パンを踏んだ娘 愛国者学園物語 第207話
日本の多くの路上で、踏みつけられたフランスパンが散乱した。
それをファニーとフランスへの抗議だとして、称賛する文化人も少なからずいた。そういう人間たちはフランス製品をボイコットしようと主張し、フランスのブランド品を扱う店が多い銀座でデモ行進をする者もいた。政府で広報を担当する内閣官房長官は、ある日、記者にこの件を質問されて答えた。
「
悪いのはあのフランス女である。大人しい日本人がワインを捨て、パンを踏むほどの怒りを私は止めようとは思わない」
自らが日本人至上主義者であり、そういう人間たちの集合体である政権与党の大幹部である彼は、心の底からそう思っていた。
怒りを感じたのは大人だけではない。日本にある多くのパン屋に、招かれざる客が来たのである。目つきの悪い小学生や中学生ぐらいの子供たちが店員に、
「フランスパンはあるか」
と犯罪者みたいな口調で尋ねることが頻発した。そして店員がないと言うと、彼らは鼻息も荒く店を出ていったのだ。それに加えて、フランスパンの在庫を問う乱暴な口調の電話が多いので、SNSや張り紙を最大限活用して、フランスパンの販売中止を宣言した店も多かった。ネット社会に流れる、フランスパンを踏みつける動画の中には、子供がそれを行なっている動画もあったので、それを見た人々を驚かせた。なぜ子供はフランスに怒っているのだろうか、と。
このフランスパンを踏むという抗議の前に、意外な人物が立ち塞がった(ふさがった)。
童話で有名な19世紀デンマークの作家アンデルセン
である。彼の作品「パンを踏んだ娘」が、あっという間に世界に広がったのだ。それは、傲慢(ごうまん)な娘が自分の服を汚さないために、もらったパンを道路の水たまりに放り込んだ。そして、パンを踏んで渡ろうとしたが、底なし沼に沈んでしまう。その後は、小鳥に転生して善行を積み、天国に行くという話であった。
日本人至上主義者たちに抗議する全世界の抗議者たちは、この話を知って、「パンを踏んだ娘」という言葉を書いたプラカードを掲げてデモをした。あるいは、傲慢な娘のコスプレをして手にはフランスパンを持った人々が、街を練り歩いたのであった。
フランス政府も黙ってはいなかった。以下は、在東京のフランス大使館のツイートである。
「ワインを下水に流さないで。ワインは楽しんで味わう飲み物です。
フランスパンは踏みつける物ではありません、私たちの糧です。
国旗は焼き捨てないで。それは尊重すべき旗です。
フランスが嫌いならそれで構いません。でも暴力は止めてください」
フランス大統領府もコメントを出した。
「言論の自由は、民主主義を形作る権利の一つであり、あらゆる人間に与えられた権利である。
ある言論に対する抗議は、言論によってなされるべきである。暴力的な抗議は認められない」
この二行のみであった。
もちろん、日本人至上主義者たちはこれに激怒した。あのコメントはファニーに味方する内容であり、我々の抗議を許さない暴力である、と。これは奇妙なことであった。ファニーとフランスへの抗議と称して、フランス関連施設やフランスの物産を売る店に対して、
破壊活動を繰り広げている日本人至上主義者たちが、自分たちは暴力の被害者であると言い出したのだから。
フランスでは、極右のフランス人至上主義者たちが、反日デモを実行した。彼らはなぜか日本のインスタントラーメンを片手に、街を練り歩き、それを足で踏みつけては奇声をあげた。
彼らは日本のラーメンを粗末にする
ことで、フランスパンやワインを粗末に扱った日本人至上主義者たちへの報復とみなしていた。
デモ隊の一部は暴徒化し、パリの日本食レストランや漫画を売る書店になだれ込んで店を破壊し、それを止めようとした店員たちをぶちのめした。あるラーメン店で働くジブチ系フランス人店員は、
「ラーメンに罪はない!」
と叫んで、乱暴者たちを止めようとしたが、ひどく殴られて入院するはめになった。彼女が袋叩きにされる動画は、ネットを通じて、あっという間に世界に広がった。
そのような暴力沙汰と食べ物を粗末にするデモに、多くのフランス人が反対した。反対派は、ラーメンを踏みつけても、日本人至上主義は変わらない。それにいかなる理由であれ、食べ物を粗末にするのは間違っていると主張し、多くの賛同を得た。また、食品業界や美食家たちも、これに反対し、別の方法で抗議すべきだ、ラーメンに罪はないと、繰り返し語った。
そんなある日、パリでデモ行進が行われた。それは、デモ参加者たち一人一人がフランスパンやクロワッサンを手に持ち、静かに行進するというデモで、日本への怒りを激しく叫んだり、日の丸を踏みつけるものではなかった。3万人が参加したその静かなデモを
機動隊の指揮官として警備したフランソワ・シャルティエは
、上司への報告書に、
「静かで整然としたデモだった。彼らを動かしているのは内に秘めた静かな怒りに思えた」
と書いた。
日本のラーメンを心から愛する彼は昇進して警部から警視になり、暴動の現場には出なくてもよい立場になっていた。だが彼は一連の出来事が他人事に思えず、上司の許可を得て、再び荒れる現場に出たのだった。フランスのマスコミは彼の元に急いだ。
「ラーメン警視はファニー騒動をどう思う?」
そんな見出しが繰り返しメディアのヘッドラインを飾り、シャルティエ警視は世間の注目を浴びた。
彼は述べた。ファニー・ジョフロワの本に書かれている日本を批判する話題は、全てが実在するものである。これは、マスコミ各社の調査でも明らかだ。その内容は日本人には耳が痛いだろうが、言論の自由がある民主主義社会では、ファニーには彼女の本を出版する権利がある。
だが、自分の気に入らない意見の持ち主に対して、暴力をもって反論することは、議論の手段として認められない。
日本で、デモ参加者がフランスパンを踏みつけることで、ファニーに対して抗議をしているとは信じ難いことだ。食べ物を大切にする考えからも、止めてもらいたい。日本では農民が88日かけて1粒の米を作ると言って、主食である米を大切にすると聞いている。そういう考え方をする国民なら、食べ物を粗末にしないはずだ。
そしてシャルティエは、日本人至上主義者の怒りに触れたうえで、フランスパンやワインを粗末にしないで欲しいと、心からの想いを語った。また彼は、フランス人至上主義者たちが日本のラーメンを踏んで捨てる行為も間違っている、と言うことも忘れなかった。
シャルティエは子供への視点も持っていた。だから、この暴動に、愛国者学園のような日本人至上主義を教える学校の子供たちが多数参加していることは驚きだと、語った。彼らが、自分たちは子供ではない、愛国者だと言って暴動に参加していることに、私は疑問を感じたと言い、子供の本分は、社会常識を身につけるための勉強と家庭生活であり、暴動に参加することではないと述べた。
そして最後に、シャルティエはまとめた。日本であれ、フランスであれ、暴力的な抗議は間違っている。言論には言論で反論すべきだ、と。
彼のインタビューが世に出たころ、パリで
「コルクのデモ」
と称するデモが行われた。これは参加者がワインボトルではなく、それに栓をするのに使うコルクを手にしていたことから、その名がついたのだ。中身入りのワインボトルを壊すような行為は日本人至上主義者たちがしているので、こちらでは、コルクだけを持って静かにデモをしようということになったという。これは、フランス各地で、特にワインや小麦の産地で繰り返し行われただけでなく、やがて世界中に広まり、日本でも何度も行われた。それにはフランスが好きな著名人やレストラン業界、それに製パン業の関係者らも参加し、日本人至上主義者たちの暴力的な抗議に反対したのであった。
続く
これは小説です。