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生きていくためのコンパスたち

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「人生とは」「生きるとは」 分からないことだらけの命題に少々の光を。
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#日記

”挫折”を知らない君へ

週末に友人と興味深い議論をしました。 ずばり、”挫折”について。 私は高校では不登校、社会人では休職など大なり小なり”挫折”と呼べる経験をしていて、そのたびに周りの人に「どっこいしょ」と起こしてもらっています。挫折を通じて、自分の弱さや周囲の愛を知り、身のほどを知ることや、背伸びするタイミング、自分のキャパシティなど多くのことを学び得ました。だから、私は挫折が人生を豊かにするのだろうと信じて疑っていません。 一方、件の友人は「挫折をしたことがない」という悩みを持っているそ

”偶然"を大切に。

なんだか、個人的にとても腑に落ちるお話を聴いてきました。 昨日、弊社の社員教育の一環で、「キャリアデザイン」に関する研修を受けてきました。 社会人になってからというもの、冷静に自分の「キャリア」を省みたことがなかったので、いい機会だと思って参加しました。 内容を簡単にまとめますと、 「キャリアとは経験を通じて能力を蓄積していく過程であり、 キャリアデザインとは明確な将来像ではなくその過程を考えること」 となります。 小難しいですが、要は結果ではなく過程だよね、ということ。

まずは自分

私には2つの転機が訪れようとしています。 祖父との別れと、新しい家族との出会い。 対称的なこれらの転機が同時にやってくることに、さすがに戸惑いを隠せませんが、ひとつひとつ乗り越えていこうと覚悟を決めております。 明日は婚約者のご家族へのごあいさつ。 緊張していたのですが、なんだか腹が据わってきました。 受験とか留学とか就活とか、本番が近づくといつもこんな感じ。 自分でも大したものだと思います。 でもたぶん今夜はぐっすりとは眠れないかな。 一方、祖父は依然として危ないながら

あなたが虚しく過ごした今日という日は、昨日死んでいったものがあれほど生きたいと願った明日

私の父は医師です。 父は時々、「人は死ぬ時は死ぬ」と言います。 真意を尋ねたことはないですが、医師として人の命と向き合い続けてきた中で育まれた、ひとつの価値観なのかもしれません。 今、私は思います。「その通りだ」と。 大阪の放火事件以降、「生と死」について考えることが増えました。 決して私自身がどうとか、希死念慮とか、そういったものではありません。 純粋にと言うと変ですが、 「人は何故生き、そして死ぬのか」 という問いが頭の片隅を占めるのです。 真理と呼べる答えは多分無いか

「成長」という宗教

「成長」について興味深い記事を見つけました。 詳しくは記事を参照していただきたいですが、こちらの言葉に要約されているんじゃないかな、と思い引用いたします。 記事から受ける印象や感想は人それぞれだと思いますので、あくまで私の話をさせていただきます。 「成長したい!」 そう強く思っていたのは休職して3ヶ月ほど経った頃。休職しているとはいえ入社3年目になろうかという時期で、同期の活躍が眩しく映るそんな日々でした。 「みんな、頑張ってるんやから自分も」という複雑な気持ちを単純化

”意欲”とも”焦り”ともとれる何か

毎日出勤して仕事をすること。 その対価としてお金をいただくこと。 こうして毎日noteで何かを発信すること。 周囲の人々と関わりを持つこと。 なんだか、ようやく”普通”に戻れたかな、と最近思えるようになりました。 今の日本の現状を考えたら、実は”普通以上”の営みができているのかもしれないな、とも。 心を病んだ者として、ここまで戻ってくるには相応の時間と努力、覚悟が必要であったと、今では振り返って思います。 でも、世の中にはもっと頑張っている人がたくさんいる。 人の命を救っ

風雨と陽光を自らの肌で存分に浴びてこその生涯

昨日両親から送られてきた朝日新聞の切り抜き。 この言葉、とても含蓄があるなと思います。 失敗の無い人生は、何も挑戦しなかった事と同義。 「あらゆることを 自分の勘定に入れずに よく見聞きし分かり そして忘れず。」とは「雨ニモマケズ」の一節ですが、まさにそんな感じで、多様な経験をして自分のものにしてこその人生かなと思うのです。 私には先日も記事にした、挫折を知らない友人がいて、それはそれでいいんだろうけども、トータルで見た時にどうなの?という考察をしたこともあります。

現実は厳しい

昨日、上期(4~9月)の評価が上から降りてきました。 復職して以降の働きぶりを評価される時です。 結論から言うと「A+」、「中の上」といった感じの評価でした。 これに関しては、上出来だとは思うんですが、まあなんというか、少々不満もあります。 復職して、新たな部署に馴染み、業務を覚え、資格を取った。 自分の主観ではかなり頑張ったと思っています。 それこそ「上の下」くらいは頑張ったよな、と。 でも、社会人は相対評価。 本人が頑張ったと思っても、では会社にどれだけ貢献したの?と

「元気?」って聞かれた時、一瞬つまる

だいたい「何とかやってます」とか「ボチボチですね」という返事になります。腹の底から「元気です!」とは言えない。そんな日々です。 いや、元気なんですよ、心身ともに。自覚としては。 ただ、対人関係など外に向かって、無条件に「元気です!」と言ってしまえるほどそうじゃないというか。 これはたぶん、 ・元気と言い切れる自信がない ・保身 が主な要因だと思います。 元気と言い切れる自信がないというのは、ある種当たり前で、だってまだ薬を飲んでいるのですもの。 服薬も通院もせずによくな

みんなで支えるから

私の妹は適応障害で休職中です。 原因は人間関係と、合わない仕事。 仕事以外のことは元気に話しますが、仕事のこととなると急激に落ち込み、うつ状態になってしまいます。 私も似たような状態だったのですが、妹は私より気分の波が激しい様子。 家族からは仕事の話をしないのですが、「傷病手当金申請書」や「診断書」の提出に関しては話さざるを得ない。 実は、当初の診断が3か月の休職ということで、その期限が迫っているのです... これ、苦しいところですが本人が動かないと上から降ってくるものでは

人から何を学び取れるか

今日、父が還暦を迎えました。 おめでとう。 いつもお疲れさまやで。 還暦ということは、私の2.4倍生きているということで、 単純な計算だけれども偉大なことだと思います。 また、その年まで社会人として休むことも大病をすることもなく働き続けていることについては、20代ですでに半年の休職をした私から見ればとてつもないことのように思います。 長い間、おつかれさま。 そして、ありがとう。 長生きするということは、色々な経験をしてきたということ。人生の先輩という言葉もありますが、例え

毎日noteを書き始めて半年

早いもので、毎日noteを書き始めて半年が経ちました。 初日の記事はこの2本。 このころの気持ちは、退職に100%偏っていました。 というのも、復職したはいいが戻った部署は心を病んだその部署であり、以前と何も変わらないことに絶望し、苦悩していたから。 「もう環境を変えるしかない」と決意し、その表明としてnoteという外部からも読まれる公の場にて宣言した、ということになります。 そして本音は、「誰か、話を聞いてくれ」ということだったと思います。 その後いろいろあって、自分な

自分らしく生きるのが一番

人の悩みの大半は、人間関係の悩み と言われるように、 人付き合いで悩み、気を使っている人は多いでしょう。 だけどどんな風に接しても 2割の人には好かれ、2割の人には嫌われ、 6割の人にはどうも思われていない。 こんな人間心理の法則があるらしい。 嫌われないように気をつけていても 絶対誰かには嫌われるんです。 だから、みんなから好かれようと 過剰に気を使う必要はないんですよ。 逆を言えば、 どんなにダメな自分でも 2割の人は好きになってくれる。 全員に好かれなくても

今を生きる

先日とある人と話していた時、「あなたは将来のことを考えすぎ」と言われました。 たしかに、少し過剰に心配しすぎた面もあったかも、とちょっぴり反省しました。 最近は将来に向けた投資とか、結婚の段取りとか、子供の教育にいくらかかるとか、賃貸と持ち家どちらがいいとか、そんな話題ばかり話していたので、辟易されたんだと思います。 考え方も、目線も、全て将来に軸が行っていた。 少し心配性になっている気もします。 そうではなくて、もっと肩の力を抜いて、今を生きなさいと。意訳するとそんなこ