いいひと
一昔前に「いいひと」という言葉が流行った。ニュアンスとしては、「優しいだけの人」という意味で、あまりいいようには使われていなかったと記憶している。あの人はいい人なんだけどねぇ、なんて言って、つれなく振られるときの代名詞のよう。苦い思い出だ (汗)
さて、出雲神話で「いいひと」と言えば、大国主命ではないだろうか。
優しくて、みんなから助けられる神様、そんなイメージ。
おそらく、それは先日も話したけれど、因幡の白兎伝説も大きく関係しているのだろう。
この因幡の白兎伝説が、大国主命を心優しい神様にしている要因の一つであることは間違いないだろう。しかし、本当にそうだろうか。
もともとこの伝説は白兎が悪知恵を働かせたことが原因になっている。悪いのはワニでなくウサギであることが前提となっている。そうすると八十神達の行為は、刑罰のようなものと解釈することもできる。
そこに大国主命がやってきて、その罰を独断で許してやることにした。これはその時代のルールを破る行為であったとも考えることができる。なんにせよ、八十神全員に歯向かっているわけであるのだから。
みなさんは全員が全員賛成の意見に異を唱えることが簡単にできるだろうか。
実は、大国主命の行動は相当に勇気のある行為だったことが分かる。心優しいの一言ですますことのできない、ある種の凄みがそこにはあると感じられる。
このことを思うとき、イエスキリストの行為に近いものをぼくは感じる。
聖書の中に、姦通罪で捕らえられた女性をめぐって、主イエスと律法学者たちが対決する場面がある。旧約の律法では、姦通罪は石打ちの死刑にされることになっていた。判断を求められた主イエスは「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず石を投げなさい」という。すると年長者から始まって一人また一人と立ち去ってしまい、誰も女に石を投げることができなかった。
大国主命もウサギを治療することで、八十神に異を唱えた行為は暗黙のルールの是非を問うものだったのかもしれない。このことが多くの人々のこころに残り、白兎神社が建立されたのかもしれない。
大国主命は単なるいいひとでなかったということ。ほかにも大国主命の物語でただものではないと思われる個所が何か所かあるので、また別の機会に述べたいと思う。
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今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
よかったら、白兎神社にもいらしてください。
お待ちしています。
こちらでは出雲神話から青銅器の使い方を考えています。
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