短編小説：アリとキリギリス①

第1章：衝突と孤児院での過去

斎藤湧翔（さいとう ゆうと）は、生まれながらにして過酷な運命を背負っていた。
彼の父親は、かつては地域で名を馳せた事業家だったが、無謀な投資と経営の失敗によって破産。
家庭は崩壊し、絶望の果てに父親は一家心中を図ろうとした。
だが、母親はその最期の瞬間、息子である湧翔だけでも生かすことを決意し、孤児院に連れて行った。
その後、彼女は行方不明となり、父親は間もなく亡くなった。

湧翔が入った孤児院は古びた木造の建物で、雨の日には天井から水が滴り落ちるような場所だった。
それでも彼にとってそこは命をつなぐ唯一の場所だった。
そして、その孤児院で彼は、桜庭彩乃（さくらば あやの）という同じ年頃の少女と出会う。
彼女は湧翔と違い、両親を事故で亡くしていたが、その心には他者への優しさと純粋な希望が満ちていた。

彩乃は湧翔にとって初めての「家族」のような存在だった。食事の時間に一緒にパンを分け合い、夜には未来の話を囁き合った。
彩乃はいつも看護師になりたいと言っていた。
「みんなを助けるのが夢なの」と笑う彼女の笑顔に、湧翔は心から安心を覚えた。
そして、彼もまた、「誰かの役に立つ人間になりたい」と初めて思うようになった。

しかし、湧翔にはひとつの苦悩があった。
それは、自分を孤児院に預けた母親の存在だった。
彼女がなぜ自分を置き去りにしたのか、その答えを知りたいとずっと思っていた。
それが湧翔の心の奥底で彼を突き動かす原動力となっていた。

ある日の夕暮れ、湧翔が孤児院の裏庭で読書をしていると、彩乃の姿が見当たらないことに気づいた。
心配になり、彼は孤児院の敷地を駆け回ったが、どこにもいない。そのとき、近所の住民が「不審な男が少女を連れ去るのを見た」と話しているのを耳にした。湧翔の胸は一瞬で凍りついた。

――彩乃が危ない。

彼は手にしていた本を地面に放り投げ、全力でその場を駆け出した。
不審者がどの方向に向かったのかを近所の人々に尋ねながら、足を止めることなく追跡を続けた。
湧翔の心は焦りでいっぱいだった。
「どうしよう。もし何かあったら――」その思考が彼を苦しめた。

途中、彼は自分が彩乃をどう思っているのかを改めて自覚した。
「彼女は大切な存在だ。失うわけにはいかない。」
それはただの友情ではなく、彼女を守りたいという強い感情だった。

ようやく湧翔は、古びたボロ屋敷に彩乃が連れ込まれたことを突き止めた。
中からは男の低い声と、震えるような彩乃の声が聞こえてきた。
その瞬間、湧翔の中に恐怖が走った。
しかし、それ以上に彼を突き動かしたのは、彩乃を守りたいという強烈な思いだった。

彼は窓越しに状況を確認し、犯人が隙を見せた瞬間に裏口から飛び込んだ。
大男の背後に忍び寄り、全力でハイキックを繰り出した。
湧翔は普段、格闘技の経験など全くなかったが、その瞬間は本能が彼を動かしていた。
キックは男の首に直撃し、彼を床に倒れ込ませた。

しかし、男はただでは済まなかった。
気絶から目を覚ました彼が反撃してきたのだ。
湧翔は死を覚悟しながら、全力で応戦した。数発の殴打を受け、視界がぼやける中でも、彼は決して諦めなかった。
「絶対に彩乃を守る。」その一心で、最後の力を振り絞り、男を再び打ちのめした。

最終的に警察が到着し、犯人は逮捕された。
彩乃は無事だったが、その震える体と涙を湧翔は抱きしめた。
彼女の恐怖を少しでも和らげるために、自分ができる限りの温もりを与えた。

事件が終わった後、湧翔は孤児院の屋根裏で静かに座っていた。
その日の出来事を振り返る中で、彼は自分の心に芽生えた感情に気づいた。彩乃は自分にとって単なる友人ではなかった。
彼女を失うかもしれないという恐怖が、自分にとって彼女がどれほど大切な存在であるかを教えてくれた。

一方、彩乃もまた、湧翔への感謝と信頼から、彼を特別な存在として意識し始めていた。
彼女の中で「助けられた少女」という立場から「彼と共に未来を歩みたい」という願いが芽生えていた。

数年後、湧翔と彩乃は孤児院を出て、名門大学に進学することになる。その大学は、湧翔が憧れた起業家たちが巣立った場所でもあった。
彼は自分の夢を追いかけるため、そして母親の行方を突き止めるために、全力を尽くす決意を固めた。

孤児院を去る日、湧翔と彩乃は裏庭で語り合った。
「これからもお互いに支え合おう。」「もちろん。」その約束は、これからの彼らの未来を形作る大切な絆となった。

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