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ちょうど1年前、休職中の2020年12月5日。 初めての日記には、「1年後の僕は幸せですか?」との問いかけが。 不安で押しつぶされそうになっていた1年前の自分に、そしていつも支えてくださっているnoteの皆様に、本日はご報告があります。 かなり長くなりますが、お付き合い頂けましたらとても嬉しいです。 ご報告昨日、2021年12月4日。 私は学生時代からお付き合いしている方にプロポーズを致しました。 お恥ずかしながら、花束とお手紙を手に、「結婚してください」とお伝えしたところ
この土日は悲しい出来事が立て続けに起きて、つらい週末でした。 改めて、心からご冥福をお祈りします。 私事ですが、本日は誕生日。 26歳になりました。 将来や次の1年について思いを馳せ、色々と考える機会です。 私は決めました。 「彼らの分も生きよう」と。 これまでは、なんとか自分の足で歩けるようにともがいていましたが、26歳はさらに前へ行きたい。 今という時間を生きられることに感謝して、亡くなった方々の事を忘れずに。 今はそんな思いです。 実は先週からやりたいことという
昨日の「減薬開始」の記事に、多くのスキをいただきましてありがとうございます。 そのなかで、 「減薬について、どんな過程で進めていくのかなど気になっているので、またぜひ記事に書いていただけますと嬉しいです!」 というコメントを頂きましたので、詳しく書いていきます。 コメントしてくださった”つよがり”さん、ありがとうございました! 私は医学的なことは何もわからないので、一患者としてお医者さんと話したことや経験を中心に書いていこうと思います。 簡潔にまとめますので最後までお
もちろん、今は元気なんです。 でも、抑うつになる前の柔軟性というか、変化に対する耐性というものが、少しづつ失われてしまってきている気がして。 こんにちは。唐突に何事かと。 今日はある会議にて、今後業務をどうしていくのか、改善点を出し合うといったような議題がありまして。 それまで脈々と培われてきた業務の上に、今ののんびりした私の働き方がありますが、その根底が「改善」の名のもとに切り崩されるんじゃないかという恐怖(大げさ)を感じました。 改善案を出していくということは現状のま
今朝はメンタルクリニックへの通院でした。 すっかり気心の知れた先生と15分ほど面談。 結論としては、異動から半年となる来月から薬を減らしていきましょう、ということに。 よかった... 3週間に1回のペースで通院し、「スルピリド」と「ロラゼパム」という薬を処方して頂いています。この量を段階的に減らして、最終的には0にして治療終了を目指しましょう、とのことです。 よかった...(2回目) 気持ち的にはすっかり元気なんですが、この活力が服薬によるものかもしれないと考えることもあ
休職から1年経ちました。 2020年9月24日に休職生活に入った私は、当初1ヶ月程度で戻れると思っていましたが、気がつけば3ヶ月が経ち、結果的に7ヶ月も休職しました。 この7ヶ月は、自分とひたすらに向き合った、試練の7ヶ月でした。 「抑うつ状態」と診断された当時の私は、帰省して家族や友人にも会えない、デートもできない、出かけられない。そうした状況でストレスをため続け、いやいや仕事をする中で数字も上がらず、いつの間にか出社時に嘔吐くようになっていました。 コロナがなければ問題
時が経つのは早いような、長かったような。 1年前の今日、心が悲鳴をあげて初めて精神科を受診しました。 精神科医と何を話せばいいのか分からず、ネットで調べた「話すべき4つの要点」をスマホにメモして行ったのをよく覚えています。 当時のメモは、今も残していますのでいくつか抜粋します。 ①今、何に困っているのか 仕事やその他の物事に対し意欲や興味が湧かない。 無気力が続き、精神状態の落差が激しいと感じる。 ②いつから困っているのか コロナ禍でのテレワーク等環境の変化が大きかった(
復職して2か月が経ちました。 この間、目に見えて日は長くなり、気温も湿度も上がりました。 心は日々軽やかで、出社時に吐き気を催すこともなくなりました。 いい傾向だと思います。 仕事では覚えること、慣れることがたくさんあり、 でもその都度周囲に支えてもらいながら、 広報人としてのスキルをちょっとづつ学び取っています。 プライベートでは、さすがにまだ外食はできませんが、 彼女や友人に会ったりと自分なりにリフレッシュできています。 今日は、久しぶりの外出となります。 友人宅への
”If you don’t like where you are, change it. You’re not a tree.” 今いる場所が嫌なら変えた方が良い。あなたは木ではないのだから。 ジム・ローン(アメリカの起業家、講演家、作家) 本日、上司との1対1の面談がありました。 上司から「最近の調子や業務量について聞かせてほしい」と申し出があったのです。 面談では、出社時の吐き気がなくなったことや業務量・サポート体制に感謝していることを伝えました。 上司からは、今後体
前編はこちら 転機は、突然人事部に呼ばれ異動を告げられた時。 志望に近い部署に、特殊な形ではあるが行ってみないかという提案。 詳しくは下記。 人事本部付になるという、とても特殊な形だったので、そこの意図を図りかねて即答はできなかった。 でも、心は決まっていた。 翌日から、営業部ではなく人事本部付となった。 今の会社において「~本部付」は、退職する人が、退職までの間引継ぎ業務を行う際の最後の肩書であるため、何も知らない同期や後輩や先輩からは 「辞めるの?」 と心配された。
2021年4月26日(月)。 私は213日ぶりに元いた会社に出勤した。 大安であった。 当時の日記には、 「半年ぶりの通勤中。体調は良好。天気も良く晴れている。 不安は大きい。でも何とか今は前を向けているので、ボチボチやっていこうと思えている。」 とある。 この時は、新しい部署になるということで心機一転の気持ちと、 旧知の方々が休職中に辞めたことによる不安が心を占めていた。 復職なんて人生にそうそうあることではないから、 どんな心持ちで臨めばいいかわからない。そんな朝だ
悩みは尽きない。 現職への不満と、転職への不安だ。 確かに現職は苦しい。人間関係こそそこそこ良好だが、この先の業績と目下のノルマは苦しすぎる。どういう算術であのノルマは降ってくるのか。上層部と現場の認識は日に日に離れていくばかりだ。 しかしでは簡単に転職できますか?、という話だ。このコロナ禍で。 今日転職エージェントと面談を行った。求人の振り分けなど行ったが、相変わらず自分の軸のなさを自覚するばかりで、未来への希望は持ち得ようが無い。 完全に板挟みである。 なぜ職を変え
前編はこちら 帰路、ずっと考えていた。 「私が君なら、辞める。君にとって、その方がいい。」 その意味は。その意図は。行間に何かあるのか。 考えたけれど、あの方の瞳はまっすぐに私を見つめていた。 歩きながら、家族に電話をかけるころには、「辞める」という決意が揺るぎないものになっていた。 大阪の母親は1コールで出た。先ほどあった出来事を話し、 「いろいろ悩んだけど、やっぱ辞めるわ」と伝えた。 両親の反応は意外というか、「お前が決めたのならそれでええ。好きに生きろ」とのこと
私は、すごく迷っていた。 「ここは自分のいるべき場所なのか?」と職場に疑問を持ち続けていた。 それでも何か得られるべきだと期待して、自分なりに能動的にも働いていた。石の上にも三年という言葉もあるし。 その結果、無理が集って徐々に疲弊し精神が保てなくなり、「抑うつ状態」と診断されて、半年間の休職。どん底の半年間だった。 この間、家族や友人を初め多くの人に支えられながら、「生きているだけ」状態から「ちょっと前向きに生きられる」ようになった。 そして先日、半年ぶりに復職した。