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「毒親」を客観視してみたら

母親が会話の中で「毒親」という言葉を使った。
知り合いと話している最中に、そう思った節があったようで、「あれは絶対毒親でしょ」と。

正直、驚いた。
母親のことを毒親だと思ったことはそんなにない。
それなりに愛情をかけられているのだろうし(自覚できるかは置いておいて)、ちゃんと三食与えられて育ててもらっているので、あまり文句を言える立場でもない。
だが、少なからず母親に傷つけられたことはある。
だから母親が「毒親」という言葉を知っていることも、「毒親」に対する判断基準があることも、私には驚きでしかなかった。

話を聞くと、どうやら知り合いの結婚相手が「毒親」らしかった。
日頃から子供に暴言を浴びせ、見た目が悪いだの、物の置き場所が違うだの、やり方が下手くそだのとかなり口うるさいらしい。
人にとって、どうしようもできない部分まで揶揄するのは本当に腹立たしいことだ。

そんな環境で育てられた子供は、三十路が近づいた今でも職に就いていないのだという。それを聞いて私は「やっぱりな」としか思えなかった。
自分のことを棚に上げるとかそういう意味は毛頭ないのだが、普通に育ってきて職に就けない理由は、私としては「発達障害」か「育てられた環境」のどちらかに問題があると踏んでいる。
どちらも、社会に出るまでに他者の手によって自信と自己肯定感を失わされるからだ。

私の母親はそんな相手のことを「毒親」と称したが、娘の容姿を嬲ったり、障害とからかったり、無能だと嘲ったことは記憶にないのだろうか。
客観的に見て、他人を「毒親」と判断することはできるのに、自分の行動を省みようとはしなかった。

母親のことを嫌いになれない分、話を聞いていてもどかしくなってしまった。
人を客観的に見ることはできても、自分を客観的に見ることはできない。

私がそこで、今思っている負の感情を本人に吐き出すのは違う。だから何も言わない。
けれど、今回の件で、私は母親に対して抱いている負の感情を「毒親」だと言い切ってしまうことに少し自信を失ってしまった。

いや、わからなくなってしまったのだ。
私と同じような状況に陥っている人を「毒親」と見なす母が、同じような行動をしている自分を「毒親」と見なさなかったせいで。

自分がそう思えば、毒親なのだと思う。
そう思いたいという気持ちが強い。
でも世間的に見れば、毒親じゃないのかもしれない。
ただ、私の耐性が低いだけで、それを相手のせいにしようとしているだけなんじゃないかと。
そう思われるのが怖い。
答えは自分の中にしか無いはずなのに。

被害者は客観視などしない方がいいのだろうか。

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栖山 依夜
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