17.タオルミーナでの半年間の留学生活
3月から9月まで、タオルミーナのもっとも美しい時季の留学でした。
基本、まじめな性格なのでサボることもせず宿題もちゃんとやって、つつましいアラフォー留学生だったと思います。
留学生活の1日のスケジュール
午前
6時30分:起床
ラジオ体操をして、朝ごはんを食べて、学校の予習をする。
8時20分:家を出る
学校までバスで通わなくてはいけない場所に住んでいたのです。
バスの来る時間がまちまちでたいてい20分ほど遅れてました。
でも定刻より早く出ることもあるので油断なりません。
仕方なく毎朝この時間に家を出ていたのです。
9時ごろ:学校に到着
早めに着くので自由に使える無線LANのあるPCコーナーに直行。
授業前にメールチェックやブログ更新など。
9時30分~11時30分:1時限目
11時40分~13時40分:2時限目
授業の後もPCコーナーで作業をしてから帰宅するのですが、バスの本数が少なく1時間に1、2本しかないので大変でした。
午後
14時~15時:ランチ
学校の近くでパニーノを買ったりバールに行ったりして食べることもあれば、PCは早々に済ませ早いバスに乗って自宅へ戻り15時ごろになることも。
その後、天気がよければ散歩に出て、お店の開くのが16時30分からなので買い物したりして、18時ごろアパートに戻って夕ごはんの準備。
19時ごろ:夕ごはん
その後は宿題をやったり、テレビを見たり、本を読んだり、シャワーを浴びたりなど、色々。
22時ごろ:就寝
なんて健康的な生活。
まるで修道女のような毎日でした。
とにかく眠い毎日
2006年当時、スマホはなくアパートではインターネットも使えませんでした。
ノートPCを持ってきていましたが、ブログ用にワードで原稿を書いたりデジカメで撮った写真を整理する程度。
ただ、使えたとしてもネットサーフィンするような時間はありませんでしたね。
とにかく毎日とても眠いのです。
22時にベッドに入っても翌朝6時半まで8時間半、ずーっと寝られます。
中途覚醒もなにもなく、ただひたすら泥のように眠る日々。
学校の往復と日常生活を送っていただけですから、体力的に疲れるようなことはほとんどしていません。
おそらく、母国語以外の言語を使うことによる脳疲労がハンパなかったのだと思います。
起きている間はずっと脳みそがフル回転してるので、ショート寸前でベッドに倒れ込み眠ってクールダウンする感じでした。
ゴールデンウィークと夏に増える日本人
2006年当時、シチリアにはマフィアがいて怖い場所と思う日本人も多く、観光客も留学する人も少なかったです。
ただ、ゴールデンウィークと夏休みには日本人率が高まりました。
日本人同士でごはん食べるのってホントに楽しい。
ステキな景色を眺め、日本では食べられないようなものを食べ、些細なことまで日本語で心ゆくまで会話ができるのです。
この時にできた日本人の友だちも何人かいます。
あれから20年近く経っていますが、変わらない友情を育んでいる人も数人。
日本人の来ないような辺鄙な場所での留学を希望したものの、日本人同士でコミュニケーションできる時間はやっぱり貴重でした。
午前中は勉強、午後は自由時間
学校やイタリアという環境に慣れてきたら、最初のようなスケジュールは崩れていきました。
基本的に学校が終わるまでの過ごし方は変わりませんけれど、午後からの時間の使い方が大幅変更に。
たとえば、クラスの友だちと一緒に海へ行って砂浜で宿題をするとか。
日本人同士で集まって夕ごはんを一緒に作って食べるとか。
夜のタオルミーナで飲み明かすとか。
日帰り遠足や週末プチ旅行
学校主催の日帰り遠足や、仲良くなった友だちとの遠出など、実際にイタリア語を使ってのお出かけは、生のイタリア語を経験できる絶好の機会となりました。
母親が訪ねてきて、どうしてもトゥルッリを観たいというのでメッシーナから高速バスに乗ってアルベロベッロへも行きました。
とくにペルージャへひとりで行ったときのことは忘れられません。
6月の終わり、シロッコと呼ばれるアフリカからの熱風が押し寄せたとき、まるで日本の熱帯夜なのにアパートにはクーラーがなく、まったく眠れぬ夜が2日ほど続いたのです。
眠いのに眠れないという環境に気が狂いそうになり、急に思い立ちペルージャにいる友人を訪ねました。
中部イタリアに位置するウンブリア州のペルージャは、高台の町で緑が多く涼しくてサイコーでした。
予約していたカターニアからペルージャへの高速バスに乗れなかったり、急きょ乗り込んだ夜行列車で携帯電話を盗まれたり、散々な目にもあったけれど今となっては良い思い出です。