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嵯峨野の月

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嵯峨天皇と空海が作った「日本」の物語。 昔、日の本のひとは様々な厄災を怨霊による祟りと恐れ、怯え暮らしていた。 新都平安京に真の平安をもたらす二つの日輪、嵯峨天皇と空海の人生を軸…
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2023年5月の記事一覧

嵯峨野の月#64 実ちて帰る

嵯峨野の月#64 実ちて帰る

遣唐27実ちて帰る

さて、この高御座から見る景色とはどんなものなのだろうか?

と、嵯峨帝は目の前に垂れる冕冠の旒(宝玉の簾)の間から、今は閉じられている高御座の紫色の帳を見つめていた。

神野、お前は理想の天皇になるのだぞ…
と幼い頃から父桓武帝に言い聞かされて育ち、とうとうこの日を迎えた。

これから始まる儀式で、「朕」の天皇としての人生が始まる。

大同4年4月13日(809年5月30日)

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嵯峨野の月#65 或る王子の一生

嵯峨野の月#65 或る王子の一生

第3章 薬子1或る王子の一生

昔、二つの日輪が出会い、この小さな島国を照らし続けた奇跡のような時代があった。

第52代嵯峨天皇と空海阿闍梨の出会いの場である大極殿はちょうど平安京の中心に位置し、それこそがまさに…

象徴的なことであるよ。

と空海を謁見の場に呼ぶために奈良仏教界や僧網所に根回ししてきた藤原三守は

これまでの苦労が報われた、と頬を紅潮させ、伏せていた目をわずかに上げた。

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嵯峨野の月#66 橘の系譜

嵯峨野の月#66 橘の系譜

第三章 薬子2橘の系譜

娘時代の薬子が憧れていた光明皇后以来の国母になる女人は、皮肉にも将来の対立相手になる嵯峨帝の後宮にいた。

彼女の名は橘嘉智子。嵯峨帝がこの世で最も寵愛する女人である。

腰まである豊かな黒髪を根元と頭頂部で結い、残りは垂らす垂髷という菩薩と同じ髪型をし、藍色の上着に瑪瑙色の領巾を羽織った彼女の姿は…

まるで生きた観音さまのように麗しいこと。

と嘉智子づきの宮女、明鏡

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嵯峨野の月#67 背徳

嵯峨野の月#67 背徳

第三章 薬子3背徳

それは延暦4年(785年)の秋の盛り。

野の焚火に炙られた鳥や獣の肉がいよいよ脂を垂らして香ばしい匂いを漂わせはじめ、従者の男たちがごくり、と唾を呑み込んだ時に、

鷹戸(鷹匠)が肉の焼け具合を見て「火が通るまでもう少しお待ちくださいませ」と焦らすので随行の従者が暇つぶしに、

「そういえば縄主どの、式家の姫との結婚生活はどうだ?」

と新婚の藤原縄主に問いかけると皆、一斉

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嵯峨野の月#68 真言の灯

嵯峨野の月#68 真言の灯

第三章 薬子4真言の灯

高雄山寺とは延暦の時代、平安京北西の愛宕山中腹に建てられた寺である。

その一室では火鉢に水を入れた鉄鍋を置いて注意深く湯を沸かす僧侶とその客人が火鉢を挟んで向かい合っていた。

鉄鍋の中の湯が沸いて泡が鍋肌に着いた頃合いに最澄は茶葉を淹れ、中で華のように広がる茶葉を見ながら柄杓で一煎目を汲み取り、均等に器に注いだ。

「これは…甘い!」
と最澄自ら淹れてくれた茶を啜り、

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嵯峨野の月#69 宮女明鏡

嵯峨野の月#69 宮女明鏡

薬子5宮女明鏡

お母さまがお亡くなりになられて七日後の夜おそく、

藤原乙叡と名乗る殿方がこっそりとお家を訪ねて来られた。

「実は私は、お前の叔父なんだよ…おいで、明鏡。私がおばあ様の元に連れて行ってあげるからね」

と品の良いお顔に微笑みを浮かべた乙叡おじ様に響き良い低い声で言われたので私はつい気を許し、差し伸べられたおじ様の手を取ってしまった。

…御車に乗せられて連れて行かれた所は長い長

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嵯峨野の月#70 阿修羅

薬子6阿修羅

「さて…あなたには『この子』がどんな表情に見えるのかしら?」

その美しい御方は漆を塗り固めて出来た像の前に私を連れだして、試すように質問なされた。

ぎゅっと眉根を寄せて前方を見据える少年の顔をした阿修羅は、まるで怒りを内に溜めているように見え…

そのまま伝えるとその御方は、

「あなたの心の中には怒りがあるのね」

と自分でも気付かなかった本心をずばりと言い当てて下さったのだ

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嵯峨野の月#71 東国の勇者

嵯峨野の月#71 東国の勇者

薬子7東国の勇者

武人の家に生まれ、元服を過ぎた頃から戦場に赴いては稲穂を苅るように敵の首を獲ってきた。

主の身を守り、主の敵であると認識したらためらいもなく討つ。それが武人のつとめであり存在意義だ。

地獄に堕ちるのは承知の上。血の池地獄なんて、俺にとっては温かい寝床さ。

なれど…

あの時救えなかった命を田村麻呂は今でも悔やんでいる。

延暦8年(789年)の蝦夷征伐は朝廷軍一万の兵が1

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嵯峨野の月#72 王の器

嵯峨野の月#72 王の器

薬子8王の器

右手の蕨手刀の刃先から滴り落ちる敵兵の血を見つめながら…
やれやれ、戦士一人で敵兵30の首を取ると言われるエミシの王、アテルイとあろう者が。

俺も老いたな。と全身で息を付いてアテルイは思った。

彼の周囲には味方の屍が倒れ、流れた血で地面を黒々と染めている。その下には脚を折られて苦痛で身をよじる馬たち。

田村麻呂よ。

会見でも戦場でも会う度にお前に驚かされる。

まさか…ヤマ

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嵯峨野の月#73 負の遺産

嵯峨野の月#73 負の遺産

薬子9負の遺産

今は上皇となられた皇太子安殿親王と藤原薬子との密通が露見した時、

藤原葛野麻呂は、

「なんてことだ…!帝はさぞかしご心痛のことであろう」
と報告してくれた部下の前で夜着の袖で顔を覆って、嘆いた。

はい…と首をすくめた部下は、

「春宮さまと妃の母親の寝間に踏み込んでご自身の眼で密通の現場をご覧になったのです。その衝撃はいかばかりかと…帝は心労で床に伏せっておられる。との事で

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嵯峨野の月#74 征夷大将軍殿の憂鬱

嵯峨野の月#74 征夷大将軍殿の憂鬱

薬子10征夷大将軍殿の憂鬱

開け放した庵の戸から夕焼けの光が差し込み、
紅や黄色のもみじがはら、はら、と苔むした地面に落ちていく。

その光景を
「美しいな」
「ほんに美しいですねえ…」

と互いの背にもたれ合い、しばし現を忘れて見つめている一組の夫婦がいた。

坂上田村麻呂と三善高子夫妻は嵯峨帝より十日ばかりの休暇を頂き、ここ音羽山に建てた別荘で心和むひとときを味わっていた。

「間もなく夕餉

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嵯峨野の月#75 小鳥立つ

嵯峨野の月#75 小鳥立つ

薬子11小鳥立つ

大同4年の暮れ、

騎乗した護衛の武官たちに守られ、輿に乗せられた上皇さまが内裏から平城京へとお発ちになられた。

さすが上皇さまのご出立ということもあり正装した貴族総出で見送られたそれは厳かなものだったけれど随行なさるのが幼いお子様方と尚侍さまごく少数で、どこか寂しい光景でもあった。

と明鏡は輿を見送った貴命から聞かされ、

よりによって弟君である帝がご発病なされた直後に!

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嵯峨野の月#76 火の継承

嵯峨野の月#76 火の継承

薬子12火の継承

「明鏡さま、皇子ご出産。母子ともどもご無事です」

との報を三善高子から受けた嵯峨帝は側近である藤原冬嗣を呼び出し、
「手筈通りに事を進めよ」という密命を下された。

一時も経たぬ内に冬嗣の邸に呼び出された四十半ばの男、

名は広井弟名という。

祖を遡れば百済系の血筋で延暦の昔、父が井戸掘り職人として活躍したことから朝廷より広井造という姓を賜った。

「後宮に務めるある娘が皇

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嵯峨野の月#77 智泉の祈り

嵯峨野の月#77 智泉の祈り

薬子13智泉の祈り

それは、天啓というものだったのかもしれない。

と後になって智泉は思うのだった。

高雄山寺から持って来た法具を持ち、燃え盛る炎を前に真言を唱えて加持祈祷に没入している時、ふと智泉の脳裏に、

サマンタ・バドラ

と梵語で書かれた空海による横書きの文字がまぶたの裏に現れたのだ。その事を修二会の儀式を終えて心配して奈良から駆け付けて様子を見に来てくれた空海に相談すると、

「サ

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