子どもの頃が蘇ってきて
最近絵を描いてて
子どもの頃の感覚が蘇ってきました。
それはどんな感覚か というと、
「楽しみのためにやる」 「友達に見せたい」
こんな感じです。
この感覚になったのは小学生のころに遡ります。
休み時間、教室で絵を描いていた
絵を描く僕の周りには友達が集まってくれました。
家で描いた絵や漫画も友達に見せて 驚かせたり笑わせたりしていました。
最近はこんなに純粋な気持ちで絵を描いたことが中々なかったので嬉しいです。
この感覚の蘇りには 長きにわたる思考の取捨選択がありました。
ここには書ききれないけれど、長年の紆余曲折があります。
・・・・・
『自由にやりたいことをやればいいんだ』
耳当たりの良いこういう言葉は
妙に 寛大で、真理を得ているような言葉だけど、
難易度の高いことのように思います。
大人になるにつれて自由にやりたいことがうまくできないことがあります。
まず大人は これからの自分の人生についてしばしば考えるものです。ここが大枠の理由かと分析しています。
なので
僕にも お金のこととか、キャリアのことが頭にあって
今取り組む目の前のことが自分の人生にどんな効果をもたらしていくか?有益か?
そんなことを考えたりするようになっていきました。
もちろん経済活動を考えることは必要だけど
子どもの頃の童心は手放してはならないとも思います。
大人になる、というのは色々な言われがあると思いますが
責任は自分が持つ、という大人の面。
そして取り組みは、楽しいからやるという子どもの面。
両方持ち合わせるのが「大人」なのかも
そう思ったら、なんというか 納得 がいきます。
そして、いつも上手くいくのは 子どもの面で進むこと
楽しいからやるという動機なのだと僕は直感していて
全てがうまくいくラインというのはこの先だけだと思います。
楽しいからやるというモチベーションで取り組むには、大人としてやはり難しい事情を持っていたりするものです。
その大部分は2つ
・お金事情
・人間関係事情
これらにほぼ当てはまるんじゃあないでしょうか。
そこで 楽しいからやる で進めるようになるためには
結論、
子どものように「自由に取り組める」という状況が必要だということです。
自由に取り組める精神的な環境。
ここはあえて抽象度が高い結論です。
なぜならば いつも、「上手くいくやり方」ということには再現性が無いからです。
骨子や原理的な部分を知ったあとは
自分で肉付けしていくというプロセスが個別に必要となります。
僕の場合、
・お金事情➡︎ライスワークを辞めないこと
・人間関係事情➡︎周りの人に やってる事をベラベラ話さない
これで解決されました。
【ライスワークを辞めないこと】
既存の お金が手に入るというシステム(勤め)の中に入ることで、お金や生活のベースが得られます。
ある意味私が利用しているという状況です。感謝。
それにより 「お金を稼がなければならない」という苦悩を手放して 目の前の事へ純粋に取り組めます。
この精神状態が創造性を加速させてくれて、全てがうまくいくラインに乗ることが出来ています。
【周りの人に やってる事をベラベラ話さない】
自分のやりたいことは周りに宣言していくべきだという考え方は一理ありますが、僕の場合プライベートでは余程の相手でない限り やってる事を話したくないという気持ちがあります。なぜかというと、人が分かるように説明ができないことと、ドリームキラー(夢を潰す人)を生まないためです。
この精神的環境を保つことが、自分らしく進める秘訣だと分かりました。
僕はずっと「ある感覚」を取り戻そうと悪戦苦闘してきたのだと振り返っています。
それは 何者にも縛られず、
心の中に海が広がるような自由と冒険の精神で絵を描くこと、物語を作ること、言葉を生むこと。
この子どもの頃の感覚が人生には必要なんだと分かっていたんだと思います。
その感覚は決して消えたわけじゃない、
忘れて 霞んでしまっていただけだったということ。
純粋に勝る精神はない
あの頃の続きを始めよう。