一 錢 亭 樂 書 帳
本社 菊 池 與 志 夫
そ の 一
濱 木 綿 の 花
この濱木綿は、一昨年紀州から送つてもらつ
たものだが、どういふものか、去年は花を見な
いうちに、二株に分れて了つた。そこで、その
一株を出入りの植木屋に呉れてやつて、殘りの
一株を丹精したが、今年はこの通り花をつけ
た。植木屋にやつた方は、今年も亦二株に割れ
たさうである。餘程分家の好きな花だと見え
る。萬珠沙華を白くしたやうな花で、鉢植にし
て見ては、何んの風情もないものだが、これが
紀州の海邊に群生して、夏の夕闇などに、白く
ぽうつと浮んでゐるのを見たら、いかにも南國
の花らしい、感じがするだらうと思ふ・・・。
七月末の或る日の夕方、私は、靑嵐莊庭前に
置かれた、一鉢の濱木綿を指し乍ら花の由來を
語る主人の話に耳を傾けてゐたが、この時はか
らずも、會遊南紀風物の印象を回想してゐたの
である。もう十幾年も前のことで、記憶は至つ
て朧ではあるが、その頃、「純情詩集」と、詠
嘆的失戀少說を愛好して、佐藤春夫氏に私淑し
てゐた私は、當時故郷新宮に隠棲中の氏をその
假寓に訪ねて、旅中「徐福墓畔の曇り日」と題
する一文を草して或る新聞に發表した。以下は
當時年少稚拙な私の文章を抜萃したものである
が、今ゆくりなくも靑嵐莊に濱木綿の花を賞し
て、往時をなつかしむの餘り摘錄するのであ
る。
○
「これはワイヤンと言ふのですが臺灣の土人が
つくつた玩具です。まあ、一種の操人形なのだ
が・・・・・。」赤と靑との彩色のあるその奇
妙な木製人形を私にみせ乍ら佐藤春夫氏はふと
立ちあがつて、机上の花瓶から數莖のダリアを
抜きとつて、二階の窓から投げ捨てた。
その時私は、室生犀星氏の(陰影)といふ作
品の一節を思ひうかべたのである。-風のやう
にぼうぼうとした聲-さう書いてあつた。庭隅
の芭蕉をわたる秋風のやうにぼうぼうとした聲
-私はこういふ風に感じ乍ら、春夫氏の聲音を
まづだいいちに侘しく樂しんでゐた。
○
七月なかばの曇り日の午前十一時である。南
紀半島の初夏の曇り日は謂はゞ一幅の南畫であ
つた。私はその二階の窓から、近い南紀の山々
を飽かず眺めてゐた。「昨夜は沖が荒れたこと
だらう。だいぶ海鳴りが枕にひゞいたやうだつ
たから・・・。」さう云つて春夫氏は遠來の客
である私をいたはつて呉れた。
「今日明けがたに、さつとひと雨降つたやうだ
が、まだ霽れきらずにくもつてゐる。朦朧とし
て梅雨の氣持だ」またさう言ひつゞけ乍ら、春
夫氏はなにか詩の一節を口誦んでゐた
○
南紀の風景-それを知りたいと思ふ人は、まづ
蜜柑を啜り乍ら、春夫氏の「殉情詩集」を播き
なさい。
○
私達はゆつくりと街を歩いてゐる。霧にけぶ
らつて、曇り日の午後四時は黄昏の氣持であ
る。「剪られた花」の主人公は猫背であつた。
みると、「剪られた花」の作者も少々猫背であ
る。
「あなたの「少年」といふ作品を僕は大好きで
す。あのなかに雲雀が丘といふところが書いて
ありますね。それはここから見えませうか」
「雲雀が丘といふ名は小說のなかで僕が勝手に
つけたのですが、山蔭になつてここからはよく
見えない。ほら、あの山の向ふにその丘はある
のです。あの話とそつくりではないが、あれに
似たやうなことは、昔本當にあつたのです」
春夫氏はさう言つて微笑し乍ら、山の一部を私
に指ざしてみせた。
路端には朱いろの花をどつさりとつけた樹木が
多かつた。百日紅に似てゐるが、百日紅ではな
い。もつと花が大きいのである。私はその花を
知らなかつた。
「さあ、なんといふ花だつたかな・・・・。」
春夫氏はその花の名を全く知らないのではな
い、うろ覺えでよく思ひ出せないのだと云つ
た。
「のうぜんかつらです」
油繪を描く私の知人の東氏がさう云つた。
○
「これが濵木綿といふ花です。琉球あたりから
移植した草花ですが、今ではここにも澤山咲く
のです。南國の花で、七月なかば過ぎから咲き
はじめるのです。僕は妻の帶にこの花を描いて
みやうかと思つてゐます」
東氏はこう言ひ乍ら、小學校の植物園のなか
で、濵木綿の花を私にみせて呉れた。どこか蘭
の葉に似て、白い花であつた。北國の早春に咲
く鈴蘭を大きくしたやうな花であるが、鈴蘭ほ
ど可憐ではない。どことなく幽玄な氣持を覺え
させる花である。濵木綿の花は、七月末頃から
この南海の砂濵いちめんに、白く咲き匂ふとい
ふことである。
そ の 二
淺間高原の月見草
もうかれこれひと昔も前の、或る年の夏のこ
とであつた。その頃私は心に滿たぬことがあつ
て、同じやうな思ひに惱んでゐた友達と二人
で、家人に行先も告げずに、上野から終列車に
乗つた。そうして、翌日の未明に、輕井澤で下
りて、終日をあの邊の高原で暮らしてかへつた
のである。その時、草原からひきぬいて持つて
來た月見草を、庭に植えて置いたが、年ごとに
株がふへて、今ではもう庭いちめんに繁茂して
ゐる。建てつまつた街のなかにある、私の庭で
見る花は、多摩川原や淺間高原でみるやうな寂
しさを感じることはないが、それでも月の明る
い晩などに、きんいろの花同志が恰も何か囁き
合つてゐるやうに、微風にゆられてゐるのを見
たり、或は又、朝霧の深い未明に起き出でゝ、
ひと夜を月と語り明して疲れ果てたやうにうな
だれてゐる可憐な花のそばへ寄ると、昔の感傷
がよみがへつて來るのである。今でも輕井澤の
高原に群れ咲く月見草を見に行きたいと思ふこ
とが、度たびあるほどで、私はこの花には餘程
あこがれを持つてゐるものとみえる。が、今で
はその頃のやうにひたむきな氣持で旅に出るこ
とはできなくなつて了つたから、そんな時には
古い切抜帖を取り出して、昔私が書いた文章を
讀み返しては、僅かに心を慰めることにしてゐ
る。それを讀むと、わづか十年の歳月を過して
來ただけで、こうも文章の色合ひが變つてくる
ものかと、吾れ乍ら不思議な氣がする。年少多
感の當時を回想して、今そのうちの斷片を二つ
三つ拾ひ出してみるが、もう二度とこういふも
のは書けさうでない。
○
山が動きはじめた。高原のあけぼのは、いま
深い霧のなかから漸く明けやうとしてゐる。あ
けがたの山氣を寒ざむと覺え乍ら、自分だちは
野路をあてもなく歩るいた。
―われわれのかぼそい愚痴を默つてきいて呉れ
るのは秋ぐさぐらいのものだ。なにも言はずに
その秋ぐさの野に行かう。旅の仕度もしてゐな
いが、私の氣持にはふさはしい旅だ。またひと
つ、寂しい、いい思ひ出がふへることにもなる
から・・・・。
自分はさういふ旅ごころで、あのひろい高原
のあかつきに咲きみだれてゐる月ぐさをいとし
くながめた。その夢のやうに寂しい色に交つ
て、露草の小さな花が、星のやうに咲きこぼれ
てゐた。鮮かな空色に咲く、いのち短いこの花
も亦可憐である。
○
舊輕井澤の朝あけの街を山の方へと歩るいて
行つた。右をみれば碓氷の山々は朝霧の中から
今目覺めたばかりである。左を望めば、赤嶽が
爽かな日ざしを浴びてぽつかりとうまれでたと
ころである。だが淺間山の眠りは、灰いろの雲
のなかに、まだこんこんと深いやうである。こ
の碓氷の山なみと、赤嶽や淺間山とのあひだは
一望の高原である。いふまでもなく輕井澤の街
は、あのひろい高原を横切るひとすぢの川のや
うな街である。自分だちは、その中をあてな
く、ひょろひょろと歩るいて行つた。太陽が山
上の空にはつきりとのぼりきつたひとゝき、高
原に咲きみだれた花は、眩いほど鮮かないろに
しづもつて、露は黝づんできらきらと光つた。
○
午前八時をすこし過ぎたばかりである。海抜
三千幾百尺といふこの高原でも、流石に八月の
日射しはいちめんにふり注いで、やうやく夏の
温度を加へやうとしてゐる。しかし乍ら、すゝ
き原をさやさやと吹きわたる朝風の音にも、つ
ゆ草の花のいろほどに靑く澄みとほつた空をみ
あげても、或は素朴な草舎風な別莊の露臺に置
かれた鉢植の草花に、斜めに日が射してゐる日
脚を見ても、忍び寄る秋を感じるのである。街
の喫茶店は大分前に店をあけて、もうパンを焼
くかほりを漂はせてゐる。新鮮な果實やミルク
を賞し乍ら、トーストパンを囓つてゐる靑い眼
の人が一人窓ごしに畑の向日葵をぢつと見つめ
てゐる蕭酒な明るさを持つた風景でさへも、ど
ことなく靜かな寂しさをともなつて、通りすが
りにみる眼には秋のたゝずまひである。
先刻落葉松の林の傍らを歩いて來たが、あの
小さな細い葉に露がこもつて、陽にかぎろつて
ゐるのを見るのは、雪晴れの朝の重おもしい爽
やかさとでも云ひたい氣持である。落葉松や山
毛欅などの林をみると、流石に雪深い北國の冬
が偲ばれて、冬の樹林にひそむ寒さなどを想像
したあちこちの家で窓を開けだしたやうであ
る。窓を展く音は不思議にすがすがしい響を立
てゝ朝の感じの深いものである。
自分だちはさういふ朝あけの氣分を珍重し乍
ら、街を離れた山蔭の川原へ降りて行つた。流
れのほとりに足を投げだして、ぢつとゆく水の
音に聽き入つてゐると、一層山氣の靜けさを深
く覺えた。
○
陽はもう高く、空は瑠璃色に澄み徹つて深か
つた。路端の月見草も露草も、いぢらしく萎ん
で、もう露も光らなかつた。晝の輝かしい陽ざ
しを一面に浴びた月見草ほど哀切は花はない。
夕べになれば、仄かではあるが、あれほど生い
きと無心な夢を樂しみ、空高くゆく遠い月かげ
に思ひを焦がす花なのに、日中の光にはこう迄
もろいのかと思ふと哀れである。脆い熱情―さ
ういふ言葉で呼ぶのに相應しい花は月見草であ
る。
あゝ、萩、すすき、女郎花―とり/″\に寂
しき秋草の原に身も心も埋れて、今は詮なく靑
い午後の空を見つめてゐる。こほろぎが鳴いて
ゐる。すすきの穂をさや/\とゆるがせて、秋
涼を帶びた野のそよ風が吹き過ぎてゆく。絕間
なく空を去來する雲の影が、赤嶽の上を通ると
見る間に、今まで深く雲のなかにこもつてゐた
淺間山の頂が現はれて、一條の噴煙を空にあげ
てゐる。その山裾が空をくぎつて遠く、小諸、
沓掛、上高地の方までものびてゐるのを見ると、
白樺の林までが眼前に浮ぶのであつた。
○
夜が來てあの山の森の家々の窓が、ぼうッ明
るみはじめる頃となれば、夜空は蒼ぐろく澄ん
で、きら/\と星もまたゝくであらう。月ぐさ
もほの/″\と開きそめるであらう。すすきの穂
さきをそよがせて、秋の夜風も吹き過ぎやう―
―さういふ高原の夜の風景を思ひ浮べ乍ら、二
人は山路をくだつて街裏の細い野道の黄昏を歩
るいた。二人のからだに秋ぐさの匂ひがしみ
て、殘つた。ふと夕暮の迫つた碓氷の山の空を
みると、いちめんに灰色の雨雲が、深ぶかとた
れこめて、今にもひと雨來さうである。それは
だん/″\と麓の方までも煙らせて、かすかに
遠雷をきくほどになつて了つた。自分はそれを
みて、この高原の夜にこもることを哀しくあき
らめた。さうして雨の降りこめないうちにと思
つて野に分けいり乍ら、摘めるだけの秋ぐさを
摘んで束につくつた。
○
碓氷峠をくだつて了つた頃、車窓を開けて
空を仰ぐと、あの深く山を閉してゐた雨雲は、
もう跡方もなく拭はれて、初秋の夜空には
細い月が冴えて遠かつた。
そ の 三
夾 竹 桃 の 花
夏の花で私の好きなのは月見草の他に、夾竹
桃と松葉牡丹とがある。いつたい私は感情と詩
があつて、表情の豐富な花を好む。つまり、そ
の花を見てゐるうちに、無限の空想と情緒と寂
寞と、この三つのものを感じさせるやうな花は
好きなのである。形は貧しく可憐であつても、
心豐かな花はいつ迄も眺め飽かないし、人の心
に觸れ、人の言葉を解するのである。
―秋立つ日芝の離宮の生垣にさやかに紅き夾竹
桃の花―
これは村上藤太氏の歌で、氏の作としては必ず
しも秀歌ではないが、私にとつては印象深いも
のである。朝夕往復の車中で濱松町に停車する
ごとに、私はきつと窓外に眼を移して靑い樹木
のあひまにひと群れの濃桃色の花を咲かせてゐ
る、夾竹桃をみつめるのである。殊に眞夏の夕
暮など、終日の勞務に疲れ果てた眼にあの花を
見ると、いつもぽつとよみがへつたやうな氣持
になる。いつかあの花のことを書かうと思つて
ゐるうちに、村上氏の歌が出來て了つた。さら
/\と何氣なく樂しさうに歌つてあるやうでは
あるが、この歌が出來るまでの作者の心眼は、
恐らく私と同じやうに、あの花につよくいら
だゝしく、吸ひつけられ、遂に時が來て藝術的
醗酵をしたのに相違ない。その時の作者の歡び
が偲ばれて、私にはなほさらにあの花がいとほ
しくなつたのである。
○
松葉牡丹は可憐で、素朴で、その彩色の美し
さが何んとも云へず好きである。手鹽にかけて
育てられないでも、路傍の砂地に咲きはびこつ
て、水氣のない炎天に萎れもせず、その生活力
の强さは人間にたとへれば、恰度私だちのやう
な中流以下の生活者に似てゐる。
私は子供の時分からこの花がどことなく好きで
あつたが、家人が松葉牡丹を庭に植えると病人
が絕えないと云つて、嫌がるので私の家には一
株もない。
○
夢想家の私は、若しも私が法外の出世をし
て、家を一軒建てられるやうになつたら、冬は
竹林に椿を配した庭をつくつて、書齊の窓から
それを眺めやり乍ら爐に籠り、春は桃の花と菜
の花とたんぽぽとれんげ、夏は月見草と夾竹桃
と松葉牡丹、秋は桔梗の萩の花―これだけの花
を四季それ/″\に樂しめるやうに工夫をしよ
う、とこんな繪空ごとを眞面目に考へてゐるの
である。
そ の 四
朝 顔 の 蔓
垣蒔きにした朝顔が芽生えたので、未だ蔓の
伸びないうちに、細竹を格子編みにして立てゝ
やつた。蔓が出れば自然にそばの竹へからむも
のだとばかり思ひ込んでゐたが、暫らく經つて
から見ると、私の考へと違つた方向へ巻きつく
ものが多かつた。朝顔の習性を知らずに竹を立
てた自分もうかつだつたが、當然からむべき位
置にある竹へ行かずに、飛んでもない方へ伸び
てゆく、朝顔のつむぢ曲り的自由意志を感じ、
これは子供教育の參考になるぞと思ひ、私はい
さゝか茫然と苦笑したのである。
そ の 五
讀 後 一 束
最近僕の待望の全集が二つ出版されてゐる。
「楚人冠全集」と「寺田寅彦全集」である。由
來僕は、新聞記者くさい文章を好まないが、楚
人冠氏の書くものだけは好きで、本の出るたび
に欲しいと思つてゐた。然し、どういふものか
彼氏の本は、裝幀が野暮くさくて、お粗末で買
ふ氣がしなかつた。今に全集が出るだらう、そ
れからでも遅くないと思つて待つてゐたら、日
本評論社から出版されたのである。不相變、裝
幀が氣に入らないし、新聞記事くさい總ルビ附
で、印刷、用紙共に粗雜ではあるが、著者にぞ
つこん惚れてゐる手前、氣にかけずに讀んでゐ
る。楚人冠氏の天邪鬼は天下に有名であるが、
それはありきたりの天邪鬼ではない。敬愛すべ
き天邪鬼である。氏のものゝ觀方、感じ方、そ
してその表現の仕方は天上天下に恐るゝものな
しと言はぬばかりに、大膽明快で、且つ皮肉で
ある。しかもその皮肉は、實に溜飮の下る痛烈
な皮肉である。慢性胃腸病の僕は、胃酸過多の
起るたびに、この全集を讀むことにしてゐる。
「寺田寅彦全集」は、流石に岩波書店の本だけ
あつて、何から何まで垢抜がしてゐて氣持がよ
い。岩波らしい、手にとつてどつしりと感じる
重みがありがたい。吉村冬彦こと寺田寅彦氏の
随筆も、餘りに高名であるが、僕はずつと以前
から、この人はどことなく短命なやうな氣がし
てゐた。死ねばきつと全集が出ると信じてゐた
し、それに岩波から出る單行本が高いせいもあ
つて、氏の著書は殆んど持つてゐなかつたか
ら、一昨年の十二月に亡くなつたことを知つた
時は、自分の豫想が的中したことゝ、全集の出
る嬉しさに、思はず快哉を叫んだのである。全
集を欲しいために、著書の死を期待するが如き
非禮の徒は、恐らく僕一人ぐらいのものであら
うか。
○
朝日新聞で吉田春といふ女の書いた随筆を讀
んで、女でなければ書けぬものを掴んでゐるの
に感心した。そのなかに近頃の女がいろ/\と
男の領分に喰ひ入つて、無暗に男の眞似をした
がるさまをたしなめて「いくら女の頭や腕が向
上してきたからといつても、女といふものに
は、あれがあるんですもの。あれがあるうちは
どうしたつて男には敵はない。」といふ意味の
ことが書いてあつた。卓見である。
又近頃はカメラの流行で、ちょつとした景色
のところならどこへ行つてもかめらの包圍を受
けてゐる。あんなに撮されたら、今に折角の
いゝ景色がみんななくなつて了ふんぢやないか
といふやうなことが書いてあつた。いかにも女
らしい、筆者が云ふやうにあれがある女らしい
ものゝ考へ方であると思つた。
○
僕は随筆書だの、感想集だのといふ、活社會
に無用の、消極的な、低徊趣味的な本ばかりを
讀んでゐる。老母はそれを日常に心配して、
「お前はそんな高い本を買つてばかりゐるが、
それを讀んだらすこしは偉くなるのかい、月給
でも上るのかい。」と眞面目に訊くので、これ
には僕も困るのである。「偉くなるのです。月
給も上ります。」と嘘を云つても、「何んにも
なりません。」と本當の答へをしても、どちら
も親不孝になりさうなので、仕方がないからさ
ういふ時は、只笑つてゐて何も返答をしないこ
とにしてゐる。
○
本に對して病的な潔癖を持つ僕は、愛藏の本
を心なき家人が手にとつて、亂雜に頁をくつた
りすると立腹する。他人のすることでも、讀み
さしのところの頁を折つたり、表紙と裏表紙と
をくつゝけて、片手に持つて讀んだりしてゐる
のを見ると、惡寒を覺えるのである。
○
横光利一氏の「歐洲紀行」と、楚人冠氏の歐
洲大戰以前並びにその當時の歐米印象記とを、
前後して讀んだが、時代的には餘程古い楚人冠
氏のものから、新鮮な透明な印象を受けたのは
不思議である。現代人の混濁した。苦惱にみち
た生活を反映する、横光氏の思想に對して、こ
れと同一型の吾われには、共鳴を呼ぶ前に、火
花を散らして相反撥し合ふ何ものかゞある故だ
と思ふ。
○
中央公論社から「もめん随筆」と、「續もめ
ん随筆」とを出して随筆愛好者を喜ばせた森田
たま氏は、既に相當の年輩ではあらうが、女に
は珍らしくしつかりしたものを書く人である。
氏には内田百間氏と共通したものの觀方がある
が、百間氏に比べると女だけに餘程常識的であ
る。百鬼園先生の文章を好く、吾われのやう
な、妙な虫がゐる現代から、たま氏のごとき女
百鬼園が一人ぐらひ出ても、一向に不思議では
ないと思ふ。
○
朝夕往復の省線電車の時間が合せて四十分あ
る、四六判の本なら四十頁は讀める。どうせ僕
らの讀むやうな、實社會に無用の書物は、靜か
な机邊で繙いても、人混みのなかで讀んでも、
片端から忘れて了ふやうな、又忘れても一向に
差支へないやうなものばかりだから、僕はつと
めてそんな時間にも本を讀むことにしてゐる。
僕の書棚には、買つたまゝで讀了しない本
が、四六判にして一萬頁以上ある。一日平均百
頁讀んでも百日かゝる。僕たちのやうな精神勞
働者には、連日百頁の讀書は至難であるから、
餘程うまくいつてこれだけの本を讀みこなすに
は、まあ一年はかゝるであらう。然し、書物狂
の僕は、氣に入つた本さへあれば、三百頁内外
の本を月に四、五冊は買つて來るから、讀債は
いつ完濟されるか見當がつかないのである。讀
了の本と未了の本とを書架で區別して並べてゐ
るが、未了の方ばかり殖えて行つて、借家住ひ
の陋屋にもうこれ以上書棚を置いたら、家族の
行き場がない。さうかといつて、昔やつたやう
に本を賣り拂つたら、あとで幾日も懐本病で泣
かなければならないし、いろ/\多くの惱みの
ある上に、こんな非常識な苦勞までし乍ら、そ
れでも不相變、本を買ひ増してゐるのである。
―― 一二年七月稿 ――
(「王友」第十四號
昭和十二年九月二十八日發行より)
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