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ゴキゲンがゴキゲンを生むSNS活用を
週初めしかも多くの人はお盆休みの連休明け。多くの人は昨日の晩から憂鬱な気持ちだったのではないだろうか。
何を隠そうこの私も6連休という長い休暇をいただき6連休明けの朝を眠い目を擦りながら気だるく目覚めた。
仕事が嫌いでもない。
むしろ今の自分の仕事が好きで6日間はあえて仕事のパソコンには触れなかったのだが気になることはたくさんある。だからこそ仕事モードでどちらかというと緊迫した朝を迎えた。
仕事の日の朝も早朝は軽くSNSの通知の確認から始まる。私の毎朝の日課はTwitterとnoteの通知を確認してコメントを返したり、時々リアルタイムでTwitterでコメントのやりとりをすることから始まる。
そこで今日という一日をゴキゲンな気分でスタートさせてくれる出来事があった。
フォローしていただいている方が私の書いたnote記事について取り上げてくださったのだ。あまりに嬉しくてコメントを書き込むと、“いきなりリンクを貼るのは失礼かと思い名前を拝借しました” となんとも謙虚なコメントで返信を頂いた。ありがとうございます。
私は図々しくも私の記事にリンクを貼らせていただいたのだがそこはお許し願いたいと思う。
この方が書かれているように日々自分をゴキゲンにするように生きることは私は生きていく中で幸せを感じる秘訣なのだと思う。
今回は私が自分自身をゴキゲンにしていることを書いたことに共感いただいたことで記事にコメントをいただき私はさらにゴキゲンになったということだ。
つまりゴキゲンはゴキゲンを連鎖させるということだ。
これとは逆にフキゲンもフキゲンを連鎖させる。
例えば今Twitterなどで問題になっている誹謗中傷がそうだ。誹謗中傷は中傷する側のフキゲンから起こるものだがもちろん中傷される側にもフキゲンを植え付けるし、そのやりとりを見ている人たちにもフキゲンを拡散させるのだ。
これらの人は私からすると、まるでフキゲンになるためにSNSをやっているのかとさえ思えてしまうのだ。
私はTwitterやnoteをはじめSNSはゴキゲンを連鎖させるために使ったほうが絶対に価値のあるものになると思っている。
SNS疲れなどという言葉もあるが、それは他人に合わせたり、他人を羨んだり、強迫観念を感じたり、といった自分をフキゲンにする思考からくるものだ。
誰にも忖度することなく(もちろん人をなるべく傷つけないという気遣いは必要だが)、自分のありのままを(好きなこと、そして嫌なことを含めて)発信していれば自分の価値観に合わない人は離れていくし自分の価値観に近しいマインドを持った人は自然と引き寄せられてくる。
そういった人たちと関係性を維持していくことは自分をゴキゲンにすることであるし、相手をもゴキゲンにすることなのだ。
これは馴れ合いをするというのではなくあくまで自分のスタンスで良いのだと思う。
見てくれるから「スキ」をしなければという強迫観念を感じたり相手が「スキ」をしてくれないと僻んだりすることはフキゲンを生むからだ。
私はいいと思ったらコメントやスキをする。しかしフォローする人が増えるにつれて全ての記事を見ることはできなくなるだろう。
それでも時々コメントしたりスキをもらえたりすると元気かどうかタイムラインを見に行きたくなるし改めて関係性は続いているのだと実感できて幸せな気分になる。
だから遠慮なく私の記事にもスキやコメントをしてもらいたいと思う(本音)。
程よい距離感でお互いがゴキゲンでいられることが私なりにSNSを使うコツなのだと思う。
ゴキゲンがゴキゲンを生むSNS活用。
せっかく時間を使うならばそういう使い方をしていきたいものだ。