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受け継がれるもの

 夏の大根はあんまり美味しく調理できなかった。やっぱり旬がいいのか、と思いスーパーを回っていると、枝豆を見かけた。おお、枝豆か。居酒屋のおつまみでしか最近は食べていない。夏バテ気味で食欲が落ち、料理欲もあまりないが、枝豆をゆでるくらいなら休日の私でもやるだろうと思い、手に取ったのだった。

 自分でゆでるのは、記憶の中ではじめてだった。袋を開けると、青臭さがあった。いつもの枝豆の匂いではなかった。先端を少し切るというちょっとしたひと手間を加え、塩を揉み混み、沸騰したお湯に入れる。枝豆の匂いというのはいつから発生するんだろうと疑問に思いながら、枝豆をゆでた。

 そういえば、私のひいおばあちゃんちで枝豆食べたよなぁと思い出す。おばあちゃんと一緒に枝付きの枝豆を切ったこともある。あの枝豆の味は、きっともう再現できないんだろうな。

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  話は変わるが、友だちと映画を観に行った。ジブリの最新作「君たちはどう生きるか」である。渋谷のTOHOシネマズは土曜日らしく混雑しており、満席だった。ジブリをはじめて映画館で観ると気づき、ちょっとワクワクしていた。

 あの映画が始まる前、いつも不思議な感覚になる。2時間も経てば、予告しか知らなかった自分から、作品を見終えた自分に変わる。確実に自分が変わる、そんな経験ってあまりないと思う。終わったら、ジブリを映画館で見ていない自分は過去になるんだなと、言葉にすれば当たり前のことを考えながら、暗くなる館内でメロンソーダを飲んだ。

 終わったあと、私はよくわからない顔をしていた(と思う)。見ていた人たちはエンドロールになってもほとんど席を立たず、私も不思議な面持ちで去る人々を見ていた。

 うん、わからない。作品を見れば、自分の言葉で置き換えたり、どこかの箱(感動もの、恋愛もの、好きな作品、怖かった作品など)に分類されたりするが、それすらわからない。まるで形のわからないパズルのピースをもらったようだ。どこに当てはめるべきなのか、どう捉えるべきなのか。

 友だちも同じように感じたらしい。わからなかった、でも面白かった。互いにそう言い合った。

 長い人生の中で、この作品に対して、今、評価を下さなくてもいいな。素直にそう思った。今はわからないものが、世の中には多くあることを既に知っている。そしてそれがいつかわかるようになるかもしれないことも、これからの経験で何となくわかってきた。

今知っていることと、知らないこと。
これから知ることと、知るよしもないこと。

 私の周りには触れられるものもあれば触れられないものも、触れたくないものも触れたいと思うものもある。それらはすべて私の選択によって選びとるのだと思う。

 映画を見たことが、私の選択の中で、今後輝きを増すかもしれない。そんな風に、わからなくても見てよかったと思えるのだ。

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 小さい頃、あの枝豆を食べなければ、この感慨もなかったのだと思うと、あの頃に感謝したくなる。

 ほっかほかの枝豆は美味しかった。あの味にはならないけど、それでも美味しいと思えるほかほか具合だった。冷たい居酒屋の枝豆に慣れていたから余計驚く。

 あたたかい枝豆でホクホクしながら休日を過ごした。大人になる感覚はまだよくわからない。けれど、この感覚はそういう類のものであるように思う。生きていなければわからないものがあるんだと、今だから言える。私の中で受け継がれるものが、きっとこれからも増えていく。それは何より素敵なことなんだろうなぁ。


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