結果より過程が大事 「カルピス」と「冷めてしまったホットカルピス」|枡野浩一【一首評】
数ある好きな短歌から、今日はこちらの短歌をいただきます。
ほかの短歌鑑賞(一首評)は、こちらからどうぞ。
STEP1:ひとくち食べた印象やイメージ
だれもが一度は聞いたことがある言葉だ。
そして、だれもが一度はこんな会話をしたことがあるはずだ。
日本人の多くが何度も繰り返してきたこのやり取りが、この短歌のベースになっている。
枡野さんは、なにも説明しない。
説明なんてしなくても、ちゃんと伝わる言葉をチョイスしている。
たのしくて、正確。
正確なのに、たのしい。
だから、枡野さんの短歌は、共感しやすい。
「あれ?わたしと枡野さんって知り合いだったっけ?」
そう思わせるぐらいミクロな単位で、短歌の背景とわたしの過去とを重ね合わせてくれる。
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拍子抜けするかもしれないが、この際はっきりいっておこう。
結果と過程、どっちが大事かはどうでもいい。
そんなことは論点ではない。
ただただ、わたしたちに共通する思い出のひとつとして、以下のやりとりがある。
それだけ。
それだけでこの短歌は成功している。
実際に誰がこの言葉を発したのか、気になるけど気にしちゃいけない。
…気になるけど。…うん、やっぱり気になるな。笑
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古くは一万円紙幣の肖像画になった、渋沢栄一。
彼は著書「論語と算盤」の中で以下のように言っている。
糟粕(そうはく)とは、「のこりかすのようなもの」を指すらしい。
成功であれ、失敗であれ、そこに到達するまでの努力が大事なのだと言ったのが、渋沢栄一だ。
彼は「どちらも大事派」だった。
さらに、元プロ野球選手であり監督としても活躍されていた野村克也さんは、「結果が求められるからこそプロセスが大事」だとおっしゃっていたそうだ。
彼も同じく「どちらも大事派」だった。
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よくあるこの議論だが、結局どっちも大事。
結果と過程、どっちが大事かはどうでもいい。
というか、あたりまえにどっちも大事。
それよりも大事なのは、このやりとりがみんなが知ってるやりとりであること。
これをさらっと31音に持ち込むことに成功した、枡野さんがとにかくすごい。
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カルピスの発売は、1919年(大正8年)。
驚異のロングセラーで、大正、明治、昭和、平成、令和に生まれたすべての人に愛されてきた。
この全方位的に認知されているカルピスで結果と過程の見える化しようだなんて、どうかしている。
それも「カルピス」と「冷めてしまったホットカルピス」だなんて。
すごいとしかいいようがない。
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実際のところ、同じようなロングセラー商品がないわけではない。
でも「カルピス」と「冷めてしまったホットカルピス」のような清潔感のある例はなかなかない。
例えば、1981年(昭和56年)に発売されたアイスクリーム「雪見だいふく」もロングセラーではある。
でも、結果と過程の見える化を試みると、一気においしくなさそうになってしまう。
いちど溶けたアイスはしゃりしゃりしておいしくない。
なんだか、結果が大事なような気がしてしまう。
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さらに1966年(昭和41年)に発売されたお菓子「ポッキー」、1963年(昭和38年)に発売されたお菓子「プリッツ」の場合は、美味しくなさそうどころか清潔感が全くなくなってしまう。
お行儀がわるい。
子どもに見せたくない短歌になってしまう。
こうやって探してみるとやっぱりすごい。
「カルピス」と「冷めてしまったホットカルピス」が、唯一の大正解であることがわかるのだ。
STEP2:食べ続けて見えた情景や発見
「常温のカルピス」となる「カルピス」と「冷めてしまったホットカルピス」は、実際のところどのくらい違うものなのだろうか?
気になったので、少し調べてみた。
すると、温度の違いだけでなく、味や原材料も大きく違うことがわかってくる。
通常の「カルピス」は、甘さのもとは砂糖がメイン。原材料はシンプルだ。
一方、温めて飲んだときにもおいしくなるようにした「ホットカルピス」は、砂糖以外にも水あめやオリゴ糖、甘味料や酸味料が入っている。
どちらも常温のカルピスではあるが、中身がまるっきり違う。
やっぱり過程は大事なのだ。
まとめ:好きな理由・気になった点
・「あるある」「そうそう」と言わざるを得ない背景の切り取りによる爽快感
・多くの偉人たちから伝えられてきた言葉「結果より過程が大事」と「カルピス」のギャップ
・より多くの人の経験として残っている想起しやすい絶妙なワード「カルピス」と「冷めてしまったホットカルピス」
とても好きな短歌のひとつです。
ごちそうさまでした。