新潟市、日本のヴェネツィア
皆さん、こんにちは! フラビオです!
本日は、僕の人生を変えた港町、新潟についてお話したいと思います。皆さん、行ったことありますでしょうか。
文部科学省の奨学金を受けて、日本でビジネスを学ぶ為に新潟に来ました。将来、イタリアと日本の架け橋として働きたいという気持ちがありますので、やっぱり経済やマーケティングの勉強が欠かせないと思いました。 新潟に来る前は、新潟という街をよく知らなかったですし、日本人の友達に聞いてみたら、みんなが田舎という印象を持っていました。ですが、実際はそうではないと思います。新潟は500年の歴史を持つ都市なのです。
港町
都市の成り立ちは、一般的に「人が集まる」理由に基づいており、日本だと普通はお寺や神社、あるいはお城の周辺に人が集まり、門前町や城下町が発展していました。しかし、新潟が特別なのは、まさに港町であることです。というのも、日本の港町は思ったほど多くなく、10町にも満たないからです。港町は常に貿易と船による物流に集中されますので、新潟はネットワークとビジネスの街と言えますし、歴史的に有名なこの街でビジネスを学ぶ機会があるなんて、僕にとって光栄なことだと思います! 新潟という港町のさらなるメリットは、日本の他の都市とは異なり、日本が海外に開かれた地点のひとつであるという事実ですね。港の存在は、外国船の日本上陸を可能にし、日本社会に多くの変化と進化をもたらしただけでなく、日本が海外に影響を与え、グローバルな国際化現象に影響を与えました。僕の考えでは、新潟の街にはヨーロッパの影響が少なく、昔は街内路面電車が走っていましたし、今でも街にはヨーロッパ風の建物が多く、北海道の函館という港町と少し似ているような気がしました。
日本のヴェネツィア
皆さんはイタリアの都市ヴェネツィアをご存知ですよね?街の運河とゴンドラでの移動で有名なロマンチックな街だ。ヴェネツィアを世界的に有名にした特徴は、まさに車道がないことで、その代わりに運河を船で渡ったりすることです。 ヴェネツィアと新潟に何の関係があるのかと思われる方もいるかもしれないですね。かつての新潟はヴェネツィアによく似ていたのです。 昔から、新潟市は信濃川によって二分されています。過去と現在の新潟市の地図を見比べると、その地理的な変化がよく分かります。当初、信濃川は新潟市をより遠く南と北の部分を分断していましたが、時代が進むと共に技術が発展され、非常に長い万代橋が作られたゆえに北と南の方が結ばれ、現在は2つの部分が互いにもっと近くなったため、万代橋も短くなっているのです。
街の北の部分(現在の古町が置かれた場所)は、ヴェネツィアのように様々な運河に分断されていました。ここに本町という街の主要部があり、運河や信濃川に近く、交易に最適な場所だったらしいです。本町から、冬の間お米を貯蔵していた白山島(現在の白山公園、白山神社でとても有名)に行くのも簡単でした。
現在でも、古町の全ての道がまっすぐじゃなくて、曲がっていることが分かります。それはなぜかというと、新潟市が運河や川に沿って建設されたためです。少し想像さえすれば、昔の新潟市が思い浮かんでくるんじゃないかなと思います。例えば、運河に流れている水の音とか、新潟市を結んでいた多い橋のことですね。
神社
ご存じない方も多いと思うのですが、新潟県は日本一神社の多い県でございます!京都よりも多いですよ! 昔は、日本人が農業を祈願して神社を建てたということですね。こうすれば、お米をたくさん収集することができると信じられていました。新潟の最初の神社はとても綺麗な白山神社でした。白山神社は、この地域で最も高い山のひとつを見下ろしていたらしいです。聞いた話によりますと、山があるおかげで、山腹から田んぼに水が流れ込み、農業をうまくできるようになるそうです。それがゆえに、白山神社が山を向いて作られたということです。その後は、同じ神様に感謝をする為、白山神社を中心に数多くの副神社が発展しました!まさか、新潟の米がとても美味しい理由は、そのためなのでしょうかね!
新潟のような都市の歴史を発見することは、僕にとってとても興味深いことでした。信濃川の水に囲まれた昔の新潟の様子を想像しながら、古町の通りの曲がりなどに注目して、歩いました。僕が思うに、古町(本町)が今でも新潟市の中心であり、現在はそこにとても美味しそうな旬の果物や野菜を手頃な値段で買うことができる商業店も置かれています。また、新鮮な魚屋さんもたくさんあり、地元の人たちにとても人気があります。 この街を訪れてみたくなったでしょうか!質問があれば、コメント欄に書き込んでくれれば嬉しいです!
それじゃまた!Ciao ciao!