『愛がなんだ』を観たら生きる意味を考えていた。
『愛がなんだ』を観た。5月の終わりに。
理由は、観たくなったから。
観たくなった理由は『南瓜とマヨネーズ』がプライム落ちしてて観てしまったから。『南瓜とマヨネーズ』を観るのは2度目。
1度目は映画館だった。
雪の降る中、足元がツルツルに凍ってて、非常に寒かった日。靴の中がびちゃびちゃで、映画館のストーブの前に座って暖を取ってた。座席はパイプ椅子。決して音響や映像に優れたスクリーンじゃなかったけど、何だか味のある場所だった。
こんな感じの思い出が、携帯で観ているうちに次々と思い出される。
映画館で観た映画は、掌で観た映画より思い出深いのだと感じた。それなら、この映画も映画館で観たいと思った。
視聴前
田舎の映画視聴環境は恵まれていない。観に行くためには市街地まで電車で出てきて、そこからまたバスに揺られてやっと着く。郊外にある地域最大のショッピングモールの中に映画館がある。
映画1本のためだけにそこまでするのは馬鹿らしくて、とりあえず駅まで出てくる用事を作った。
一人映画には慣れているけど、女子ばかりがいる中で男一人というのが居心地悪そうだったから、一番前の席に一番乗りで座る。
視聴中
20代後半の女性が主人公。予想してたストーリーとは違った。
もっとドロドロしてるかと思ってたし、もっと劇的なことが起こると思ってた。
葉子に「よっ」って言われたい。それは強く思った。
視聴後
勿論、帰りに寄ったスーパーで金麦を買った。主人公よろしく歩きながら飲んでみる。たまに飲む酒も美味しいな。
観終わった後、「愛って何だろう」とは考えなかった。
相手に尽くすという愛情表現がストレートに伝わらないことがあるんだなとは思ったけど。
相手に尽くすのって難しい。尽くしてるのを見せると重いし、隠してると結局自分が報われない思いをしてしまうから。
それよりも、印象に残った場面があった。
葉子(主人公の友人)が言ったセリフ
「あんたは冗談でも死にたいとか言わないのがいい所だよね。」
それに対するテルコ(主人公)のセリフ
「だって死んだらマモちゃん(主人公が好きな人)に会えなくなるから」
非常に能天気である。
だけど、私には羨ましかった。生きる意味があるってことだから。
今の自分には生きる理由が見当たらなく思えた。
別に生きる理由がなくたって、それが理由で生きるのを辞めるわけではない。
だけど辛くなった時に、ため息つきながらふと「死にたい」なんて軽く呟いてしまうのって悲しいじゃないですか。平井堅のノンフィクションじゃないけど
人じゃなくたっていいと思う。何か生きる理由、これがあるうちは死ねないと思うものを見つけたいなって思った。
「幸せになりたいっすね。」
そうだね。だから、私は生きる意味を見つけたいと思う。
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