「戦争はある一人の身勝手で引き起こされた」
はじめに
今年の夏、我が家は読書家になりました。(と言ってもいいと思う)「図書館で本を借りることで、にっくき(これは私の言葉)住民税の元を取ろう」という方のnoteを拝見し、ハッとさせられたのです。私の彼女においては、もともと彼女の中でスイッチが入れば果てしなく読書をするので、ちょっと羨ましいなと思っていましたが、私は中学校以来、マンガしか読んでないんじゃないかと思えるほど知識の足りていない人間です。なのにらしいことを記事にしています。
どんな本を読もうかと思ったときに
私は議論が好きです。もっと言えばその議論に勝つことや、お互いの良いところを取ったり妥協したりして、中立的な意見で終えることが好きなのだと思います。その面白みは、「自分とは正反対な人の考え」を知り、その理由を理解できたり、そんな人の考え方やエッセンスは、良くも悪くも、自分の視野を拡げ、「こんな人も居るか」「仕方ないか」「それは自分にも言えるんじゃないか」「相手ができなくても私が手伝えばもっとよくなるんじゃないか」というように、考えを飛躍させることに繋がると実感できるからです。それは絶対的に、学校等で行われるロールプレイのような「仮定」よりも、会社で起こりうる「議論自体」が「現実」にあり、それを楽しんでしまっているからだと思います。そんな感覚から、私の好きなことをよりも、嫌いなことやものについて読むことを優先してみることにしました。
戦争
前述の内容から急に何だ!と思える見出しなのですが、私の嫌いなことやものの事柄の中で、というか意味の分からないことのひとつである、戦争についても重きを置いて、本を選ぶことにしました。毎年8月は個人の興味の有無に拘らず、日本全体があの日の戦争のことを考えたりします。私は前述の通り知識が足りていない人間です。例えば、「第二次世界大戦」「太平洋戦争」「大東亜戦争」の違いを「知りません」。また、ある国が何故日本を非難することが多いのかその理由を「知りません」。あまり言葉にしたくないような、日本の植民地時代の事柄や他のことが重なってのこと「なのだろう」、で私の思考は止まっています。「あの国は日本が嫌いなんだなあ」以上に深く知ろうとしていませんし、家族を亡くした大きな理由も無いけれど・・・「知らない」私が相手に向かって、何も知らないで、昔の人たちが判断を間違った「だけ」と言ったり感じたりすることは、もしかしたら「私は無責任なのかな」と思ったりもします。(まあ考え込み過ぎでしょうね)
戦争はある一人の身勝手で引き起こされた
図書館で借りて読んだ本のうち、こんなような言葉を知りました。私は「なぜ戦争が起きたのか」を知識とする上で、誰か「個人」を指して非難する見出しには目を引きました。ハーバート・フーバー。アメリカ合衆国第31代大統領その方によれば、大日本帝国は欧米から(というかまた別のある一人)経済制裁を受け続け、日本が戦争を引き起こすように仕向けたのだというのです。フランクリン・ルーズベルト。こいつが32代大統領で、提示された降伏条件を日本が幾ら呑んでも無視し続け、何としても日本を叩き潰そうとしていたらしいのです。ハリー・S・トルーマン。最終的にはルーズベルトの操り人形だった第33代大統領の判断によって、日本に原爆が落とされます。「ある一人の身勝手」だけ聞くと、私たちが生きる今がその真っただ中にあることを実感します。その人にどんな理由があるのか、知れば知るほどに、人が嫌いになりそうです。私は戦争に関する本を読んでいると、虚無の時間があります。どこまで読み進めても楽しくないし。ただ、知っていてよかったとは思います。自分の中に新しい引き出しを作った感覚ですが、ただ、それだけです。どんな感想も、意味が無い気すらします。
終戦から77年
地元に居るときは「終戦から50年」と言われていたのに、今年はもう77年だそうです。考えれば、自分のじいちゃんたちは当然に戦争を経験していて、その言葉を受け継ぐどうこうの大切さは、じいちゃんたちが居なくなってしまってから気づかされるんです。小学生のとき、じいちゃんに戦争の時の様子を聞いてくるよう宿題を出されたことがあります。うちのじいちゃんは勤勉で信心深く真面目な方で、突然の孫のお願いには原稿用紙10数枚に応えてくれたと記憶しています。「米などなくさつまいもを食べていた」など、教科書で見る言葉ではない「事実」には重みがありますが、当時の私はぜんっぜん分かっていなかったですね。教員ですら感嘆の声を漏らしていました。じいちゃんの言葉は私の中に何にも残っていないかも知れません。ただ、ふとした時や、夢の中で掘り起こされたりするので、私はそれを掴み続けるしかないのかも知れません。
さいごに
学生時代のように図書館に通い、活字と歴史に触れていると、本当に欲しい書籍だけは購入も検討して、お金を掛けたくなるものですね。しばらく私にとってのフィクションは映像作品のみで、本においては小説やファンタジーというようなフィクションでなく、事実を知ることに費やしていきたいと思いました。