見出し画像

惨めで情けない、大人になれない50過ぎのクズ人間。

今まで何度、人間関係をリセットしてきたのだろう?
自分勝手な考えで、衝動的(先生によると、ASDにADHDの衝動性が合わさっているとのこと)に、後先も考えずにリセットしてきた。
もちろん、リセットされてしまった相手のことなんて、考えれるはずもなく…。

そんなことばかりしていたら、当然、ともだちなんて呼べるような人などいないし、悩みを相談する相手も、何気ない世間話をする相手すらひとりもいません。

にもかかわらず、自分勝手なぼくは、「この苦しい思いを誰かに聞いて欲しい」「悩みを打ち明けて、アドヴァイスして欲しい」なんてことを考えては、これまでのリセット癖を後悔したり、この先、どれだけ生きられるか分からないけれど、このままひとりで悩みを抱え孤独に生きていくしかないんだと、声を上げて泣きじゃくることしかできない。

「このままひとりで、寂しく生きていくくらいなら、今死んでしまった方がいい」なんて思うけれど、死ぬ時の苦しさが怖いのか、自殺しなければならない自分の人生が惨めで情けないと思うからなのか、実際に自殺に踏み切ることができない。自殺できるほどの勇気もないので、フルニトラゼパムを100錠や200錠飲んで、自殺の真似事をするのが精一杯。本気で自殺したいのか、自分でも分からない、生ぬるい気持ちに酔っているだけなのだろう。

悩みを打ち明けられるともだちがいれば、そんなことを考えずに済むのだろうか?今まで、そのような存在がいなかったから、分からない。もし、いたとしても、「わざわざ呼び出したり、電話したりして、そんなぼくのつまらない話しを聞かせても迷惑だろうな」と考えて、話せやしないのだろう。

相談支援事業所へ電話して、話しを聞いてもらおうか?などとも考えるが、仕事に追われて忙しい相談員さんに、まとまりのない自分の泣き言を聞いてもらおうなんて、厚かましすぎる。

死んでしまう勇気もなく、自分から人間関係を経っておいて、孤独が怖いなんて言いながら、50歳持とうに過ぎたのに大人にもなれない、どうにもならないぼくは、今夜も明日の朝もまたただただ泣きじゃくるだけなのだろう。

いいなと思ったら応援しよう!