記事に「#ネタバレ」タグがついています
記事の中で映画、ゲーム、漫画などのネタバレが含まれているかもしれません。気になるかたは注意してお読みください。
見出し画像

【ジョーカー2】を三幕構成で読み解く【フォリ・ア・ドゥ】

#ネタバレ

結末まで語るので、本編を未見の方にはブラウザバックを推奨します。

登場人物
アーサー(ホアキン・フェニックス):2年前ジョーカーになった男。
リー(レディー・ガガ):アーサーと同じ精神病院に入院している女。
看守(ブレンダン・グリーソン):患者を虐待する男。合唱が趣味。
弁護士(キャサリン・キーナー):アーサーを弁護する女。


まずは、物語を三幕8場構成に分解します。

一幕

1)あの事件から2年間、精神病院の重病患者が収容されるE病棟でアーサーは慎ましく暮らしてきた。もうすぐ始まる裁判で弁護士は精神疾患で多重人格だから責任能力は無いという抗弁で無罪を勝ち取ろうとしている。一方で原告側の検察官はハービー・デントである。

2)アーサーは模範的な生活態度が認められて例外的にB棟での合唱団への参加を認められる。これは看守が付き添いで合唱団に参加する口実でもあった。そこでアーサーは、彼の狂信的なファンである女性リーと出会い親しくなる。リーはB棟の映画上映会での火事騒ぎに乗じてアーサーを連れて脱走を謀るが、二人は敷地内で捕まる。数日後にリーは退院するが、アーサーに夜這いをかけて二人は肉体的にも結ばれる。

二幕

3)アーサーの裁判が始まる。弁護士は検索側がアーサーに責任能力はあったとする根拠が、彼を見捨てた児童福祉局の資料であり信頼性に足りないと主張する。過去の古傷をえぐられるアーサーは落書きをしたり、リーとの妄想に耽ったりして現実逃避する。弁護士はアーサーに「リーは患者ではなくて精神科医で、アーサーを研究するために近づいた可能性がある」と警告する。

4)しかしアーサーは面会に訪れたリーから「弁護士を信用するな」と警告される。そしてリーは妊娠したと告げる。感極まって言葉に詰まるアーサー。再び法廷で、アパートで隣に住んでいた女の証人喚問で再びプライドを傷つけられたアーサーは、ついに妄想だけでは耐えられず、現実世界でも暴走して、その場で弁護士を解雇してしまう。

5)小人症の男が証人喚問に呼ばれる。アーサーはジョーカーのメイクで法廷に現れて堂々と自己弁護する。弁論内容は支離滅裂で裁判長から何度も注意を受けるが、傍聴席は拍手喝采になる。テレビ中継を観ていた看守達はアーサーへの怒りを募らせる。病院に戻ったところでアーサーは看守達から酷いリンチを受けて意気消沈する。この騒動でアーサーを慕っていた若い患者の一人が看守に受けた暴力で死んでしまう音を聴く。

6)判決が出る日、アーサーはまたしてもジョーカーのメイクで出廷したが、最終弁論で「ジョーカーは存在せず自分はアーサーである」と告白して啜り泣く。リーも含めたジョーカーの狂信者たちの一部は傍聴席から退出する。陪審員が判決を決めるのを待つ間にアーサーはメイクを洗い流す。

三幕

7)陪審員長が有罪の評決文を読み上げている最中に突然大きな爆破テロが起きて、法廷は完全に破壊される。アーサーがなんとか目を開けると、裁判長も陪審員も即死だったようで、ハービーは生きていたが顔の半分が焼け爛れて虫の息である。

裁判所に集まっていたジョーカーの狂信者がアーサーを保護して自動車で逃走する。しかし意識を完全に取り戻したアーサーは車から逃げ出して自宅に帰ってくる。あの長い階段でアーサーは座っていたリーを見つけて愛を告白するが、リーは蔑むようにアーサーを見て、立ち去る。アーサーは警察に身柄拘束される。

8)再びアーサーは精神病院で静かに暮らしている。看守に呼び出されて廊下を歩く途中で、ジョーカーの狂信者らしき若い患者に呼び止められる。男はノックノックジョークを言って、アーサーの腹部をめった刺しにする。流血して力無く倒れるアーサー。助けは来ない。男は気が狂ったように座り込んで笑っている。

エンディング曲)ザッツライフbyレディーガガ、最後に愛は君を見つけるby ホアキンフェニックス

FIN

2024年製作/138分/PG12/アメリカ
原題または英題:Joker: Folie a Deux
配給:ワーナー・ブラザース映画
劇場公開日:2024年10月11日

▼解説・感想:

●構成

一幕
 一場:状況説明
 二場:目的の設定
二幕
 三場:一番低い障害
 四場:二番目に低い障害
 五場:状況の再整備
 六場:一番高い障害
三幕
 七場:真のクライマックス
 八場:すべての結末

参考:ハリウッド式三幕八場構成

1-1:精神病院で慎ましく暮らすアーサーはもうすぐ裁判
1-2:ジョーカー狂信者のリーがアーサーに近づく
2-3:裁判が始まりアーサーはしばしば現実逃避する
2-4:裁判が続いてアーサーは現実を拒絶する
2-5:アーサーはジョーカーになりきって裁判に挑む
2-6:アーサーはジョーカーは妄想だったと涙ながらに告白する
3-7:アーサーは狂信者達に見放されて、一般人に戻る
3-8:アーサーは精神病院の患者の元狂信者に殺される

綺麗な三幕構成になっていますね。

実際の映画では、アーサーが妄想に耽けるたびにジョーカーとハーレイが歌い踊るシーンが挟まれるので、ストーリーと比較してかなり派手な印象が残る映画です。ミュージカル映画らしい歌唱部分と映画のストーリーはかなり分断しているように、私は感じました。それがアーサーの精神的な分裂を表現していたと思います。

もしあなたがタモリがよく言っていた「ミュージカルは突然歌い出すのが苦手」と同じ理由で本作を避けているなら、そういう感じは弱いとお伝えしておきます。基本的にアーサーが歌う場面はアーサーの妄想なので。むしろミュージカル映画で突然歌い出す場面に、現実的な理由づけをしていると言えますね。本作はミュージカル映画というよりも、アーサーの物語の途中にジョーカーのMVが挟まる感じです。

●スーパーわかりやすい要約

ジョーカー2をバンドマンに例えると:夢見るバンドマンしか愛せないバンギャが、ある日に突然バンドマンが「もう歳も歳だし売れる見込みも無いし夢はきっぱり諦めてそろそろ真面目に働くわ」と改心したので、あっさり別れてしまう話。

(なお一人残されたバンドマンは引退して真面目に生活を始めるも別のファンに逆恨みされて殺される;それが人生!って感じのブラックジョーク)

Joker: Folie à deux (2024)

●品質は高い映画

公開初日に観ました。

最初にこれだけは言わせてください:本作は万人向けエンタメではないが品質は高いです。

脚本は面白いし、撮影は見事だし、音楽の演出も良いです。

第一作からの引用も多く、脱構築を通じて匠の技を愉しめます。

世間の低評価は、色々な立場の人達の思惑や時流的な不運が重なったのが少なからずあるかと思われます。

もちろん好き嫌いは個人の自由ですが、「どうせクソ映画だろ」と食わず嫌いするのは勿体無いですよ!

あと観てもいないのに「クソ映画らしいから観ない」と宣言するのも、控えた方が宜しいかと思われます。まあ、これは実際に観てみないと映像や音楽の作り込みが実感できないから仕方ない部分も大いにあるのですが。

映像や音楽で魅せるタイプの映画は、映画館で観ないと効果が100%発揮できない部分もあるので、後日に自宅でサブスクで観ても「やっぱりクソじゃん」と結論づけられる可能性も高くて、難しいですね。過去に一度「あんなのクソだろ」と言ってしまった手前、今更手のひら返しをすることに抵抗を感じる人も居るでしょうし。そういう人達は自宅で「コスパ良くサブスクで、クソ映画であることを確認するため」というマインドで観てしまいがちなので、悪い部分ばかり気づきやすいという現象も起きますし。

なお、映像や音楽がどれだけ素晴らしくても、それだけで映画を高くは評価できない、という意見も私は認めますよ〜。そこにどれだけ比重を置くかは人によって異なるでしょうから。まあ、意見なんて違って良いじゃないですか。

ただ、ここで私は「技術面での品質は高いよ」という意見を述べているだけです。

私個人の評価は、かなり高いですよ!

●低評価の理由

レビューサイトがとても炎上している本作ですが、批評家と一般客で不評の理由は異なる気がします。

批評家はテーマが前作と同じだから評価があまり上がらなかったのではないでしょうか。映画の中でアーサーがやってることは、本質的には前作とほとんど変わらないんですよね。つまり主人公に変化や成長が見られない。

批評家目線で考えると、何か新しいものを語るのでないと続編を作る意味(意義)は薄く感じるというのはあると思うんですよね。それでいて、ジョーカーは前作が初手なので一番オイシイやり方や普遍的な手法を取れますが、二作目だと何かしら変化球を投げざるを得ませんから、テーマが同じだと小手先だけ変えてきたように感じるのでしょう。

逆に一般客は前作と真逆のテーマに見えたから評価が下がったのだと思われます。これは前作ではヒーローになったアーサーが、今作では無惨に殺されてしまう(一応あそこから治療を受けて復活する可能性も微レ存ですが)ので、「俺たちが見たかったジョーカーはこんなじゃない」という拒否感が生まれて、それが多数派の声になったのではないでしょうか。

第一作では現実か妄想か判別できないように曖昧に描いていたものを、第二作では明確に何が現実かを示したことで、映画の中でジョーカーに愛想を尽かした狂信者らと同様に、心が離れた(裏切られた)と感じた観客は少なくなったでしょう。

まあ、実際はアーサーは第一作からあんな感じだったんですけどね。たまたま前回はラッキーで命拾いしただけで。(苦笑)

一本の映画が、批評家と一般客で全く逆のロジックでレビューの点数が下がる現象は、作品の外部に飛び出したメタ的な感想にはなりますが、非常に面白いと感じます。

●アンチポリコレ作品

本作はポリコレ臭がほとんどしないのも特徴だと思います。

強い女が出てきません。黒人をヨイショしません。小人症の人を笑われる対象や見せ物として描いてます。これらは全てポリコレを無視した仕上がりに繋がります。

ポリコレ要素があると、批評家には加点評価されて、一般客に減点対象にされることが多いですが、本作ではそういうブーストが効かないので、批評家と一般客で点数が逆方向に行かなかったのもあるかもしれませんね。

●タイトルについて

ジョーカー2のタイトル、大体のアメリカ人は「Folie à deux(フォリ・ア・ドゥ)」と見るだけで「ああドゥはフランス語で2のことか。ジョーカーの2作目だから、そのタイトルなのね、はいはい」くらいに察しそうです。日本人も「アン・ドゥ・トロワ」って聞けば納得する人が多いと思いますけど。こういう言葉遊びの映画タイトルは結構好きです。

フォリアドゥとは:
感応精神病、またはフォリアドゥ (仏:Folie à deux、フランス語で二人狂い)とは、精神障害の妄想性障害 の一つ。一人の妄想がもう一人に感染し、複数人で同じ妄想を共有することが特徴である。(ウィキペディアより)

日本語もタイトルを『ジョーカー/二人狂い』とかにして第二作であることを匂わせる感じにしても良かったじゃないですかね?第一作から世間でなんとなく認知されてそうなオサレ映画な感じも出るし。

なお、映画の中で妄想が感染するのはリー(ハーレイ)のことなのかしら、となんとなく予想して映画を観ましたが、実際のリーは妄想ではなくて計算と戦略で動いていた女で、むしろ最後にアーサーを刺した男こそがジョーカーの妄想に捉われて、新しいジョーカーとして目覚めたラストだと結論できるでしょう。

彼は風貌がドラマ版『ゴッサム』のジョーカーと少し似ているので、なんとなく結末を予想できた人は多かったのではないでしょうか。私は「コイツ絶対最後になんかあるぞ、てゆうか二代目ジョーカーになったりしてw」とか思ってました。

まさか、本当にその通りになるとは。(笑)

●ミュージカルについて

Joker: Folie à deux (2024)

ジョーカー1はアメコミ映画しか観ない人やライトな映画ファンでもギリギリ楽しめる作りでしたが、ジョーカー2はちょっとインテリ気質が求められるアート臭が強い感じです。かつポリコレ表現がほぼゼロなので専門家の加点要素が少なくてトマトスコアも低くなりました。

…要するにBVSと同じことが起きています。

BVSは派手なVFXアクションシーンがあるので熱狂的なファンが応援してくれる状況がありましたが、ジョーカー2はその部分が豪華絢爛なミュージカルシーンに当たるもアメコミ映画とファン層が違いすぎるのか応援してくれる人が少ない感じですね。

Batman v Superman: Dawn of Justice (2016)
Joker: Folie à deux (2024)

本作でのレディーガガの演技は私の中では「可もなく不可もなく」という感じでしたが、しかし他に誰が適任かと言われるとパッと思いつかないというのはあります。でも本職が女優の人に演じてもらいたかったという気持ちは正直少しありますね。WBとしては今回みたくダブル主演にしなくても同じくらいの観客動員は見込めただろうし、ガガとしてはキャリアの黒歴史にならなければ良いのですが。エンディング曲がガガの歌う『That's Life(是れぞ人生)』なのはちょっと面白かったです。(笑)

あれは、それに続くホアキン歌唱の『True Love Will Find You in the End(最後に愛は君を見つける)』への前振りとして完璧でしたね。ホアキンの歌は上手いか下手かで言えば、決して下手ではなく、味があるから良いのではないか、という感想ですが、ハリウッドでよくある「俳優がそこまでやる感」はいつも楽しいです。(*バービーでのライアンゴズリングとかシムリウとか)

最初は歌がド下手だったアーサーが、ジョーカーの憑依度が高まるにつれて歌が上手くなっていく演技が凄かったです。これはつまりホアキンフェニックスの歌唱力が実はくそ高いことの証明になってます。

最初の音痴なアーサーを観て「こんなものか」と思い込んでしまった人には最後まで歌が下手なミュージカルという認識だったのかしら。ただエンディング曲はわざと弱々しい感じで、音程も(わざと)外しながら歌っていたので、彼の演技に最後まで「騙された」人は居たでしょうね。

●小ネタ

検事の名前がハービー・デントなのも面白いですが、第三幕で爆破テロを食らった時に、顔の半分だけ焼け爛れているのは「きたー!」って思っちゃいましたね。(そのまま映画は終わっちゃうからガッカリしたDCファンも結構いるのかしら)

The Dark Knight (2008)

第一作も両親を殺されて立ち尽くすブルースウェイン少年のショットがあって、この映画がバットマンの世界であることを示していましたが、第二作でこの匂わせ担当がデント検事だと言えるでしょう。

しかし気になるのですが、本作ではニューヨークという名前は何度も出てきますけど、私の記憶が確かならば一度もゴッサムシティと言ってませんでした。ニューヨーク州にある架空の都市ゴッサムなのか、それともゴッサムシティがアーサーの妄想の中だけにある世界なのか?…気になります。(そもそも第一作から舞台はニューヨークでしたっけ、もう記憶が曖昧です^^;)

第一作の主要人物がもれなく証人として出演するのは嬉しかったです。リーギル(小人症の男)とかザジービーツ(隣のシンママ)とか、やっぱりこうして世界観の連続性が保たれると、心地良いです。

第一作の方がホアキンフェニックスの体づくりは徹底できていたと思います。あの痩せすぎた気持ち悪さが、第二作では少し足りないと感じました。まあ、でも病院で2年間もちゃんと食事を提供されてれば、少し太ったという設定なのかもしれませんね。(笑)…実は観客の満足度が下がった一番大きな原因は意外とこれだったりしませんかね?

Joker (2019)

第二作のラストシーンが、第一作のオープニングと対構造(まったく同じ構図!)になっていたのは、とても美しい終わり方だと思いました。

Joker (2019)

(了)

いいなと思ったら応援しよう!

まいるず
最後まで読んでいただきありがとうございます。ぜひ「読んだよ」の一言がわりにでもスキを押していってくださると嬉しいです!

この記事が参加している募集