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人生最初にみた劇映画『ゴジラ対へドラ』再見鑑賞記

果たして半世紀を経て記憶は蘇るのか?

人生で初めて観た劇映画を再見してみるという試み。国立映画アーカイブでの上映を知り、足を運んだ。はたして記憶の底に沈殿している記憶が50年を経て再び浮かび上がってくるものなのだろうか。エンタメを極度に苦手としているわたしがこの映画を観に行った理由は、この一点にあった。いやそれだけではなかった。幼い私を映画館に連れて行ってくれた今はなき母を追慕したいという気持ちも手伝っていた。

当時の公害問題、ヘドロの問題に着想を得て制作されたのがこの映画の主人公へドラである。ゴジラ第一作が第五福竜丸の事件に着想を得たものであったので、公害問題を下敷きにしたこの映画は、ゴジラの原点回帰のような作品になっているのだが、肝心のゴジラの方はどうだろうか。批判精神を伏流させていたコジラのもつ実存は忘れ去られ、完全に人類の味方、正義の味方という二元論の片棒を担ぐ甘ちょろい設定になっていた。まるで無毒化され去勢されてしまったかのようなゴジラの姿は、極めて魅力が乏しく感じてしまった。小学校一年生の子供の記憶にしても、ヘドラの記憶は強烈にあったものも、ゴジラの記憶は全く残っていなかった。

映画は、1971年公開である。そもそも小学校一年生のときなので映画自体を理解する力に乏しかったはずであるから記憶されているところは限定される。現状、記憶しているシーンは僅かにひとつだけである。空中を浮遊しているへドラが頭上を横切るとき、小さな男の子が思わず手に持っていたシャベルをヘドラの腹部に突き刺すというシーンである。子供だというのにこの不気味な怪物に大胆にシャベルを突き刺すという映像に衝撃を受けたのだ。そこだけが鮮明な印象として残っているのであった。

否、記憶はそれだけではなかった。あの怪異なヘドラの形象とその不気味に赤黒く光る大きな双眼。ぬるぬるとあらゆる不潔なものをまと|う汚穢に満ちた生物の姿。それが汚い雑巾が飛んでくるかの如く、宙を浮遊するという薄気味悪さ。その汚穢極まりないヘドラの姿はあまりにも衝撃的であった。一方で肝心のゴジラの記憶は、先程も述べた通り一ミリとも存在していないのである。


半世紀以上にもわたり深く沈殿していた記憶は果たして蘇るものであるのだろうか。サイケデリックなロック歌謡?をバックにしたオープニングのタイトルロールは全く記憶に残っていなかった。続く冒頭のシーンで、ゴジラやキングギドラなどのたくさんのおもちゃに囲まれながらお庭で遊んでいる子どもの姿が映し出された。それを観て僅かながらに深く記憶の底に沈殿しているものが意識化に戻ってきたように感じた。多くの人形に囲まれている少年の姿を羨ましく感じていたことで記憶に残っていたのかもしれない。だが、やはり思い出したとは言い切れない。それは観たような気がするという程度に過ぎなかった。

次のシーンは、海から見つけてきたという大きなオタマジャクシが漁師の手によって少年の家に持ち込まれるシーンであった。少年のお父さんは海洋学者であったのだ。そのオタマジャクシは、へドラの子どもであった。「そうそう、オタマジャクシだ!」、このシーンの映像の記憶が直接に蘇ったわけではなかったが、たしかにこのオタマジャクシによって物語が進行していったことは憶えていた。わたしはスクリーンを観ながら、「それだ、それそれ」と膝を叩く思いであった。

その後、前段で述べた、頭上を横切るへドラの腹部に子供がシャベルを突き刺すシーンが出てきた。そのシーンの全体は記憶通りではあったものの、大人になってみた実際の映像は、自分が抱えていたスペクタルな映像とは少し異なり、いささかこじんまりとしたものであった。子供の頃の記憶が美化させたとも言えるし、子供であったから衝撃的に感じたということでもあろう。


この勇気ある子ども役は当時8歳。わたしより一歳年上だが同世代だった。この小さな俳優はその後、有名になったのかなとWikipediaを辿ると、わたしにとって黒澤明の作品で最も好きな作品『どですかでん』(最も黒澤明らしくないこの映画を一番好きだという人は稀であろう)で乞食の親子の子ども役をしていた可愛らしい男の子であった。この映画の公開は、『ゴジラ対へドラ』の一年前であった。この乞食の子ども役が強烈に印象に残っていただけに、同じ俳優と知り、小さな感激をおぼえた。ちなみのこの子役はその後もTVドラマ等に数多く出演していたのだが、中学受験があったのだろうか、小学生で俳優業から引退している。

閑話休題。

結局、この冒頭の幾つかのシーンのみが、半世紀を経て僅かに記憶の底から浮き上がってきたシーンであった。その後のゴジラとの対決やラストシーンなどは全くもって記憶に残っていなかった。

汚染された海に浮かぶ悲しきマネキン

少し映画についても触れておきたい。物語が始まって早々にゴジラとヘドラが対決する。普通はもう少し焦らしてから対決させるものだと思うのだが、意外に早い展開に驚いた。どうやら怪獣の対決を観にきている観客には、早々にでも怪獣の対決シーンを提供する必要があったのだろう。当時日活ロマンポルノ映画も、成人映画を観に来た観客の要望に早く応えるべく10分おきに濡れ場のシーンを用意することを定めていたという。きっとそれと同じことなのだろう。

タイトルバックで流れた映像のなかに汚れた海の上に投げ捨てられる女性の裸のマネキンの映像があった。マネキンは壊れていることで本物の女性ではないことがわかるものの、このカットに切り替わった刹那では、実際の裸体の女性なのではないかとドキッとさせられる。その際どいエロティックなイメージと無惨な姿で捨てられている様に、「汚染」と「女性の裸体」という対立するイメージを見事に表出させていた。

このマネキンの映像のほかにも、重油が浮かぶ海面に死んだ魚や空き缶やタバコの吸い殻などが浮遊しているカットがあった。これらのカットは劇中何度も反復されていたのだが、そのシーンは実際の映像を取り込んだものではなく、スタジオで人工的に再現された映像であった。リアリティを出そうと奮闘した当時の美術担当者の苦労が知れてなかなかに興味深い。
ドラマのつくり方は残念なことに稚拙ちせつ|なものであった。現場の自衛隊員の「充電が間に合いません」という声に隊長が「何をしてるんだ!早くしろ!!」と絶叫で応答するようなクラシカルな幼稚なシーンが多かった。さんざんTVドラマなどで観さられてき陳腐な会話の再現である。

ドラマをつくるための障害の設定も必然性なく書き手都合で勝手に展開していくので、感情の起伏を伴うドラマティカルな展開を楽しむには至らなかった。書き手都合の勝手な設定は、まさにわたしが小学生の頃、一人遊びや友達との児戯でやっていたことと変わらないものであるように感じた。

とはいえ、そもそも時間の制約が強くシナリオを練る余裕も持たされないプログラムピクチャーであり、しかも子供向けの映画でもある。シナリオの稚拙さは、まあ致し方ないのだと思った。リアリティさに極めてこだわり過ぎる、ある種の異常体質なわたしは、リアリティを欠いた出来の悪いシーンを観てしまうと憤懣ふんまん|の念に囚われしまうのだが、今回はその点に関して全く期待せずでの鑑賞であった為であろうか、珍しく不快な思いもせずに余裕で鑑賞することが出来た。最初から諦念していれば目くじら立てる必要もないのである。むしろ鑑賞後の満足感は高かった。

ゴジラが飛んだ?!


監督は、坂野義光(ばんのよしみつ)。聞いたことのない監督名だったが、調べてみると、助監督時代の経歴がスゴい。『蜘蛛巣城』、『どん底』、『隠し峠の三悪人』、『悪い奴ほどよく眠る』など全盛期の黒澤映画の作品がずらりと並んでいた。先にシナリオの出来が決して褒められたものではないと述べたものの、公害問題についてアニメーション化したポップな映像を挿入するなど斬新な表現方法に挑戦している点では好感がもてた。また当時のヒッピー文化、サイケデリック文化を取り得れたシーンもなかなかに楽しい。ゴーゴークラブでのシーン。「汚れちまった空、生き物みんな居なくなって、野も山も黙ってしまったか/かえせ、かえせ、緑を、青空を/かえせ、かえせ、かえせ、青い海をかえせ」そんな歌がゴーゴークラブで流れている。アルコールが廻り不覚となりつつある柴本俊夫が、ふと周りを見ると、サイケデリックなファッションに身を固めていた若者たちの頭が大きな魚の頭に入れ替わっていた。その幻覚のシーンは、公害によって多くの同胞たちを失った魚たちの、「私たちの海を返してほしい」という悲憤を代弁したものであろう。前述した汚れた海に浮かぶ裸のマネキンの表現にしてもこの幻覚のシーンにしても、東京大学で美学を専攻していたというこの監督の豊かな感受性を表しているように感じた。

ゴジラが飛ぶシーンがあって驚いた。「ゴジラって飛ぶんだ!」とその奇想ぶりに感心した。見せ場の一つだったのだろうか。ここだけはヘドラも登場せず、特別な余韻のなかで演出が施されていた。口から吐く火の噴射を推進力に、まずは宙にゆっくりと浮きはじめ、その後火の噴射の方向を正面に向け、ゆっくりと宙を移動していくのだ。口から火を噴射する方向とは逆に飛んでいくわけで、つまり背面に向かって進んでいくわけだ。バックミラーもなしに飛び続けるわけだから、ゴジラは事前に後方の空間認識を充分にしておかないと大怪我に繋がりかねないなと心配する設定であったが、その些か奇抜な映像に不思議に魅入られることになった。この厳かな飛行シーン、どこかで観たことがあるなと思ったのだが、それが子どもの頃の鑑賞時の記憶から蘇ったものなのか、TVのゴジラ特集のようなもので観た記憶なのか判然としなかった。

残念なことに坂野義光監督は、映画の公開後、勝手にゴジラを飛ばしたという罪で、入院の為、現場から離れていたプロデューサーの逆鱗げきりん|に触れることになったらしく、次回作もゴジラを取る予定だったのに降板を余儀なくされたという。そして3年後の『ノストラダムスの大予言』を最後にこの監督は劇映画から手を引くことになった。その後はドキュメンタリーの映像作家として、自身の得意とする水中撮影を中心に数々の海洋もののドキュメンタリー作品を多く残したようだ。

映画のラストカットで再びへドラの不気味な姿が現れる。ヘドラはゴジラによって退治できたかもしれないが、公害問題は決して解決したわけではない、いつ新しいヘドラが生まれてくるかもわからないという。この不気味に光る赤い双眼のへドラの姿は、行き過ぎた現代社会への警句である。決してスマートな演出とはいえない一枚のヘドラの静止画のカットを単純に挟んだだけの演出であるが、この映画の主題はここにあるのだという作家の意思が感じられ好感が持てた。またそれとともに、現代社会の歪みから汚穢おわいを|まと}誕生したこの怪獣の形象、そのデザインの出来に、監督も制作陣もいた|く満足を得ていて、最後にもう一度この「ヘドラ」の姿を観客に提示したいということもあったようにも感じた。

母との思い出

最後にこの映画を連れて行ってくれた母の思い出について。この映画を観ていまは亡き母を追慕したかったのだが、流石に母との思い出自体を蘇らせることには至らなかった。当然ながら、どのような交通手段で行ったのかも映画館での会話もその後の食事なども一切記憶から蘇ることはなかった。そもそも汚いものがよっぽど苦手で病的なほどに潔癖症であった母が自らヘドラの映画を選んだとは思えない。わたしが小学校でこの映画の噂を聞いて母にお願いしたのだろう。目黒通りの映画館での上映だったので近かったというのも手伝ったのかもしれない。その後、母は情操教育としてもう少しふさわしいものをと考えたのか、映画『トムソーヤ』の上映会に連れて行ってくれたことがあったが、母の期待とは裏腹に、わたしにとっては全く面白みの欠けた印象に終わった。ヘドラの映画鑑賞は、母にとっては単なる子どもの鑑賞の付き合いであり何らの感傷ももたらされなかったであろうが、図らずしも小学校1年生にして公害問題を知るという小さな社会意識の醸成につながっていた。ただ、残念なことに母はそれに気づくことはなかったということである。母が生きていれば、この話をしてみたかった。

全くの余談。

長々書き連ねてしまったが、ここからは余談。ヘドラにまつわる苦い思い出について。

映画の記憶が50年後に蘇るだろうかということとは全く別に、原稿を書きながら忘れていた記憶が蘇ってしまった。以前、横浜で行われている現代アートの国際展のコンセプトワークとプロモーション方法についてのコンペがあり、そのコンペに参加できるきっかけを得たことがあった。関係者とつながりのある美大出身の或るクリエーター集団にコンペ参加の要請があったのだ。コンセプトワークやプロモーションについてのプランなど、クリエーターの活動とは異なる企画制作でもあり、予算も大きく大手代理店なども参加する大規模なコンペだったので、しっかりとした企画書を提出する必要があった。そんな訳でその若いクリエーター集団から、この手のプランニングや企画書作成に手慣れたわたしに応援の打診があったいうわけである。

企画提出まで時間は限られていたので、メインのコンセプトを早急に決める必要がありみんなとブレストを行った。そのなかの意見のひとつに、街のなかの至るところに”ゆるキャラ”を置いたらどうだろうかというものがあった。わたしはすぐにそれに意見した。コンセプトにつながるキャラクターを街中に置くというのはトリエンナーレ自体に興味のない一般層や非認知層への訴求効果が期待できるので賛成できるのだが、”ゆるキャラ”というのはもうひとつ面白くない。”ゆるキャラ”という居心地の良さはアートとは言えない。現実との葛藤や普段見慣れている日常を切り崩すようなもものがアートであって、”ゆるキャラ”のように居心地のよい意匠を楽しむものをアートとは呼ばないのではないだろうか。むしろ”ゆるキャラ”という居心地の良さを拒絶するところにこそアートは立ち上がるのではないだろうか。せめて”キモかわいい”というところに着地させたいと述べた。

そこでみんなで、“キモかわいい”キャラの事例や現状を知りたく、いろいろと画像検索をして意見を戦わせたわけであるが、わたしは、これぐらいに尖ったものも面白いと思うよと、へドラの映像をみんなに見せたのである。彼らはわたしより20歳も歳下、みんなはへドラの存在を知らなかったのだ。

さて方向がきまり各々制作に取り掛かった。ただ基本的に企画書をつくるわたしにばかり負担が集中し、彼らのほうは些か手持ち無沙汰であったのかもしれない。キャラクター自体は、わたしの知っている女性アーティストに任せてみたいという気持ちがあった。彼女が過去につくってきたキャラクターは、オシャレであり一見可愛いらしいけどある種の強い毒を持っており充分にインパクトがあった。彼女の既存の作品でも良いと思ったのだが、やはりクリエーターである彼らは自分の手でつくりたいと思ってしまったようであった。他の担当者は手持ち無沙汰気味であったが、キャラクター担当者だけが根を詰めて徹夜続きで働いていた。数日後、出来上がったキャラクターがみんなに披露され、わたしはそのキャラクターの姿に嘆息してしまった。ヘドラのグロさを越えようと苦心した跡があったが、それはあまりにへドラに似ていたのだ。わたしの強い意見に引きづられてしまったのだろうか、それともわたしのへドラへの意見が決定事項と思われてしまったのか、またはへドラの意匠に彼自身が強いインパクトを受けたのであろうか。提示された絵をみながら、このままで良いのだろうかという不安がわたしをよぎった。

企画書は100ページにも及ぶような長大なものとなり、提出用に20部も刷らなくてはならず、そのすべてを製本する必要があった。企画書を提出したものの、わたしのなかには手応えのようなものはなかった。期待薄という予感は正しく、すぐに落選の知らせが入った。関係者の裏話によると、集められた企画書のなかで、私たちの企画書は気持ち悪すぎるという理由で即刻全員一致のもと選考から外れてしまったということであった。

若いクリエーターたちは恵比寿という好立地な事務所を借りていたが、その事務所はいまにも崩れそうな老築化した一軒家の一階であり、彼らはそこを破格の値段で借りていた。借りられるのは持ち主の遺産分割が始まるまでの僅かな猶予でしかなかった。彼らに転がり込んだコンペ参加の要請は、彼らにとって、実績づくりへの大きな期待でもあったが、それ以上にコンペに勝って大きな予算を手にし、少なくてもこの困窮から抜き出たいうという願いが伏流していたのだろう。たまさか毒のあるものとしてへドラを強く推してしまったことが悔やまれる。しかも選考員全員一致で即刻選考外の不名誉。コンセプト案の趣旨もプロモーション案も一切顧慮されることなく落選したのだ。気味悪いものを提案したということで、彼らのもとに今後新たな提案の打診が舞い込むことも期待できないであろう。申し訳ないことをした。苦い思い出である。

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