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25歳、決意の退職(前編)

私は、すごく迷っていた。
「ここは自分のいるべき場所なのか?」と職場に疑問を持ち続けていた。
それでも何か得られるべきだと期待して、自分なりに能動的にも働いていた。石の上にも三年という言葉もあるし。
その結果、無理が集って徐々に疲弊し精神が保てなくなり、「抑うつ状態」と診断されて、半年間の休職。どん底の半年間だった。
この間、家族や友人を初め多くの人に支えられながら、「生きているだけ」状態から「ちょっと前向きに生きられる」ようになった。

そして先日、半年ぶりに復職した。

ここまで回復できたこと自体は素晴らしいことで、復職に際してもさあ頑張るぞと力んでいたんだが、職場に戻ってみると、

・相変わらず高い離職率

・その穴埋めには足りない人員

・どうやって弾き出したか分からない高すぎるノルマ

・それらに疲弊した部と上司

と出鼻くじきのプロ達が乱舞していた。


(このままではいかん、また、病む)


と思ったので、部署異動を打診したものの、会社には難色を示された。


(いかん、このままではっ...!!でも、どうしたら...)


との思いが募っていたつい昨日。職場の信頼できる人に呼ばれて、こう言われた。


「私が君なら、辞める。君にとって、その方がいい。」


この言葉にも驚いたのだが、もっと驚いたのはこの言葉が社内でもやんごとなき身分の方の口から出たことだった。役員以上の方のセリフである。
なんということか、と思った。飲み込むのに時間がかかった分、その方の瞳を見つめ続けて真偽を確かめたのだが、その方は本気だった。そして、こう言われた。


「今のこの会社が、君や若手の育成に投じられるリソースはありません。残念ながら。」

...?

ここまで残念な「残念ながら」は無いかもしれない。これまで何かを得られるかもしれない、いや得よう、と思って心を病むまで仕事をしてきた私にとって、とてもショックな言葉だった。
ご縁あり、新卒で入って丸2年。休職期間を除いて1年半、心身を捧げてきた職場に言われた、残念すぎる言葉。

薄々分かっていた。
尊敬していた人や好いていた人ほど辞めていく。
その要因は聞く耳を持たぬワンマン経営の社風にあるとも知っていた。だからこそ入社後結構早めに違和感を持ったし、その後心を病んだ。
だが、分かっていたとはいえ、私に向けて放たれたこの言葉は、胸を貫くどころか、圧倒的な重力で私をぺちゃんこにしてしまった。衝撃がでかすぎた。

その方の瞳は、こう言っていた。


(この会社にいても未来はない。)

全てを飲み込んだ時、私は決意した。
周りから見たらささやかに見えるだろうけど、
自分にとっては人生の一大事であるこの決断。

(もう、会社を、辞めよう。)

後編につづく

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じとめん
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