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ミモザの候 25: チーム「ジャージ」
私たちは父を「盛大な家族葬」で送った。盛大な、というのは旅立ちにむけた誇らしさのようなものを、家族葬、というのは身内だけで送りたい、という気持ちの表現だ。皆様へのご挨拶はその後で、という想いだった。
とはいえ、式場と祭壇そして並べられた椅子の設えは一般の葬儀の規模ではあったし、家族のこだわりがそこここにあってむしろ贅沢でもあった。まぁ、会葬の人たちで椅子が占められることはなく、きっと親族が前の方の数列にちょこんと座るのだろうな、と私は思っていた。
香典もなにもかも辞退したふるまい葬儀には、その打合せから細部に至るまで、母の毅然とした想いが込められていた。それは至ってシンプルなことだった。そして、その想いは葬祭場の担当者たちともしっかりと共有されていた。
分刻みの慌ただしいなかにも、我が家のいつものペースがあった。
ところが、親族の一人が私たちの意をよそに地域の人たちに連絡し、結局葬儀には大勢が駆けつけてしまった。
借りものの空気がさっと流れ込んできた。
丁寧に静かに父の命と向き合ってきた私たちには、人の内に混在する真意とうわべを鋭く嗅ぎわけることができた。しかし、大きなうわべにどれほど煩わされようとも、わずかに見え隠れするその人たちの真意をくもうとした。これもまた、父の来し方なのだろう、と。
本意であった静けさは破られたものの、しずしずと通夜は始まった。私たちは最前列に座った。
菩提寺の僧侶たちの読経が始まる。導師の院主さんは父と同世代だった。出棺前、棺を閉じる前のお別れのとき、彼が僧侶としてではなく一個人としてお別れをしていた様子が印象深かった。
同世代といえば、斎場に向かうハイヤーの運転手さんもそうだった。車中、無言になるでもなく静けさを埋めるでもなく、初めて居合わせる私たち家族に彼は同世代の男性としての心情を話した。彼のその「間合い」は、束の間の慰みとなった。
そういえば、施設付きのあの主治医も、そして骨上げ式を担当したあの職員も同世代だった。彼らの佇まいは、なぜか一様に、私たちには束の間の慰みであった。
さて、どこかよそよそしく、どこか荒っぽい空気の一行が焼香をおわると、それに一人男性が続いた。父の知古で、唯一お知らせした人だった。遺影を眺め、丁寧に大きな体が一礼した。
そのあとに、もう一組。えっ?いったい、誰なのだろう。
それは、父がお世話になった施設の介護士さんたちだった。
介護士Uさん、Uさんと一緒に父を精神病院から脱出させてくれた介護士さん、Uさんの片腕として一緒に父の一時帰宅を見届けてくれた介護士さん、そしてUさんと一緒に父の最後に立ち会った父お気に入りの若手介護士くん、そしてUさんの中学生の息子さんの5人だった。
長い喪服に身を包んだUさんが焼香台へゆっくりと進むと、それに皆が続いた。それぞれが父となにか会話をするかのように、遺影をみつめ、ゆっくりと時間をかけて祈っていた。
Uさん以外は皆、仕事帰りのジャージ姿や軽装だった。けれど、私たち家族はそれがむしろ誇らしかった。介護士さんたちの尊い思いが、私の心に少しばかり残るわだかまりを溶かしさっていった。
通夜の後、介護士さんたちに父の顔を見てもらった。それぞれがそれぞれに父に話しかけていた。Uさんは名残惜しそうに何度も父の顔を見つめ直し、「たくさん教えていただいて、ありがとうございました」と言った。
前日、彼女の腕の中で息を引きとった父は、もう冷たくなって棺の中で花に包まれている。父に触れないようにしながらも、父の近くへと動いてしまう彼女の手を見つめながら、父と彼女との闘いの日々を想像した。
「息子がどうしても来たいと望んだから、連れてきたんです」とUさんは言った。数年前に父親を亡くしている彼の気持ちを、私は慮った。
不登校で引きこもっていた彼は、高校受験を機に、時々施設でお手伝いをしているそうだ。初対面の人に囲まれて、しかもこのような場で...。
彼はほとんど何も話さなかったが、皆と一緒にその場に居続けた。彼の気持ちは私にはじゅうぶん伝わっていた。
病院脱出を手伝ってくれた介護士さん。彼女はもうずいぶん前に職場をうつっていたのだという。担当する棟が違ったため、彼女とは、私たちが最初に施設を見学したときと父の退院の日くらいしか会ったことがなかった。彼女は父の大ファンだったらしく、Uさんが連絡をしてこの夜駆けつけてくれた。
Uさんの右腕の介護士さんは、仕事帰りにそのまま塾へ娘さんを迎えに行き、その帰宅途中に駆けつけてくれた。娘さんを車に待たせたままだった。「サンドイッチを食べているからだいじょうぶ」と時間を気遣う私に彼女は明るく言った。
背の高い元力士の介護士くん。場の様子をみることができる彼は、体力もあり素直だが、まだまだ学ぶことがたくさんありそうだった。そんな彼を父は気に入っていて、Uさんも積極的に彼を父につかせていた。彼は夜勤と日勤が続きふらふらだった。それでも、先に帰ろうとはしなかった。
父の棺を囲んで、もうすでに昔話となってしまったエピソードを語り合った。
遺影の父は介護士さんたちにとっては見知らぬ人だった。元気な頃の父だ。そして、棺の中の父。彼らにとっては馴染みのある父の姿。
それぞれの想いがそれぞれのエピソードの中に沈んでいく。けれど、どこからか、いつもの冗談と明るい笑顔がわく。遺影の父と棺の父がつながっていくようだった。
「ほんとうは、施設の規定では個人的なお付き合いはだめなんですけれど、どうしても...」とUさんは言っていた。
もうUさんはあの施設にはいない。それぞれの介護士さんたちと会うこともないだろう。
父の最晩年の2年間を、まるで新たな家族のように共にした、そんなご縁の人たち。父を中心としたチーム「ジャージ」が、この夜、解かれたのだった。
お通夜のあとの、あの父の枕元での私たちは、たしかに、祝福されていた。
2020年2月
2022年9月28日 記