「写真」は「印象派」の兄弟で、どちらも「現代アート」だった!
「写真史と美術史は分けない方が、写真が分かる」という前回のテーマの続きです。
ざっとおさらいすると、ルネッサンス以降のヨーロッパの写実絵画は、実はカメラ(カメラ・オブスキュラ)を使って描いた「手描き写真」で、そこから産業革命の時代になって「写真術」が発明されたのでした。
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さて写真が発明された後のことについて述べると、まず写真術が世の中に広まるにつれ画家が職を失うようになります。
(上記動画の「後半」を元に記事を書きました。同じ内容のようでいて、けっこうなアレンジを加えております。書籍化も視野に入れてますので、応援よろしくお願いします(笑)
前回も述べた通り、写真が発明される以前のヨーロッパでは、画家たちが台頭してきた市民階級の需要に応えて、肖像画を描きまくっていたのですが、それが急速に「写真」に取って変わられたのです。
フランスで発明された写真術=ダゲレオタイプは特許権がフリーでしたから、技術を習得して道具を揃えれば誰でも写真館を開業することができたのです。
もちろんダゲレオタイプは感光板から薬品から全て手作りで、それなりに専門的な知識と技術が必要でしたが、手で絵を描くよりも断然効率的で、しかも正確無比の「写真」を手に入れることができるのです。
ダゲレオタイプは爆発的にヒットして、ヨーロッパはじめアメリカにも広がり、それと共に画家の多くが職を失ったのです。
いや画家は職を失っただけでなく、写真によってアイデンティティまでも失ってしまったのです。
かつてアカデミックな写実絵画を描くことは、優れた才能と高い技術を持つ「画家」だけが可能であり、だから画家は自らに誇りを持ち、人々から尊敬を得ていたのです。
ところが写真術が登場すると、画家という存在の特権性が失われて、画家自身のアイデンティティも失われていったのです。
そうすると画家の中から、伝統を否定し、同時に写真も否定しながら「人間だけに描ける絵を描こう」と考える人たちが出てくるのです。
それが印象派の画家なのですが、印象派絵画に特徴的な荒いタッチは、「人間だけに描ける絵」を目指しながら産み出された技術なのです。
同時に印象派の画家たちは、これまでにないカラフルな色彩で彩られた絵を描きました。
一方で発明されたばかりのは、モノクロでしか撮れず、色の表現ができませんでした。
印象派の画家がカラフルな色で描いたのは、伝統的な写実絵画の色彩を否定する意図があったことは確かですが、もう一つの理由として、モノクロでしか撮れない写真への対抗意識があったのかも知れません。
それに加えて、印象派が追求した要素が「スピード」です。
特にモネは非常に速描きで、例えば『積み藁』という作品はシリーズで何枚も描かれていますが、最初は晴れと曇りの二つのバージョンだけを描こうとしていたらしいのです。
ところが、実際に積み藁を見ていると光がどんどん変わって行き、そうすると「どんどん描かなければ!」とその変化を追いながら『積み藁』の異なるバージョンを短時間で次々に描いて行ったのです。
それはじっくり時間をかけて描く伝統的な絵画の否定でもあったし、露光時間が長かった黎明期の写真とスピードを競っていたとも言えます。
いずれにしろ産業革命以降の近代は、工場生産、交通網、通信など技術の発達がめざましい「スピード」の時代ですから、近代に相応しい絵画はスピード重視であるべきだと考えたのかもしれません。
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さて話は「写真」に移りますが、黎明期の写真家というのは、元は画家だった人が少なくなかったようです。
だからその意味で言うと、ヨーロッパの古典絵画は一方では写真を産み、もう一方では印象派を産んだと言えるのです。
画家から写真家へ転向した人に、ナダール(1820年〜1910)がいます。
ナダールはカリカチュアと言われる風刺画を描いていた画家でしたが、それが写真に転向してパリに写真館を開きます。
ナダールが撮る肖像写真は当時としても大変に優れていると評判で、多くの有名人の肖像写真もナダールによって撮影されています。
そして実は、ナダールと同じくカリカチュアを描いていた画家に、先ほど紹介したモネがいるのです。
印象派を代表する画家であるモネが、それ以前は全く異なる作風でカリカチュアを描いていたのも、なかなか興味深い事実です。
カリカチュアと言うのはあくまでイラストであり、芸術ではありませんから「はみ出し者の画家」だったという意味でモネとナダールは共通しています。
そんなナダールとモネの一方が写真家として名を成し、一方が印象派の代表として歴史に名を残すことになったのです。
そのように見ても写真と印象派絵画は実は兄弟の間柄で、もっと言えば写真も印象派も当時の最先端の「現代アート」だったのです。
この両者の関係を如実に示すのが、1874年に開かれた「第一回印象派展』で、その会場が実はナダールの写真館だったのです。
つまり最先端の現代アートであるナダールの写真家で、同じく最先端の現代アートである印象派展が開かれたのです。
一般に、印象派絵画が現代アートの先駆けであったことは認識されていますが、一方で発明されたばかりの「写真術」も現代アートであったことは、あまり知られていません。
しかし前回の記事から述べてきたように、「写真」は古典絵画の延長上に産み出されたとは言え、産業革命の成果を採り入れたまったく新しい表現方法であり、未知の可能性に開かれた現代アートの一分野だったのです。
だからこそ、カリカチュアを描いていた「はみ出し者の画家」だったナダールが「写真家」に転向した途端、これまでにないクリエイティビティーを発揮し、数々の肖像写真の名作を産みだし、それらは同時に芸術性の高い「現代アート」だったのです。
ですから最先端の現代アートである「写真」が産み出されるナダールの写真館で、第一回印象派展が開かれたのは、非常に象徴的なのです。
この第一回印象派展をはじめ、初期の印象派絵画は伝統から余りにかけ離れていたため、世間の理解が得られずマスコミからも激しくバッシングされましたが、そんな彼らにナダールは理解を示し、展覧会場を提供したのです。
それだけでなくナダールは、多くの印象派画家たちの肖像写真を撮影しているのです。
現在一般に知られているモネをはじめ印象派画家の肖像写真は、どれもナダールにより撮影されたものです。
それほどまでに、「写真」と「印象派」は親しい間柄だったのです。
ところが現在は、一般に、いや専門家の間でも「写真」と「絵画」は別物だと認識されています。
また「写真」と「現代アート」はもともと別物だったのに、最近になって「現代アートとしての写真が増えてきた」などと言われています。
しかしこれらの認識は、歴史を遡って考えるとまったくの間違いで、「写真」は元から「現代アート」なのであり、ですから今の時代に写真を撮るわれわれも、その事を意識して思い出す必要があると思うのです。
そして同時に「写真」は「古典絵画」の延長上にあるのですが、次回はそのあたりを少し掘り下げていこうと思います。
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