【山女】日本昔ばなし版ミッドサマーと呼ぶべき渋さが光る逸品【あらすじ感想】
個人的には今年の日本映画トップクラスです!
▼あらすじ(ネタバレ):
▼感想:
渋くて素晴らしい作品ですね。撮影と照明がとても美しいです。洗練されているが、ものすごく地味で暗い画面が続く攻めた演出には痺れました。
遠野物語をベースにしたというストーリーと脚本も日本の民間伝承らしく陰鬱かつ呪術的で良いです。
私は本作を『日本昔ばなし版ミッドサマー』だと認定したいです。あの世界的ヒット作品のような解りやすいお洒落感はないですが、だからこそ美しいと言えると思います。何より日本人である私達の生活や文化や歴史背景にマッチした雰囲気は、まさにローカライズと呼べるものであり、そこに高い価値があると思います。
公開規模が小さいのが勿体無いですね。シネコンでも上映すれば良いのに。
●とにかく撮影が美しく世界に通用する魅力がある
私は撮影を特に褒めましたが、裏方の国際色が豊かな作品です。これが本作のテーマはすごく日本的なのに、日本映画の枠に止まらないユニバーサルな魅力を持った、尖ったテイストになれた要因の一つでしょう。
撮影:ダニエル・サティノフ(米国)
照明:宮西孝明(日本;原田眞人作品の常連)
美術:寒河江陽子(日本)
衣装:宮本まさ江(日本)
録音:西山徹(日本)
整音:チェ・ソンロク(韓国)
編集:クリストファー・マコト・ヨギ(ハワイ)
音楽:アレックス・チャン・ハンタイ(台湾)
特に印象的だったのが、凛が牢屋で父と話す場面です。とにかく暗くてスクリーンいっぱいに広がる黒一面の中心に、小さく凛の顔が半分ほど光で浮かび上がるだけです。そして伊兵衛の顔は完全な逆光で表情が全く読み取れません。ここは父娘が苦悶の表情で厳しい選択を迫られる場面なので、泣きじゃくる二人の表情を見せて、いくらでも御涙頂戴の雰囲気に出来るところを、本作では一切見せません。凛は口を結んだまま何も喋らず、表情も変えず、音楽もなく、ただ伊兵衛の言葉だけが無機質に響きます。この攻めた演出はすごいものがありました。
また何度も映し出される早池峰山も印象的でした。お天道様が滅多に射さない景色は、どこかアイルランドやスカジナビアとも似通った、気分を落ち込ませるような曇天で、微妙な濃淡が織りなす微細なグラデーションがまさに山の表情の違いを捉えていて、画面に映し出される都度に表情を変えて味わいがありました。
これはぜひ、映画館の暗い部屋で観てほしいなあと思いました。
●実は元々はテレビ映画だったらしい?
これは観覧後に知ったのですが、初出はNHKでのテレビドラマとしての放送だったようです。これは意外でした。確かに予告を見た時にNHKの名前があったのは気づいていましたが、むしろ本作を劇場観覧して私は「NHKのスタッフが持てる技術を投じてテレビでは出来ないことを映画でやった」という流れかなと思っていたので。
テレビ版では75分で、映画版は約100分です。どのシーンが拡張部分なのかは気になります。どれも欠けてはいけないシーンのように感じました。
某Filmarksでテレビ映画として作られたという情報に言及しつつ、本作の美術衣装やヘアメイクを貶してるコメントも見ましたが、そんなに悪くなかったと思いますけどね。主演にもう少しスキニーな女優を起用しても良かったという意見だけは解らなくもないですが。失礼ですが、それ以外はどれもテキスト情報に基づいて判断してそうというか、あまり良い観察眼をお持ちでないのかしらとは思ってしまいますね。
●泰蔵と春が映し出す村のリアル
三浦透子と二ノ宮隆太郎の演技が良かったです。
村が決めた掟には逆らえない春。自分の意思が反映されないところで勝手に決められた縁談に文句は言いつつも泰蔵との見合いであっさり受け入れてその場でセックスするとか、彼女もこの機会を逃しては嫁入りを逃すことをよく理解していることが判りますし、泰蔵の凛への気持ちを察しているからこそ強引に襲って関係を既成事実にしたのでしょう。
春はその後も泰蔵の気持ちを無視し続けて、泰蔵が凛を救おうとしても意に介さず夫婦関係を維持して、泰蔵が牢屋に凛を救出に出掛けた夜も帰ってきたら直ぐに家に入れてやります。映画では描かれませんが、あのあと絶対に身体で慰めているでしょう。そもそも泰蔵が行商から帰ってきた日で、春も肉欲に飢えていたのかもしれません。あるいは夫婦が壊れると彼女も傷物扱いになるので、それを畏れていたのか。
セックスに関しては、子供が産まれても直ぐに殺すしかないのに、子作りは止められない村人たちがなんとも滑稽で悲して人間らしくて、あらゆる感情が入り混じった情緒があり、とても良かったです。もしかしたらNHKで放送されたテレビ版ではこのあたりの話題がカットされたのかしらと邪推します。
今夏はプーさんとかパールとかハイジとか欧米のホラー話題作が多いですが、本気のホラー映画を観たいなら『山女』をオススメしたいです。直接的なスプラッタやグロシーンは控えめですが、日本らしい《ムラの恐怖》を味わえる稀有な作品だと思います。
●時代考証で気になった箇所
本作では凛の家族が先祖の咎を背負って汚れ仕事をしている、つまり穢多(えた)として生活しており、村人から蔑まされています。田んぼを所有してないので食うものにも困る超貧困層として描写されているのですが、江戸では汚れ仕事を請け負う穢多はむしろ裕福な暮らしをしていたという話を聞いたことがあるので、少し気になりました。やはり人口が少ない田舎では江戸のように毎日誰かが死ぬということも無いし、商人も居ないので、貧乏になってしまうんですかね。
●オカルトな呪術と日本版ミッドサマー
このnoteのタイトルでも《日本版ミッドサマー》と形容しましたが、本作は田舎の村に伝わるオカルトな呪術が大いに活躍します。これは東北地方だからこそ出来たストーリーでしょう。飛鳥時代から1,000年以上かけて京都を中心に貴族や武家の勢力争いで天下が動き文化がアップデートされても、宮城より北の奥州地方では縄文時代の風習を色濃く残した民間信仰が続きました。だからこそ民俗学者の柳田國男は当該地方に伝わる民間伝承を集めて『遠野物語』を執筆して、縄文オタクの宮崎駿は『もののけ姫』の出発点に東北地方を選びました。
日本人は神道も仏教もキリスト教も見境なく生活に取り込んでしまうので、よく「無宗教」だと言われがちですが、欧米から来た「宗教」という言葉には神への信仰やお布施やお祈りという行為だけではなくて、「特定の死生観を社会が共有すること」も含まれます。そういう意味ではお盆休みが現在でも一般的でご先祖様を尊重するのみならず、毎日の食べ物さえ粗末にしない(=命に敬意を払う)日本人はかなり宗教的な民族だと言えます。
私は、これは日本が太平洋戦争や昭和までは天皇陛下を八百万神の一番上に認識している国民が圧倒的多数だったからだと思います。天照大神=お天道様=天皇陛下が最上級の神として君臨していらっしゃるのだから、その配下にはどんな世界の神様が並んでいても許容できるのです。だからこそ日本各地には色々な神を祭る寺社があるし、諸外国からキリスト教やイスラム教の人達が入ってきてそれぞれの教会や墓地を作っても寛容になれるのでしょう。
むしろ現在の日本が無宗教に見えるのは戦後にGHQが憲法改正などを通して現人神たる天皇を「建前」上は無効化して、それから先の世代は強く左傾化した共産主義が主導する教育要項に呑み込まれて天皇を正しく知らない(=思想教育された)面が大きいからでしょう。ポツダム宣言の直後にニッポンを守るために日本の政治家たちが米国に講じた「建前」ばかり義務教育で教えていたら、日本国民が何十年もかけて「本音」を忘れてしまった成れの果てが現在の宗教に無頓着な日本です。
解りやすい例として織田信長があります。信長は戦前戦後を通じて庶民に人気の高い戦国武将です。現在は「天皇を倒そうとした男」という文脈で語られますが、しかし戦前までは「混乱していた日本を天皇のために統一した英雄」という全く逆の見方がメジャーでした。これこそまさに国民の天皇陛下の捉え方が敗戦後に真逆に変わったことと、世間の価値観がひっくり返っても織田信長は人気であり続けたことを示す、興味深い逸話だと言えます。
知識としては忘れ去られた宗教観ですが、何しろ日本は2,600年続いている国なので生活文化に深くDNAレベルで染み付いています。このため田舎の農村に残るような日本古来の呪術的な文化風習は、普段の自分の生活に馴染みがなくても、どこか心の深い部分で響きます。それは先述したような食料を大事にすることとか、家で靴を脱ぐとか、隣人との付き合い方とか、結婚の決め方とか、そういう生活レベルに形を残しているからです。
本作のクライマックスである山に生贄を捧げる儀式は、不気味で禍々しく見えても、どこかこれで上手くいきそうな気がしてしまうのも、また事実です。ラストで凛は早池峰山に向かって歩いて行きますが、あのシーンを観て「何を無駄なことを」とあなたは思いましたか?ほとんどの日本人が「ああこれでお天道様が戻って冷害が終われば良いな」と思ったはずです。
これは日本の文化の深いところで、このような信仰が根付いている証拠です。きっと合理主義の欧米人にはこの感覚は理解できないでしょう。まさに欧米人がジャパンに抱くミステリアスでオカルトな印象の鍵がここにあります。だからこそ北欧の文化で語られる『ミッドサマー』よりも、本作の方が日本人にはよく響くのだと私は思います。
了。
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