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ひとは死ぬと、どこへ行くのだろう
ぼくは幼少期、訳あって祖父母に育てられた。
祖父母は毎日のように喧嘩をしていた。祖母はその喧嘩の盾にぼくをつかうような人で、そのことでぼくは幼心に深く傷ついた。二人の仲を取り持ちたいのはやまやまなのだけど、10歳にも満たないぼくに何ができたのだろうか。結局のところ、ぼくの中には無力感のみが残った。
それでも祖父母はぼくにとって必死でしがみつかねばならない岩場だった。それが例え激流の中のちっぽけな岩場でもだ。こころはいつも不安でいっぱいだったが、なんともないふりをしなければならなかった。ほんとうはどこにも居場所はなかったのかもしれないけれど、それでも一生懸命小さな岩場にしがみついて生きてきた。
あるとき、祖母はぼくのほんとうのおばあちゃんでないことを知った。戦争中はよくあったことで、祖父の妻はぼくの父を生んですぐに亡くなったという。祖母は戦争で旦那を亡くし、祖父とは再婚だった。祖母が血がつながっていないというのは、子供ごころにショックで、ちっぽけな岩場が二つに砕けてしまったように思えた。でも、ぼくはその砕けてしまった小さな岩場を頼りに、必死にこども時代を生きた。
祖母はすぐに人のせいにする性格で、こころも狭く、猜疑心も強かった。それでありながら、祖母は熱心な仏教徒であり、毎晩小さなライトスタンドの下で仏教関係の本を読んでいた。
祖父も熱心な仏教徒であり、毎日仏壇でのお経を唱えるのを日課としていた。それはひょっとして戦争を経験したからかもしれない、と今になって思うことがある。ただ、当時はぼくも毎日一緒にお経を唱えさせられていたので、そんなことを考える暇もなかった。
神話の国・出雲で熱心にお経を唱えるなんて、今考えると不思議な気がする。これについても、今そう思うことで、幼少期にぼくが神話の国に住んでいるなんて、誰も教えてくれなかった(それが普通だったのかもしれない)。
不思議だったのは祖父母がともに熱心な仏教徒なのに、喧嘩が絶えなかったことだ。仏教はひとをほんとうに救えるのだろうか、こどもながらそうおもったものだ。
そうはいいながらも、二人とも(ぼくを盾にしようが)ぼくを育ててくれたのは間違いない。感謝してもしきれないほどだ(いろいろと嫌なことはあったにせよ)。
祖母はあるとき、ぼくに「死んだら向こうでお前をまっている」と秘密を打ち明けるように語った。なんでも祖母のお父さんが、祖母にそういって亡くなったらしい。だから祖母はぼくを向こうで待っているというのだ。有難迷惑だった(ぼくは死んだら静かになりたかった)。ぼくは祖母の息子さん(おじさん二人)にそういってあげればいいじゃないと答えた。
祖母がいうには、祖母のお父さんが「おまえだけを待っている」と言って亡くなったから、祖母も一人だけにしか言えないのだと訳の分からない理屈をこねてきた。それこそおじさんたちにいってあげればとおもうのだが、いいだしたら曲げない祖母なので、黙ってはいはいと聞いていた。
あのころ、ぼくは一人しずかに落ち着ける場所が欲しかったのだ、と今ならわかる。海に潜ったり、一人旅が好きなのはきっとそんなところにあると思う。
祖父母が旅立ってからずいぶん月日が流れたが、今祖父母のいる場所は静かな場所なのだろうか・・・
*
古代出雲では、死んだら人間は黄泉の国に行くと信じられていた。黄泉の国とは地下にある世界のことで、どうやら中国から流れてきた世界観らしい。
黄泉の国は地下にあり、その地下では黄色い泉が流れており、その地下で死後は暮らすことになるという。黄泉の国に行ったらもう帰ってこれない。それはイザナギイザナミの黄泉の国神話でも出てくる話だ。
しかし、古代出雲ではもう一つの世界があったといわれている。この世(現世)とあの世(黄泉の世界)と別にあったもう一つの世界。それが常世(とこよ)である。
常世は大国主命とともに国造りをしたスクナヒコがいった世界といわれている。そこでは歳をとることがなく、永遠に生き続けるという世界だ。しかし、二度と帰っては来れない(一人だけ帰った男がいる、それがおとぎ話の浦島太郎だ)。
ここで疑問に思うことがある。黄泉の国と常世はどう違うのだろう。どちらも二度と帰ってこないことに変わりはないではないか。
実はそこに(昨日の記事に書いたように)スクナヒコが出雲大社に祀られていない理由がある。
黄泉の国は、我々が死んだらみなそこにいく。だから亡くなった人に会うこともできる。しかし、常世は誰もがいける場所ではなく、死んでもそこにはいくことができない。神様も同様で、神様でさえ常世にいくことはできない。スクナヒコはもう神様として二度と戻ってこれないのだ。
当然ながら、戻ってこれないスクナヒコを神社に祀ることはできない。それが出雲にスクナヒコを祀る神社が少ない理由だろう。ただ、後にスクナヒコの功績を忘れないよう、合祀という形で祀ったりしたのだろう。そういう意味でも粟島神社(米子市)は特別な神社だったのだ。大国主命の深い哀しみが伝わってくるようだ。
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人は死んだらどこに行くのだろう。おそらく誰もが考えながら、わからないで終わる問題だ。
ぼくはひとまず、出雲の神様たちの前に出て、調べた結果が合っていたのか確かめないといけない。そこで神様達がほめてくれるのか、まったく合っていないじゃないのか叱られるのか、審判をしていただきたいとおもっている。
でも、その前にせっかく「待っている」といってくれた人がいるのだから、せめてそこは訪ねていこうと思っている。
*
今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
よかったら粟島神社にもいらしてください。
スクナヒコも常世から待っているかもしれませんよ ♪
では、お待ちしています ♪
(長くなったので、今回はヒトコトヌシは登場しません。次を楽しみにお待ちください ♪)
こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。
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