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なんで私がうつ病に?平凡サラリーマンが「うつ状態」(適応障害)になって一生分の涙を流し切ってから復活した方法

こんにちは。

アイザックです。

今日の題名はちょっと暗めではありますが、あくまでもポジティブにとらえて頂ければと思います。

本当は、私が今まで生きてきた中のワースト1の思い出なので、この話は墓場まで持っていくつもりでしたが、ある日ツイッターで話したところ非常に大きな反応を得られました。

コメントを見ると、同じような境遇の方が非常に多かったので、何か状況を変えれるような気づきのきっかけになれればと思い、辛いですががんばって書くことにしました。


この記事は

・今現在精神的につらい状態のかた

・過去に同じような境遇にあわれたかた

・うつ状態になる原因と、なると人はどんな思考を持つのか知りたいかた

・うつ状態からどのようにして復活したのかを知りたいかた

・時期的に新卒の方含む、新しい職場環境が不安な方

にとどいて欲しいですし、読まれた方の未来が

・どんなに辛い状況でも結構なんとかなる

・自分の人生を思い通りに生きれるようになる

・人との本当のつながりとは何か分かるようになる

以上のことを得れるようになれればと思います。


それでは初めて行きましょう。

辞令交付


私は6年前(2016年)に職場の人間関係が合わず「うつ状態」(適応障害)になった。

その職場は地域の取りまとめ部署で、非常に忙しく、他の部署から見れば俗にいう「花形部署」という位置付けだった。

辞令をうけ、赴任先に挨拶に行ったとき、みな忙しそうで、他人にかまってはいられないような雰囲気に圧倒された。

「さすがだな」と思う反面、不安と何かしらの違和感を感じた。


不安の中職場へ


配属され、いよいよ新しい仕事が始まりはしたが、何から手を付けていいのかわからない。。。

頼りの引継ぎノートも専門的すぎて良く理解できない。

分からないので周りへ聞けば、

「まずは自分で調べろ」

「前任へ聞け」

で終わり。

前任者に電話しても、その方はその方で新しい職場で忙しい。

そんなこんなで自宅へ帰るのは毎日24時近くになっていた。

朝に自宅を出るのは5時半なので、寝れる時間も限られる。

休日ももちろん出勤し、残務を整理する日々。

それでも自分は楽観主義な面もあるため、

「まあ、なんとかなるか。頑張ろう!」

とおもって日々を過ごしていた。


突然、糸が切れた


忙しい日々を必死でやりくりし、なんとか頑張っていた。

夜更けに帰宅し、ベッドに入るが職場のことで頭がいっぱいになり、まったく寝つけなくなる日々がなんどかあった。

「ああ、今日も寝付けないな。でも昼休みに寝ればなんとかなるか」

悪循環だったのは理解してたが、現状を変えるすべがないのでこれを繰り返すしかない。

ある日、睡眠不足からうっかり書類の記載ミスがあった。

そのとき上司に言われた一言


「お前のような経歴もない浅いヤツがなぜここにいる」


残業続きの毎日を必死で取り繕って、精神的に弱っていた私には決定的な一言だった。


連日の緊張感も重なり、その日はついに一睡もできなかった。


朝、送り出してくれた妻からひどい顔をしていると言われたが、その時はあまり気にしなかった。

しかし、出勤の車の中でなぜか突然に悲しくなり、なみだがこぼれた。

気づけばひどく泣いている自分がいた。


「もう限界だ」


迷惑がかかるので言いたくはないが、この現状を人事担当の上司に言おう。

職場につき、人事担当の上司に相談してる最中もなぜか涙が止まらなかった。

この時の気持ちは、

「くやしい」
「なさけない」
「仕事どうしよう」
「悪い奴はだれだ」
「自分がやらなくては」
「もっと頑張らなければ」
「俺の人生もうお終いなのか」
「同僚や上司に迷惑がかかる」
「みんなに見られてはずかしい」
「どうしてこんなことになってしまったのか」

こんなことが頭の中でメリーゴーランドのように渦巻いて、

無性に悲しくて悲しくて、涙が止まらなかった。


私はその日のうちに精神科へ連れていかれた。


まさか自分が


精神科の待合室は他の患者でいっぱいだったのを覚えている。

順番が来て診察室に入り先生の前にすわった。

どんな症状か聞かれた。


私は言葉に出そうとしたが、思考から声へのアウトプットの過程で涙のスイッチが入り、嗚咽し、なかなか話し出せずにいた。


先生は私の涙が途切れるのを静かにまっていた。

私は少し落ち着きを取り戻し話始めるが、すぐにまた涙が零れ落ちてくる。


なんとか話すべき要点はつたえたところ、先生から指示が出た。


「自宅療養2週間、その後また通院するように」


診察が終わるまで、涙の量が自分でも信じられないくらいでた。


診断書には「うつ状態」


のちに、適応障害と診断された。

「まさか自分が精神病に!?」

冷静な今ならこう思える。


しかし、実はここからが長い地獄の始まりだった。


自宅療養開始


正常に仕事ができる状態ではなくなったため、精神科へ通院しつつ、長期間自宅で療養することになった。

結局仕事復帰まで4か月は自宅療養として過ごすことになる。

仕事は「休み」ではあったが、今まで二十年近く仕事をしてきて、いきなり明日から「職があるのに先の見えない休み」になる。

この矛盾が本当につらく、

出口のない真っ暗なトンネルの中に放り込まれたようで、

恐怖と不安が波のように襲ってくる。

自分に腹が立ち、泣きながら毎日頭をかきむしることしかできない。

とても苦しかった。

まさに「どん底」だった。

療養中に考えることは

「このまま死んでしまおうか」

「死ぬならどんな方法があるのか」

「親になんと説明しようか」

「私に害をなすものに制裁を加えてやろうか」

「この状態が続けば今後家族はどうなるのか」

「妻はどうおもっているのか」

「こんな父親を持った子供は不幸になってしまうのか」


「いっそすべて燃やしてしまおうか」


不安と恐怖が交互に入り乱れ、負のループを生み、人間として非常に不安定で危険な状態だった。

しかしそれを思いとどめたのは家族、特に妻の存在だった。

妻はパートをしていて、帰ってきてはすぐ寄り添って話を聞いてくれた。


そんな日を過ごすにつれ、ある日妻が隠れるように薬を飲んでいるのを見た。

妻がパートで不在中、ネットで薬を調べるとそれは精神安定剤だった。

ハッとした。

私の知らない間に妻も通院していた。

私なんかより一番不安に感じていたのは妻だったんだと。

申し訳ないのと悔しくなさけない気持ちで相当泣いた。


定期通院

精神科へ通うようになっても、先生の前に行くとまた涙がこぼれ落ちることがあった。

先生はだまってそれを受け止めてくれた。

ある日、診察とは別でカウンセラーによるカウンセリングを受けるように指示された。

「カウンセリングとは話をするだけで、何の解決もしないのでは?」

そんな事をおもったが、

あの時の自分は、正常な思考も判断もできないから、ただいわれるがままやってみようとおもった。


カウンセリング

カウンセラーは私より年齢は若い女性の方だった。

自分がこうなった経緯をまた一から話すことになり、

不安と恐怖が思い出され、言葉が詰まった。

そして、またしても泣いてしまった。

カウンセラーだとしても年下の女性の前でいい大人がオイオイ泣くとはまた情けないと、いっそう嗚咽してしまった。

今考えれば、それはひどい偏見だった。

こんな状態になっても変なプライドが根底にはまだあったのだと思う。

涙を流すことは人間に備わったストレス解消機能で、泣き終わったときには気持ちが少し穏やかになっていることに気づいた。

カウンセリングを続けるうちに、ロールシャッハテスト(下記画像)など、さまざまな種類の精神分析をされた。

画像1

(※これは何に見えますか・・・?)


カウンセラーから分析結果をもらい読んでみたが、誰にでも当てはまることがほとんどで少し拍子抜けした。

カウンセリングは週1回1時間で約8か月続いた。


療養中の過ごし方

昼間は周囲の目があるので自宅から出れない。

近くのスーパーに行けば知り合いがいるので行けない。

日常がすべて非常になる。

毎日、どうしたら周りの迷惑にならず死ねるか考えいた。

とてもとても苦しかった。

時がたち、心の力も少し回復した時、ふと釣りのテレビを見た。

私の釣りのスタイルは夜のウェーディング(川に膝まで浸かりながらする釣り)でシーバスを狙うスタイル。

『夜ならだれにも見られることなく外出できるかも。ちょっと釣りにでも行ってみようか…』

勇気を出して外出し、いざ釣りをしてみるとふと気付くことがあった。

それは

【自分はこの自然の中でなんてちっぽけな存在なんだ。ここに比べたら自分の悩みなんかハナクソに近いんじゃないか…】

自分を俯瞰して見ることができた途端、

不思議なことに心がフッと軽くなったような気がした。。

そして、一回、二回と回を重ねるごとに体調が回復していくのがわかった。

それに気付けた自分は運がいい。

釣りはただの趣味ではなく、人生を救うことができる自然のセラピーだった。


家にいるときは様々な本を読んだ。

病気が一番ひどいときは考えがまとまらず、まったく頭が回らなくなっているのがわかった。

調べてみたところ、うつ状態時は脳細胞に栄養がいきわたらず委縮し、伝えるべき情報の伝達がうまくいかないのだそう。

どおりで忘れっぽいはずだ。

このままでは痴ほう症になってしまうのではという恐怖も感じた。

趣味の釣りで少し心の力を回復できたので、頭のリハビリ含め、前々から興味があった資格の勉強をし、自宅療養中にIT関係の国家資格を2つ取得した。

資格の勉強も落ち着いたころ、


ある本にであった。

その本は今ではベストセラーとなった

「嫌われる勇気」という本。

アドラー心理学を青年と哲人の対話形式で描き、世に知らしめたのがこの本。

とにかく考え方が浅い当時の私の心に刺さりまくった。

この本に出合って、劇的にうつ状態から解放され、次第に元の状態にまで回復(寛解)できた。

もっと早く読んでおけば良かったと心から思った。

この本の本質

「すべての悩みは対人関係の悩みである」

「不自由に生きるくらいなら他者から嫌われる勇気を持て」

ということ。

・過去でも未来でもない、「”いま、ここ”」を自分の意志で生きる。

・過去と他人は変えることができない。

・変えることができないのなら、変えようと考えるのは時間と労力の無駄。

・他人からの期待には応えなくていい。その期待は私の課題ではなく、その人の課題だから。

・大切なのは、なにが与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである。

・他者からの承認を求め、他者からの評価ばかりを気にしていると、最終的には他者の人生を歩むことになる。

あげればキリがないほどブサブサと心に刺さる。

初めての経験だったが読み終わった後、また最初のページから読んでいた。

私はこの本に出合って本当に良かったと心からそう思う。

この本から得た考え方は、これからの人生でも必ず役立つと確信してる。


いま、大きな悩みを抱えているあなたに本当におすすめできる本。

できれば、悩みがそれ以上つよくなる前に読んでもらいたい。

難しい心理学を対話形式で描かれているので

少し大げさないい回しが所々にあるがこれは飽きさせないための演出だと思う。



※通常価格¥1650ですが、この書籍を「無料」で読む方法を発見しました。下記リンク

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最初の一か月は無料なので、登録して通勤時間や昼休みにでもサクッと聞いてみてください。


おわりに

以上、長くなりましたが、平凡サラリーマンが「うつ状態」(適応障害)になって一生分の涙を流し切ってから復活した方法でした。

自分がこの状態になって初めて分かったことは

・その仕事は自分じゃなくても誰かができる

・病気になって仕事を半年休んでも人生何とかなる

・自然は何も言わず人を癒してくれる

・嫌われる勇気をもつこと

・仕事をするために生きているわけではない。

「私は私の人生を生きるために生きている」


同じような境遇の方に届けばいいと思います。



#アドラー #アドラー心理学 #嫌われる勇気 #幸せになる勇気 #うつ病 #適応障害 #スキしてみて #抑うつ #ロールシャッハテスト


追伸

あ、あとこの記事に「スキ♡」指定だくと次の執筆のはげみになります。

なので「ぽちっ」とおねがいします。。

最後までご覧いただきありがとうございました。

それではまた会いましょう!

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