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睡眠と歩数で見る躁転のタイミング【闘病記vol.11】

 こんにちは。新年の喜ばしい雰囲気の中、私の病気の話を書いて水を差すのもな、なんて考えて更新できないでいたのですが、そろそろめでたい空気感も無くなってきたので、経過報告を書こうとおもいます。

 前回の記事は、双極症(最近では双極性障害のことをこう呼ぶらしい)になった昨年を振り返って、1年間を総括した記事を書きました。よかったら読んでみてください。

寛解状態とは

 私の双極症は、現状うつ状態を脱して、通常状態に安定している期間だと思います。この病気で「完治」というのはなくて、「寛解」という考え方をするそうです。その寛解の状態は、躁でも鬱でもない期間が2ヶ月以上続くと、「寛解状態」というらしい。けれど、仮に寛解状態になっても、その後1年間で、どちらかの状態、あるいは両方を再発する確率は6割、その後2年間になると9割まで、再発の確率が跳ね上がる病気です。詰まるところ、寛解などはないと思った方がいいのでしょう。

 私はうつ状態を12月の半ばに脱したと思われるので、現在、通常状態が1ヶ月継続している状況です。このままあと1ヶ月進めば「寛解状態」となる。とはいえ、服薬は終わらないし、通院も終わらない。結局のところ、どこかのタイミングで、「躁転」と言って、躁状態に転じることによって、その後うつ状態に陥るというサイクルを踏むらしい。

睡眠時間の関係性

 躁転になる場合、その多くで、睡眠時間との相関関係が見られるらしいことを最近学んだ。私の場合、この休職期間を経て、最適な睡眠時間が8時間であることが分かった。これが7時間になると、寝起きがスッキリせず、9時間になると、寝過ぎてしんどい。

 ではこれが、躁状態になると、どうなるのか。実際に、私は2022年頃からApple watchで睡眠計測をしているので、自分なり院分析してみた。

 すると、驚くことに、躁状態と思われる時期は、睡眠ログが残っていない。つまり、(計測不能なくらいしか)寝ていない。恐ろしい状態である。興味深いことに、このnoteにも、過去に躁状態らしき記述があった記事を発見。

上の記事では、ある日、早くに目が覚めて、朝散歩したらいいことがあった、というなんてことのない記事なのだが、その文中に、こう書いてある。

朝の6:00に目覚めた私は、昨夜、というか今日の明朝4:00頃に眠りについた。だからなのか、けれどなのか、とにかく起きた私は、やけに機嫌がよかった。そして体調もすこぶる良かった。近年稀に見る、絶好調の朝だ。

「あったかい朝。」より抜粋

 完全に躁状態が始まっている。私は1時間と少ししか寝てないにも関わらず、散歩に繰り出し、ご近所さんと交流し、しかも、その日のうちにやるべき山積みの仕事を、午前中に終わらせたとある。そして、上記の記事を執筆している。よく躁状態のことを、「全能感」と表現されるが、まさにこの状態のことだろう。

 躁状態というのは、突如スイッチが押されるように見えて、そうでもないらしい。兆候が必ずある。私の睡眠ログを見ていると、躁状態になっていたと思われる時期の直前、決まって睡眠時間が短くなっている。きっちり8時間程度、平均で寝ている月があって、それがガクンと減り、6時間睡眠の週が始まり、さらに4時間や8時間と睡眠リズムが乱れる週が始まって、その平均睡眠時間が5時間台に突入する時に、躁転している。おおよその時間ではあるが。

医者の話からも、色んな双極症の本や動画を読んでも、やはりこの睡眠時間の長さと安定は、私の病気にとって極めて重要なもののようだ、と分かっていたのだが、自分の記録からもまさに、そうだと理解できた。

活動量の問題

 睡眠と同じく、重要な判断基準を見つけた。それが活動量。もっとシンプルにいうと、1日の歩数である。思い返して、記録を見てみると、躁状態の頃は、歩数がかなり狂っていた。

 何日も連続して2万歩を超える。このグラフの時期は、2021年の在宅仕事で日銭を稼いでいた時期で、その上、車生活だったので、なおさら歩かない生活のはずである。にも関わらず、多い日には3万歩を越える日もある。 

 対して、その直後に訪れた鬱状態のグラフは、平均1500歩前後と、差が激しすぎる。ひどい日には、200歩くらいの日が続いている。良くもまぁ、これまでの自分が病気だと認識できないでいたものだ。

直近の鬱期間、つまり昨年の9月から休職し始めた、そのタイミングでも、同様の状態が見られる。奈良に住んでいた頃と違って、電車社会なので、必然的に平均歩数は上昇傾向にあるが、鬱と診断された8月は平均して、2500歩程度。そしてその直前の躁状態と思われるタイミングでは、平均して15000歩歩いていた。

 年ごとに振り返っても、その傾向は顕著で、思い返して躁状態もうつ状態もなかったと思われる2023年を除けば、以下の通りである。

 2021年は、思い返すと、その前の2020年11月に躁状態にあったと思われて、だから1~3月くらいはうつ状態だった。4月に通常状態に戻って、5月に一気に躁状態になった。私はこの時期に、YouTubeの毎日投稿を始めたり、突然アルバイトを始めたりしている。経済面で言えば、大量の撮影機材や電子機器を購入したのもこの時期だ。そして、その後うつ状態に陥り、7月にガクンと落ちている。これは、スタジオカナリヤ(私の映画制作プロダクション)の創設メンバーが抜けた時期である。

 そしてその鬱期を脱出したのが次の年の1月のこと。約半年間の鬱期間があったと推測される。そこから、4月で一気に躁状態がきている。これは転職の時期。在宅でフリーランスの仕事をしていた状態から、大阪芸大に職員として戻ったタイミングである。仕事への慣れと共に、徐々にテンションが落ち着いていった記憶がある。

 大阪芸大で働き始めての期間は、寛解状態にあったと思われる。経済的なストレスから解放され、給料取りになったことと、仕事があまりにも気楽で、余暇時間が多分にあったこと、休日も融通の効く取り方で、多少ズル休みや遅刻をしても許されたことが大きな要因だろう。

 そして、2024年。この年は歩数とその当時の状況を照らし合わせて考えると、3月に躁状態になったと考えられる。一見、3月の歩数を見ると、極端なグラフには見えないだろう。しかし、内情を思い返すと、間違い無くここだと思える。

 1,2月は映画の現場があったことで普段より歩数が多くなっている。4月は結婚、現場への参加、引っ越しに伴う買い物などで歩数は上がっている。同じように、6,7月も長く現場があったので歩数がガクンと上がっている。そして、8月以降ガクンと歩数が下がっているのは、休職して自宅にいることが増えたからだ。

 問題は3月なのだ。この月は本来なら大阪芸大の職員の最後の月で、しかも長期休暇期で仕事が一切ない時期である。なので、本来だと3000歩程度のはずである。しかし、その2.5倍歩いていることになる。

 おそらく私は、3月に躁状態に陥ったものの、身体のSOSを無視して、4月に結婚した上に新たな仕事を始めた。私は躁状態ゆえに結婚し、転職したと言える。そして、5月にうつ状態になった。本来なら、そこから動けないはずなのだが、6月,7月と丸二ヶ月、合計5本の映画現場へ参加せざるを得ず、体に鞭を打ち続けた。そのことによって、8月に人生で最悪の鬱状態を、経験し、「双極症」と診断されるに至ったのである。

 思えば、この年の5月ごろから不眠と坐骨神経痛に悩まされ、しかし病院に行く間もなく6,7月と現場に参加し尽くした。そのことによって、8月に腰が壊れ、完全に歩けなくなり、そして、身体のバランスが心のバランスへと転じた。体は信号を発していたのだ。

 それは同様に睡眠時間でも同じように信号を発していた。記録というのは、非常に大切なものだと実感せざるを得ない。

寛解状態を目指して

 と、ここまでが序章。自分の生活を振り返り、ここ数ヶ月の悪戦苦闘でようやく、自分の躁鬱サイクルの兆候は理解できた。睡眠時間が短くなる、活動量が多くなると、躁状態に転じ、そして、そのすぐ後に、ガクンとうつ状態に陥る。けれど、2024年のように、身体の信号を無視しない限りは、休職しなければならない程の鬱状態にはなりにくいということがわかる。

 そして私の躁鬱のサイクルは、おおよそ1年間に1~2度程度のサイクルであり、躁状態は何か破滅的なものというよりは、軽躁であり、その期間は1週間以上続くことが多い。月の平均歩数がガクンと上がっていることを見ると、数日の話ではないというのがわかる。そして、その後、一旦の安定期に入ったのち、半年間程度、うつ状態が続くようだ。

 さてここからが本題である。躁転させず、寛解状態を維持するには、まず間違いなく必要なのが、規則的な睡眠時間と、ある程度規則正しい日常生活(急に活動量がぐわっと上がるようなことはよくない)を送るか。そこで、私の職業が問題になる。

 次回は、職業と照らし合わせながら、どう生活をルーティン化させるかを考えていこうと思う。

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堂ノ本 敬太
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