。 (実際自分は現在まで大きな災害にあったことは無いので、事の重大さが理解できていないのだ) 皆、端正な身なりをしていることが、余計地震のリアルさを自分に教えている様であった。 諭す様な歩調(

          予測不能にもほどがある 22 ギリシャ編 (8 昭和的実録 海外ひとり旅日記