自己否定の強かった私が自分大好きに変わるまで③
ついに夫の身近でコロナ感染者が!
もし夫も陽性だったら、わたしも・・・?
こんにちは!
大阪・兵庫で活動するファッションセラピストの上杉いとです。
夫、仕事が〜検査が〜お天気が〜とパニクってたわりにはぐうぐう寝てるのなんなん?
なんでそんな気にせず寝ておれるん?なぐってええかな?(ばれない程度に)
まぁいま気にしたところで、感染してたらもうどうしようもないからしゃーないか。
気を取り直して、「自己否定の強かった私が自分大好きに変わるまで」のつづきを書いていきますよ~。
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前回お伝えした、「あなたは絶対!運がいい(著者 浅見帆帆子)」という本を読んで実践できた以下の4つの具体的なエピソードを今回はお伝えします。
①自分をほめる
②なりたい姿の自分を思い描く
③ほめられても否定しない
④新しい世界の人とつながりを作る
自分をほめる
自己否定の強いわたしが自分をほめるられるんかな…そう自己否定しながらも「ほめられる場面があればやってみよう」と決意しました。
しかし、自己否定をするのが習慣になっているので、自分をほめることはそう簡単ではありませんでした。
つい自己否定をしてしまい、「またほめられなかった」と落ち込むことが多くありましたが、あるときふと気づいたのです。
「だれもほめてくれないのなら、自分をほめてあげられるのは自分だけだ。こんなわたしだけど、一所懸命生きてるんだからほめてあげよう」そう思うと、自分自身をほめてあげたい気持ちが湧いてきました。
家の手伝いや仕事がうまくいったときに、「わたし、今日がんばった!」「わたし、エライ!」と自己否定せずに心の中でほめてみました。
はじめは少し恥ずかしい気持ちになりましたが、だれに聞かれるものでもないし、やってみると元気な気持ちもでてきたので、それからは寝る前に「今日もがんばったね」と自分をほめてねぎらうようになりました。
なりたい姿の自分を思い描く
20歳のときに「人の心にぬくもりを与えられるような存在になりたい」と考え、自己否定する自分を変えたいと決意していたので、本を読んだときは「これは大丈夫。」と思いました。
しかし、それは大きな間違いだったのです。
「なりたい」と思っただけでそこから先の「なりたい姿になれたわたし」は全く思い描けていませんでした。
そのため、「なりたい姿」になるためのモチベーションが続かず、「どうせ無理だ」と自己否定することが多くありました。
そもそも、「なりたい姿」になるために何をしたらいいを明確にできていなかったので、ただ目の前にあるツラいことばかりの日常をせいいっぱい生きることしかできていませんでした。
たまに自分をほめる程度で特に変われない自分の姿に、「やっぱりわたしには無理だ。だって生きる価値のない嫌われ者なんだから…」と変わりたいのに変われないダメな自分を自己否定してしまい、親になにも言われなくても自ら自己否定の沼に沈んで苦しむようになります。
自分の不出来さばかりに目がいって、やがて「なりたい姿」を思い出すことも少なくなっていきました。
ほめられても否定しない
本に出会った当時はコーヒー専門店で働いており、2年目ということもあって接客にもコーヒーを淹れる技術にも慣れた頃でした。
人の顔と名前を覚えるのは苦手なのですが、コーヒーチケットをお店に預けるお客さま全員の名前と顔が一致してきた頃だったので、仕事に慣れてきた余裕から笑顔が自然と出せるようになりました。
この頃から多くのお客さまに「看板娘」と呼ばれるようになり、人生ではじめてちやほやされて、こんなに嬉しいことがあるんだとしあわせな気持ちになれました。
「だれにも必要とされない生きる価値のないわたし」と自己否定ばかりするわたしに、「看板娘に会いに来たよ」「上杉さんの笑顔を見ると元気がでる」と言ってくださるお客さまがたくさんいたのです。
こんなありがたい言葉を受け取らずに、そんなことないですと自己否定してしまったら失礼すぎる、こんなわたしを認めてくださるのだから素直に受けとるのが一番だろうと考えました。
このことがきっかけで、ほめられたときは素直に「ありがとうございます」とお礼を言ったり、笑顔で返したりできるようになりました。
また、本来ならほめ言葉をもらえるような人間ではないと自己否定していたので、感謝の気持ちを表すためによりいっそう笑顔に磨きをかけ、お客さまひとりひとりのクセを覚えて接客することを心がけました。
その姿勢にお客さまはよろこばれ、またほめられて感謝する・・・人生ではじめて好循環が生まれ、「感謝の気持ちがしあわせに導く」と気づくことができました。
新しい世界の人とつながりを作る
自己否定をしていたときは、どれだけ仕事がうまくいっても、血のつながった親とうまくやれなければ意味がないと思っていました。
そのため、仕事でのしあわせな気持ちも自宅に帰れば吹っ飛んで自己否定するわたしに戻っていました。
趣味もまったくなく、友人もほぼいない。
母校は他県にあり、生徒は全国から集まってくる学校だったので、卒業してしまえばよほど親しくない限りその後の付き合いなんてほとんどありません。
地元も生まれ育ったところではなく、友人と呼べるのは片手もいない。
そのことがまた「わたしには友だちすらまともにできないダメな人間」と自己否定する理由になっていました。
しかし、こんな自己否定するわたしにもよく会ってくれる中学のときからの友人がひとりいました。
わたしと遊んでくれる友人はその子しかいなかったので、それを理解してくれていた友人はほかにもたくさんの付き合いがある中で、わたしともよく会ってくれていました。
その友人が「最近知り合ったひとたちがめっちゃおもしろい」と会うたびにどこどこに行った、こんなことしたと話すのです。
はじめは、そうなんだくらいにしか感じていませんでしたが、とても楽しそうに話す友人を見てうらやむ気持ちが出てきました。「わたしにはこの子しかいないのに…」遊んでくれる友人がほかにいない自分がイヤでまた自己否定をしていましたが、本を読んで「わたしも新しい友人を作ればいいんだ!」とその友人にわたしにも紹介してほしいとお願いしてみました。
友人が快諾してくれたので数日後に会うことになりましたが、初日は緊張して打ち解けられなかったので、「わたしごときが新しく世界を広げるなんてできるわけないんだ」と自己否定して落ち込みました。
ところが、会ったひとたちがまた遊ぼうと言ってくれて2回目があったかと思ったら、なんとそれ以降はほぼ毎週、居酒屋やカラオケで会い、BBQやクリスマスパーティーなどイベントも一緒にするまでの仲になりました。
この出会いでわたしが学んだことは、新しい出会いによっていろんな価値観・考え方の発見ができ、視野が広がるということでした。
そして、友人たちはけっしてわたしを貶したりせず、ほめてくれる存在なんだとようやく気づくことができたのです。
仕事以外でも楽しみを見つけられ、前よりは自己否定する時間が減りましたが、これでなにかが変わったかというとそんなことはありませんでした。
わたしの自己否定の強さは、仕事と友人関係がうまくいったからといって改善されるほど簡単なものではなかったのです。
光が強ければ影もまた濃い
仕事に友人と楽しい時間が増えるほど、自分の存在意義をより強く意識するようになっていきました。
「外では輝けても家に帰れば疫病神。わたしのしあわせなんてだれも望んでいないのに、こんなふうに楽しんでいいのだろうか」と自己否定してしまうのです。
楽しみがなにもなかったときも自己否定をして苦しかったですが、楽しみやしあわせな時間を多く知ったことで、「生きる価値のないわたしのくせに」「わたしはしあわせになってはいけないのに」と本当はそう思いたくないのに自己否定をして、こんな自分は死んだ方がいいと自己否定も自殺願望も強まるばかりでした。
そんな思いを胸に秘めたまま外では笑顔を振りまき、家では般若のような顔で過ごしていたので、それが気に入らないと親に責められるようになり、「もうどうしていいかわからない、しあわせもいらないから死にたい」と自己否定してもう本当に死んでしまおうかと思っていたころに転機が訪れました。
よく会っていた友人のひとりと付き合うことになったのです。
長くなったので今回はここで締めます。次回は上杉の大恋愛編です!(このブログ、夫も読んでるけどまぁええかw)
次回もお楽しみに!
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