「ビジョンは敢えて語らない」ーーー創業時のエピソード
※本記事はイタンジ前CEO 野口 真平の記事です
本ブログは、イタンジ株式会社代表取締役 野口 真平が、不動産業界においてSaaS企業を経営する中で、日々感じたことや考えていることについてつづります。
第二回目となる今回は、イタンジ創業時のエピソードについて。ビジョンを語ること以上に、目指すべき方向性が伝わるのではないかと考えています。
イタンジが創業された理由
なんやかんやで8年ほど経つイタンジという会社の成り立ちを知る人も少なくなってきたので、創業間もないときのことを書いておきたいと思う。
なぜイタンジが創業されたのか。
初めに言っておくと創業者は伊藤嘉盛であり、実際のところ彼がどういった気持ちで会社を立ち上げたのかは正確なところはわからない。ただ、後から加わった立場から会社が目指している姿を自分なりに咀嚼していき、次第に同じ思いを共有できるようになったので、私の目線から会社の目指す姿に関わる象徴的なストーリーを記載していこうと思う。
私はイタンジの5人目のメンバーとして加わった。3人の創業者のうちの1人が学生時代に知り合った千葉さんという方で、「不動産業界を変える会社を作るから一緒にやろう」と誘ってくれたのだ。この誘いが私にとって不動産業界への入り口だった。
イタンジ初期のサービスは「HEYAZINE」と「ReCS」という、B to CとB to Bの2つのサービスだったが、今はもうない。Paul Grahamの言葉を借りるとこれらのサービスはプロダクトマーケットフィットしなかった。この辺りの事業の失敗理由や、キャッシュが尽きて倒産しかけたエピソードは長くなるのでまた別に書こうと思う。
とにかく創業時はその2つのサービスを携えてVCから資金調達し、不動産業界へ乗り込んでいったが早々に撃沈した。
私はイタンジに入って暫くは旧代表の伊藤嘉盛と行動を共にすることが多かった。彼にメディア運営のコツや賃貸業界のことを教えてもらい、未経験ながら彼の思ったことを手足として行動に移すような仕事をしていた。メディアの記事を企画編集したり、不動産会社にインタビューしたり、部屋の撮影代行なんかもした。最初は自分のやっていることが何に繋がるかよくわからなかったが、ただがむしゃらに組織の役に立ちたいという思いで業務をこなしていたのを覚えている。
後から振り返ると、当時24歳でインターネットの世界も不動産のことも何も知らない自分にとってはとても貴重な体験だった。当時の仕事一つひとつが自分の今のアウトプットに繋がっていると今なら自信をもって言える。
話は脱線するが、大半の仕事はやっている時点でそれがどう自分のキャリアにつながっていくか、将来役に立つかなんてわからないもんだ。そんなことは意識せず、大まかなやりたい方向性が合えばあとはその時々の組織として必要としている業務へがむしゃらに向かえばいいと思う。そうして結果を残せば裁量と責任が増え、だんだん視界が広がってくる。Connecting the dotsとはよく言ったもんだと思う。
初めての賃貸仲介取引
話を戻すと、そんな先行き不透明だけどひたすらなある日、転機が訪れた。
当時事業として中心に添えていた「HEYAZINE」が鳴かず飛ばずの中、代表の伊藤は消費者に賃貸取引の良質な体験を提供しないと変えられないと考え、賃貸の仲介業務をオンライン化する方向に舵を切った。
「HEYAZINE」というメディアを「HEYAZINE PRIME」(後のnomad)というオンライン仲介サービスに変え、自分達で仲介運営を実施することになった。ただ、当時の事業運営は永嶋(現OHEYAGO責任者)、私、濵田(現執行役)も、全員賃貸仲介は未経験だった。よくわからないまま、アルバイトや事務の女性陣に毎日教えを請い、不格好ながらバタバタと立ち上げたのを覚えている。
この2014年夏の経験をたまに思い出す。
私はそのときに初めて賃貸仲介業務を学んでいったのだか、業務自体はそんなに難解なわけではなかったのだがとにかく電話とFAXの量に辟易した。私は多いときには1日300回もの「物件確認」と呼ばれる電話業務をこなした。内容としては、部屋が空いてるかどうかを確認するだけの極めて単調な業務である。(人がやるべき仕事か?)
当時電話機に耳を当てすぎて右耳が腫れてしまったので、もう片方の耳で荷電していたらそっちも腫れてしまい非常に耳が聞こえづらい期間を過ごしていた。(この体験が後にぶっかくんというサービスを産むきっかけとなる。)
素人ながらこれが本当に必要な業務か疑問に感じ、自分のような単調な業務を何万人もの人がストレスを感じながらこなしているのだとしたらこれほどの負はないなと思ったのを覚えている。
私が仲介した女性の話
物件確認電話だけでない。私が仲介業務をしていて最もストレスに感じたのは、部屋を探しているお客様に部屋紹介してると、大半のお客様が楽しそうに部屋探しをしている状態からどこかのポイントで不動産会社に騙された、という気持ちにさせてしまっていたことだ。
自分としてはお客様の部屋探しが楽しいものとなるようにサポートしたいのは山々なのだが、提案する情報が実は既に募集終了物件であったり、媒体に記載のない初期費用や条件が後から発覚したりする。厄介なのはこれが構造上、仲介の力だけでは解決し難い点だった。賃貸業界はどんなに努力をしても、誤った情報をお客様に伝えてしまう構造になっていた。
私が接客したとあるシングルマザーの女性は、その日、はるばると田舎から上京して内見に来られた。年収も低く苦労の末に漸く条件に合う物件を見つけたのだが、現地でその物件はとうの昔に募集終了していたことが発覚した。もちろん事前に空室確認をしたが、担当者から聞いていた情報は誤りだった。それが意図的だったのかミスだったのかはわからないが、仲介現場ではよくあることだった。
その女性は現地で落胆し、私は焦りながら他の条件に合う物件を探すも条件に見合う部屋はなく、その足で田舎まで帰られた。こんなサービスしか提供できない自分が恥ずかしく、最後は彼女の顔をまともに見ることは出来なかった。
その時期に私は漸く、イタンジの掲げる不動産取引を滑らかにするということがどういうことを意味するのか理解できた気がした。その後も、さまざま業務に関わる中で業界の負の面を体感していった。次第に不動産業界を変えていきたいという思いが強くなるのだが、一方でそういった非効率や情報の非対称性を生んでいる構造が想像していたよりも遥かに根深いことにも気付いていった。
ビジョンは誰かに教わるものなのか?
いやはや、インターネットがこれだけ普及してるのにも関わらずもう30年もこの構造は変わっていないのだ。そしてこれまで賃貸業界を変えようと多くのチャレンジャーが名乗りを上げてきたがことごとく業界の壁に阻まれている。
もう我々も8年になる。
当初描いたスピード感ではないが、今年になって漸く業界を抜本的に変えられる手応えを感じた。近く宅建業法も電子交付を認める方向で改正されるであろう。これまでになかった大チャンスだ。
残念なのは、私たちの会社でも他の会社でもこういった負を感じ最初はそれを変えたいと志を同じくしても、業界の壁の厚さに心折れて、殆どが途中で業界を後にしてしまうことだ。
私はまだ7年だが、当時から同じような志を持っている人達がどれだけこの業界に残っているだろうか?
幸いにも私はこの業界を変えたいという思いが以前よりもさらに激しく灯っている。もちろん、道半ばで心折れそうなことは何度かあったが、根本のところであのときに内見応対した人々の表情を思い返すことが出来、自分が変えなければ誰も変えられないだろうな、という尊大な思いがあるからだ。
イタンジも人数が増えてきて、今後も新しく優秀なメンバーが数多く入社してくれる。彼らにはもちろんビジョンを理解してもらいたいが、それ以上にユーザーと向き合ってもらいたい。そうすれば自ずとイタンジのビジョンがどういったものか理解できるだろう。
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