強烈な鉄道オタクであった息子の子育てをふりかえる

鉄道は移動のための手段であるという認識しかなかった私が、ひょんなことから鉄分多めの息子を産み落とし、また新たな世界の扉が開いた。

息子が1歳を過ぎた頃だろうか。同じ年頃の子たちが「おかあさんといっしょ」などの教育番組を観るのに、彼はBS「鉄道絶景の旅」という番組が何より好きで、その小一時間あまりを身じろぎもせず見入っていた。

また生まれて初めて、蒸気機関車を目の当たりにした時には、興奮のあまり鼻血を流した。言葉をまだ発することが出来ない幼な子の、鉄道にかける情熱を体現する彼の姿には、驚異と得体の知れない戦慄を覚えた。

字も読めない年齢なのに「鉄道ファン」なるコアなおっさんたちが購読する月刊誌もいつしか愛読するようになった。

小学生になり、夏休みは各地の鉄道博物館や大きな駅を巡った。蒸し熱い灼熱の気温の中、名古屋駅で1時間以上も駅のホームをくまなく探索し、何台も何台も電車を見送った。

小さい体のどこにそんな探求心がつまっているのだろうかと、付き添いながらそのバイタリティーに舌を巻いた。思い返せば、息子の期待や意欲に応えようと、私も必死だった。

鉄道のどういったところがそんなに好きなのかと息子に問うと「直通しているところ」と答えた。鉄道が好きな人には納得してもらえる答えであるらしい。しかし、もう私には理解不能であった。ただひたすら彼についていくしかなかった。


鉄分多めの息子はやがて大きくなり、鉄分は落ち着いた。目新しい分野が次々と現れて、もう鉄道関係への関心はだいぶ薄れたようだ。

だが彼が小さき頃に経験した探求心や情熱は消えてはおらず、彼の興味関心がいくところにその突き詰める力を発揮する。それにより、彼が探求する分野はすべて深い知識力に裏打ちされたものとなっていく。

「三つ子の魂百まで」もというが、それは本当なのかもしれない。母親は時に単調で孤独な戦いを強いられて、心身共に窮地に追い込まれることもままある。しかしその時の辛さを、ものの見事に払拭するのが、そのような三つ子の魂が昇華された時ではないかと思っている。私のささやかな努力は無駄ではなかったと思いたい。一緒に培ったことはすべて子どもの血肉となり、また親の胸に刻まれてずっと残り続けるのだと、今しみじみと息子の横顔を見ながらそう感じている。


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