それぞれの思惑 その2 愛国者学園物語 第241話
どうにか第1回目の討論会が終わったが、吉沢の心は穏やかではなかった。どうにか、強矢を抑えることに成功した。討論が終わって控え室に戻ってから、強矢の顔を見ると、それはまるで鬼で、その恐ろしさ、異様さに肝が冷えた。
言いたいことが沢山あるんだろう、それくらいはわかった。だが、自分は何度も中止サインを出して、強矢に発言させなかった。それで不満が溜まっているに違いない。
強矢は討論会に向いてない。
その訓練も受けていないし、短気で忍耐が足りない。それに言うことが苛烈(かれつ)だから、それを相手に逆手に取られて、自滅しかねない。それは奇妙な矛盾だった。言葉遣いの荒いことで有名な吉沢が、討論には冷静な態度が必要だと実感しているのだから。それを認められるくらい、吉沢には積み上げた人生の知恵があった。だが、強矢には?
正直言って、根津と討論なんかしたくなかった。吉沢は根津のことを、今でも友人だと思っているし、仲直りして、昔のようにざっくばらんに話したい、そう思う時もある。
その一方で、根津の巧妙さというか、その頭脳の明晰さ(めいせきさ)に驚き、あるいは、気味の悪さもぬぐい去れなかった。彼は警察庁に入庁して以来、公安畑などで情報の仕事をしたあと、情報機関の内閣情報調査室の室長に、つまり内閣情報官という、スパイなどからの情報を集めて分析する組織のトップとして名を馳せた(はせた)男だった。
吉沢は根津が自分に示してくれた友情を忘れてはいないが、その反面、その友情が作為的(さくいてき)なものであり、彼はスパイのテクニックを使って、政権与党の有名議員である自分に接近し、その心を掴んだ(つかんだ)のではないか、そういう気持ち悪い疑惑も捨てられなかった。とにかく、あいつは良くも悪くも人の懐(ふところ)に入るのが上手いのだから。
だから、そんな男に自分の全てが分析されていて、心の中まで見透かされているのではないか。そういう疑念に取り憑かれて(つかれて)もう何年にもなる。
今回の討論会では、吉沢は秘密のジェスチャーを使って、強矢をコントロールしたが、その意味も既に解読したんじゃないか。
右手か左手の親指を隠すように手を握るのは、その話題は止めろ。
人差し指で頬をひっかくのは、話の流れを変えろ、という意味だった。
世界中の情報機関が行なっている暗号解読に比べたら、こんなジェスチャーの意味を調べるなんて、根津のような男には朝飯前だろう。それに、あいつの背後には世界的なマスコミ・ホライズンがいる。そんな連中が総力を投入したら、こんな身振り手振りなんかすぐにバレてしまう……。
強矢は、世界の自民族至上主義者たちが自分たち日本人至上主義者にエールを送っているというニュースをネット経由で知り、大いに喜んだ。
その中心にいるのは自分なのだから!
自分は世界に日本人の愛国心というものを見せつけているのだ。それは、愛国者学園の仲間たちや教師たちが、第1回目の討論会を終えた自分たちを褒めてくれたことでも、明らかだ。後輩たちの喜ぶ顔、美鈴たちをぶっ潰せ(つぶせ)と言う先輩たち、それに、教師たちの賞賛。それらは、吉沢が討論会で強矢に命令したような「黙っていろ」というハンドサインの多さとは、正反対の態度だった。
(吉沢先生はどうしてあんなに自分に命令をするのか)
愛国者学園の学園生として、「偉い人」の命令には絶対服従するという精神を叩き込まれた強矢たちには、吉沢のような国会議員は雲の上の存在であり、その命令は絶対だった。
それなのに、今の自分は吉沢先生に怒りを抱いている。これはどうしたことだろう。
強矢の心は複雑にもつれたままだった。
つづく
これは小説です。