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予測不能にもほどがある 27 (旧ユーゴ)|イタリア編 (4 昭和的実録 海外ひとり旅日記

       



日記_029 これぞ、ITALIA

 

   04-(2 / july  1978  先ずはVenezia

曇りのち晴れ
Trieste〜Venezia train 2h. 1600L
Mestra St.|Santa Lucia St.

Youth Hostel 2400LIRE
Rate:
1 LIRA≒0.26Yen (1Yen≒4LIRE)
∴1,000LIRE≒250Yen

Main prices:
Cafe|Cappchino: 200〜350LIRE | Cola:500〜600LIRE
Gettone=50LIRE
ホテル:5,000LIRE〜


Triesteから即列車だから、劇的にItaria感を味わっている訳では無いところが何か腹落ちしない。

(カンツオーネの歌声でも聞こえてくれば、話は別だが・・・)

確かにRome方面からVeneziaへ向かっていると云うのなら大いに(筋が通っているのだが)、アドリア海側のTrieste方面からと云うのがしっくり来ない原因なのだろう。
(どうでもいいコトだが)

Veneziaは2つの駅に別れているらしい。

乗り換える訳でも無い列車はMestra駅(本土側?)で一息入れると、そのまま生き返ったかのようにSanta Lucia駅目指して真っしぐらに走リ始めるのだ。

いつも通りぼんやりと車窓を眺めていると、街の風景がなくなっていることに気付き始めていた、
(何をイキんでいるのか)
では何処を走っているのかが即座には出てこない、
頭脳がスリップアウトしたまま凍りついたのだ。

海の上だった。

橋の上を道路が・・は理解できるのだが、海原に陸地がほとんど海抜もなく、しかも線路だけの幅でどこまでも真っ直ぐに続いている・・・。

(これ人口の道? 満潮大丈夫? 列車大丈夫?

いやぁ、これがItaliaか!(オシャレっ!)期待感昂まるーぅ。

テンション高揚のまま駅を降りれば、目の前は既に、逆S字にCanal Grandeが大曲りして待ち受け、水しぶきが人混みを仕分けするかの如くである。

なるほど海の色は地中海程は望めないとしても、この忽然と海に出現する様だからこその街Venezia、人々は古来より称賛を惜しまないのだろう。

Santa Lucia駅前の広場にはかなりの人が溢れていたが、目の前に水上バス乗り場があるのだから、迷う必要などない。

(車は禁止なのだから、移動手段は船か歩くか、選択肢は至ってシンプル)

当然Vaporetto(水上バス)は混んでいた。

地元の人にだけ特別な移動手段があるなんてことは無い。
そう思うと何か気持ちがスーッと落ち着く。

Canal Grandeもラグーナ(中洲)のど真ん中を大きくうねって貫通しているから、水上バスに乗りさえすればVeneziaの概略も簡単に解った気にさせる。

隙間なく並ぶ建物はかなり風化して古びてはいるが、醸し出す格のようなモノには一寸気押される感じだ。

(宿はかなり高いだろう、おそらく狭い脇道などの老舗の洒落たホテルはありそうだが、簡単には見つからないだろう)

そんな想定がつく間も無く、Canalの前方視野がグワーンと大きく拡がり、左手に見覚えのある化粧アーチの連続を持つ建物が現れた。(見たことある!Ducaleだ)

停留した水上バスを一瞬降りようとするのをこらえれば、水上バスは大きくUターンをし、(巡回航行しているようだ)右手にランドマークのように見えていた対岸側のドームのある教会が次の停留地なのだ。

(実は最大の不安要素の宿探しのため、Santa Lucia駅のインフォメーションでユースホステルの情報を既に手に入れていたのだ)

降りた俺の手にはユースホステルの簡単な地図が握り締められていた。

二段ベットは大きなガラス窓に面し、ロケーションは今降りた水上バスの停留地脇なので、Canal Grandeのラッシュのような船の行き交いも、対岸のDucaleへと繋がる建物群も手に取るように見渡せる一等地では無いか。

(同宿者も若者たちで、気持ちが良い!

 Viva  !   2,400LIRE /日  !  )


 コラム_55  Italia LIRA



いよいよ欧州先進国への入国を目前にし、些かビクビクの気分である。
ここまで予想に反し滞在日数が増えた分、財布の方も心配になってくるのだ。

Bar(バール)で恐る恐るレジしたカプチーノが・・
250LIRE(≒65Yen)・・いやぁ ホッとした。

ところで、1000LIRE札を出し確かにお釣りは返っては来たのだが、紙幣の1/4位の大きさ(10000LIRE札は日本の財布では入りきらないでかさ)しかない割引券のような、証券のような、しかも印刷が全て違う(明らかに紙幣ではない)、加えて銅製風のごついコインもジャラジャラと付いて、俺の手の平に戻って来た??

イタリア、やばい騙されている!)

怪訝な顔の俺を察してか、次の客が外を指差しながら、どうやら(この証券らしきは他の店でも使えるから心配するな。このコインはGettoneと言って、ほらっ)と今度は電話を指差しながら(公衆電話のコインだ)と教えてくれた。

(なるほど)と納得はしたものだが、後にSwissに言った時、当時伊コインは表示価格よりコインの価値が高かったため、Swissで溶かされ結果、伊国内ではコインが不足し代用貨幣(そんなのアリ?)として、民間レベルで闇証券のように出回っていたということだったようだ。

(伊の話だから、納得する?)


物価としては、Barでコーラ500〜600LIRE、Gettone=50LIRE、ホテル(過不足の無い普通のベットの部屋シャワー付)〜12,000LIRE(≒3,100Yen)、これなら多少の知恵で、節約可能の範囲か。

しかしYenを下回るレートは、おそらくこの国だけだろうから、計算の苦手な俺にとって苦痛を強いられるのは覚悟しなければならないのだろう。

(だからMille(1,000)札基準で、日本の千円の1/4=250に相当(貨幣価値ではなく数量の目安)と覚えよう?)


 コラム_56  人騒がせにもほどがある



が解けた。

Dubrovnikからの逃避行のような切迫感の意味が。

チリチリと強い陽射しの砂浜、
白いタキシードの初老の男、
耽美的美少年、(スウェーデン俳優:ビョルン・アンドレセン)
男の人生に醜悪な汗、
陽射しの砂浜の中のデッキチェアー、
忍び寄る死臭、

そう、”ベニスに死す”

Dubrovnikから次に目安とする最大の地はおそらくVeneziaだった。

映画”ベニスに死す”(1971年)
”また Viscontiか、でも美しい”と云う心象をはもっていただろう。

Dubrovnikの陽もチリチリと暑く、火照りあがった体を冷たい海水に晒したい衝動を(もう少し、もう少し)となだめていたようにも思う。

(次の寄港地は?Split辺りを経由して、いよいよベニス辺りか)
(ベニス?・・「ベニスに・・死す」・・)

死におくれつつ
生きおくれたり

全ての符丁は一致した。


どんな意味があっての妄想・たわ言、戯れ言か。

そんな個人的な謎の解明に有頂天になって、
第一、当時の”俺”が本当にそう思ったなんて何処にも残して無っい!

人騒がせにもほどがある!



(これ以上は、みなさんお持ちのVenezia憾に抵触する怖れもないとは言い切れませんので、後の機会があれば・・・)

    
2024.05 記

 



  5/july  お勧めVenezia路地探検

晴れのち曇り
Venezia

Youth Hostel 2400LIRE


昨日のSanta Lucia駅〜ユースホステル(そんな停留地名はナイ)間で、水上バス及びVeneziaを概ね満喫したかの錯誤を修正つもりもなさそうに、今日の興味は脇道探検にと、心は動いている。

とは云えスタートは、Basilica di San Marcoの余りのグロテスクとも捉えられかねない外観も捨て難く、一見しておこう。(上目線な)

ファッサードの多くの聖人・天使たちも憐れな位ビザール(bizarre;奇怪な)な細密に仕立て挙げられ、はてどういう思いで青空に張り付いていることか。
本来なら一つ一つは一級品なれど、ゴールドとパトロン(patrono)の野心ばかりが目に痛く、ゴテゴテ成金趣味の誹りは免れないか。

(しかし隣接してエレガントな白い大理石の回廊ポーチを持つPalazzo Ducaleがシンプルに厳かに補っているので、ご安心を)

それでも名誉のために言っておくが、ビザールな Manierismo(官能的・耽美的・奇想的など多様な芸術様式の意に使用される)な表現を自分は嫌いではなく、”これぞ伊”とでもいうべき斬新で現代的な床のパッチワークは、既にBasilica内でしっかりスケッチに収めている。

大理石床モザイクパターン スケッチ


さてお腹もすいてくる頃、Ponte di Rialto辺りでランチにしよう。
(まだ伊に来て、PizzaもSpagethiも食べてない)

(本題の脇道ルートへ急げ!)

とは言ったものの、そんな道を知っている訳では無い。

ビッシリ連なった建物は大旨4階建で、建物群の合間に道路網のように運河が連なっているから通りが跨げば、当然その上がとなる。

Canal Grandeを除けば運河の多くは3m程の幅で、橋の下を小舟も通るため、橋の通路側には必ず個性あるオシャレな欄干数段の階段がついているのも、風情というモノ。

しかし川幅に比し、通り幅の心許ないのがVeneziaということか。

そんな通りに、運河と平行に暗い口を開けた低いアーケードのような道が、冒険の入り口なのである。

首をすぼめて薄暗いアーチ回廊状の道を行けば、時に別な通りに平行していたり、時に明るく外光の中へ、そして時には明らかに人の家の土間のような空間にぶつかったり、躊躇しつつも、差し当たり注意される気配もないから突き進んでみるのだ。

(当然対面からの人(明らかにVeneziaの人さ)とも鉢合わせするのだから、不法侵入している気配でもなく、歴とした公道扱いなのだろう

そうして、自分だけのしてやったりの秘密の冒険も(トラブルもなく)Ponte di Rialtoに辿り着き、人混みに紛れ込みさえすれば、無名の観光客になる

そうだランチしたかったんだ。

しかし予定通りと言うべきか、流石Veneziaのど真ん中の観光スポットに俺の気分を満たしてくれそうなレストランなどある訳が無い。
案の定、店先の小粋なメニュースタンドを覗いてみても、4000、6000LIRE以下の数字を見ることは無い。

アイディアは直ぐに、今人混みに躍り出たその薄暗い開口を示唆してくれた。(わずか戻れば確か肉屋さんのような店があった)
さっき、通りがかりに冷蔵ケース越しに紙にくるんだものを渡しているのを、しかと見届けたのだ。

当たりだった。冷蔵ケースにはハム類やらチーズ類が並んでいた。
パンの名は知らなかったので「Paneパーネ?」と顔の前で両手を伸ばす仕草で尋ねたら、一段と薄暗い脇の棚からフランス(?)パンが出て来た。

(ヤッター、大正解!)

冷蔵ケースの生ハムにチーズも足しても1800LIRE、戻ってPonte di Rialtoの脇の石段に席を締めれば、最高のランチ!


(因みに店の親父にサンドイッチの名を尋ねたら、「Bocadilios ! 」と言っていたが、スペイン語? これ以後、冷蔵ケースのある店に巡り会えば、覗くのが俺のマイブームとなっている)


 コラム_57  (Yugo)| Itary Map_4



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