第18話 風雲、急を告ぐ
望月六郎が血相を変えて、智月のいる根津の巫女屋敷に飛んで来た。お雪が死に、甲斐から戻った智月組の巫女たちは、この年はもう何処へも行かず静かに喪に服し、この季節、辺りの草むらでは轡虫が鳴いていた。
塀の外から中を覗こうとする怪しげな男に気付いた使用人のお杉婆さんは、そっと箒を持って、気付かれないように六郎の後ろに回り、思い切り彼の尻を叩いて、
「コノ変質男め! 恥を知れぃ! いったい何の用じゃ!」
と金切り声を挙げた。びっくり仰天六郎は、甲賀の忍びの者のくせして近寄る老婆の気配にも気付かぬとは不覚も不覚。それだけ屋敷の中に意識がいっていたというわけだが、慌てて、
「お、朧さんはいますか?」
と言い訳がましく許しを乞うた。
「なに、朧? 見たところ役人の様だが、おめさん、朧さんに何の用だ?」
としわがれた声で言う。
「大事な話があるんです。呼んでくれませんか」
お杉は六郎のつま先から頭のてっぺんを舐め回すように見つめると、
「朧さん、変な男が来ておるが、追っ払いましょうか?」
と言いながら彼女を呼ぶと、無気力な目をした朧が屋敷の中から姿を見せ、六郎を見るなり「なんの用?」と吐き捨てた。
「話があるんだ。ちょっと出て来れない?」
「話ならここで聞きます」
六郎は困ったように話すのを戸惑うので、すぐに「才蔵の事だ」と察した朧は、お杉に「ちょっと出て来ます」と言って屋敷の門を出た。そして稲刈りの終わった近くの田圃の畔で立ち止まると、
「話ってなあに?」
と聞いた。六郎は何から話せばいいかと言葉を選びながら、やがて傷口に手を当てるように、
「信長が、また伊賀に攻め入ったそうだ」
と、静かに喋り出した。
────先に、織田信長は伊勢から近畿一帯、紀伊までを全て統一したと書いたが、実はまだ塗り忘れた塗り絵の白い一部分のように、平定されていない土地があった────伊賀である。
二年前、それを不快に思う信長は、弟の信雄を送って潰しに掛かったが、伊賀忍びの者たちの結束の前に大惨敗を喫し、怒りを露わにした信長は、この年の九月、再び信雄を総大将に据えて五万もの兵を伊賀に送り込んだと六郎は言った。
対する伊賀は民間人を含めて一万にも満たない人員で、得意のゲリラ戦法でよく応戦したが、信玄が自らを〝天台座主沙門(天台宗の中の最高僧)〟と称したことに対抗して信長は自ら〝第六天の魔王(最高位の仏敵)〟と名乗った如くに、その残虐振りは延暦寺の焼き討ちや一向一揆を撲滅せしめた時と全く同じく、逃げ惑う女子供を容赦なく殺して五日あまりで制圧し、伊賀を壊滅させた。この戦闘で伊賀に住む人口のうち三分の一もが殺害されたと言う。
話を聞くうちに朧の表情がみるみる青褪めるのが判った。六郎が、
「里の危機を知った才蔵は、甲斐から伊賀へ行ったそうだ」
と言った時、
「えっ? それで────それで才蔵はどうなったの!」
今にも喰いつきそうな悲鳴に似た声で朧が聞いた。六郎は、心の何処かで嗤々とした感情を覚えながら、
「死んだよ・・・」
と小さく教えた。
朧はわなわなと震え出し、
「うそ! あの男が死ぬはずない!」
「嘘じゃない! 近江からの山伏の報せだ・・・」
六郎の言葉に、朧は鬼でも睨むような鋭い瞳にジワリと滲ませた涙も拭わず、何も言わずに走り去った。
何故このような事を伝えるために朧の所に来たのだろう────?
六郎は今更のように後悔するが、才蔵が死んだという話を耳にした時、明らかに喜悦に似た感情が湧きながら、これは朧さんが知らなければならない事だと固く信じたし、知らせるならば自分の口からでなければならないと────それがあらゆる道義に増した良心だと確かに思ったのだ。
そして、織田信長の勢いは留まることを知らない。
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