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シン・日記

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2023年の日記
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記事一覧

10月1日の日記

疲れていたため今日は家でゆっくりDayに決定‼️

KAFとMondo Grossoのコラボ曲を聴く。

良すぎる。
初音ミクを代表としたボーカロイドによくみられるけど、自分の歌う行為を問いがちだよね。歌いながらその行為についてメタ的に言及するというか。

NHKFMで放送されたレイハラカミのトリビュートを聴く。本人はいなくなってしまったけれど、楽曲は生きているわけで、その寂しさと明るさが混在した

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9月30日の日記

9月30日の日記

あちこち行って帰ってきた。なぜかお腹がかなり痛く、しばらく悶えていた、いまもその余波を残している。

Spangle Call Lilli Lineのアルバム『Ampersand』を聴く。最初聴いたときの馴染めなさはいまや払拭されて、これだよねえという気持ちになる。
とくに「lean forward」から「reillin」までの一連の流れが最も好き。

SCLLのライブ行きたいなあ、YouTube

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9月29日の日記

9月29日の日記

やることを早めに切り上げ、青山の方まで歩いて行った。目当ては青山ブックセンター。ここらへんはあまり来ることがないので、表参道などの洒落たショーウィンドウなどを新鮮な気持ちで見ながら、東京の街の重層性について思いを馳せる。

青山ブックセンターは久しぶりに来たけれども、やはりよかった。店内にかかっている音楽がよく、なんの音楽だろうとshazamで検索しようとしたが、Wi-Fiがなくできなかった。

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9月28日の日記

なんかとにかく眠く、午前中はずっと寝ていた、そのせいで行おうとしていたto doができなかったのだった。

夕方もとにかく寝ていて、一日のほとんどを睡眠で過ごしたのだった。こうして一日が終わる。

ゲーム『unpacking』をやる。荷解きゲームである。ダンボールに詰まった荷物をとにかく解いて所定の位置においていく。
効果音が素晴らしく、荷物の重さや床の材質によって音が微妙に変わるのがリアリティが

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9月27日の日記

頭がやや痛く、不調気味の一日であった。
やることは早々に終わらせたので仕事を早めに切り上げ、ソファに座っていると急激な眠気がきたのでガッツリ寝た。それで一日が終わったのだった。

明日やることあんまりないぞ、となったので明日の午前は半休とすることにした。出さなければいけない郵便物を出しに行こうと思う。

うどんのおいしさを再確認し、最近はうどんばかり食べている。シンプルなのが一番美味しい。ただ市販

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9月26日の日記

なんか頭が痛い。頭の中が痛いというよりは頭皮がキリキリと痛む感じがする。
不調!頭の。

『傷を愛せるか』を少し再読。
一般に仕事上で求められる行動規範が内在化したかたちで男らしさが形成されたこと、論理性や強さでなくvulnerabilityを持つことの意味と難しさについての記述は最初読んだときもあ〜ってなったし再読したときもそうだよな〜となった。

頭がいたい!

ネトフリ独占配信の「light

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9月25日の日記

カレーを食べた。レトルトカレー。
お腹が空いていたので2パック消費する。お皿になみなみとたまったカレーをみて「やりすぎたかな?」と思ったものの、結局苦もなく食べ切ることができたのだった。

そろそろ食欲が回復してきたので一日二食食べまくりの毎日を過ごすことができるな、と感じる。

人と長く付き合うためには食べ物の趣向が合わないとダメだよな〜と思う。食べることが人生の主軸としている人をみると、「うわ

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9月24日の日記

なんか今日は体が重く、出かける準備をしたのにもかかわらず、空が明るくいい感じの気温だったのにもかかわらず、とかく座りまくり、眠りまくり、の一日だった。

家という場所、壁と天井によって外界と隔絶された空間との客観的な形容をせざるをえない感慨になり、このままではダメだよな、と思い阿久津隆の『読書の日記』を手に取った。

『読書の日記』は一定のリズムによって紡がれていて、それは大抵の日記に共通するもの

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8月30日の日記 いい椅子が欲しいよ〜

8月30日の日記 いい椅子が欲しいよ〜

一日の大半を座って過ごすことがだんだん多くなってきている。大半というのは、一日が座るか、寝るかのどちらかしかなくなっている状態のことを指す。起きて椅子に座り、仕事をし、寝る。というようなサイクルが多くなってきている。

これは別に仕事がある平日に限った話でもなく、休日でも起きて、座って、寝る、というムーブをすることがまあまあある。

となると必然お尻を酷使するわけだが、最近どうも尻が痛い。というの

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8月29日の日記 言えるときと言えないとき

8月29日の日記 言えるときと言えないとき

もちろん、環境によって人は言うことを変えるし、言えないことも出てくる。難しいのは、いついかなるときでも言うべきことが、微妙な配慮によって言えなくなってしまうことだ。

その場の雰囲気を壊さないようにするために行われる消極的な行動は、全体に資することを第一に考えてしまうがゆえに自分の利益が失してしまう状況に陥っており、不健康だ。

久しぶりに本棚を眺めていたらそう思ったのだった。

(2023/08

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6月26日の日記 危機

最近だんだん暑くなってきた。

実はやることがてんこ盛りの状態なのだが、あまりそれをやることができていない。そろそろやらなければ……。

早くいい感じになりたい!



最近cultureに触れる時間が少なくなっているのを感じる。「花束みたいな恋をした」では、勤め人となったことにより、体力的、精神的に磨耗し、以前好きだったサブカルから離れてしまう…といったことが描かれていた…らしい。ちょっと最近

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6月18日の日記 おせち

おせちがおいしくないと表明することは、自分にとって、社会に対するささやかな抵抗運動の一環であった。毎度年の始まりに決まっておせちを用意し食べるという、その確定された法則に対して、世界に対して、異議を申し立てたのだった。

抵抗運動は、自分を構成する要素の一つとして燦然と輝いていた。つまり、社会のルールに縛られない自分、社会に迎合しない自分として、自分を認識していたのである。

いつしか、おせちはそ

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6月15日の日記 歩

最近お尻の調子が芳しくない。安物の椅子に長時間座っているせいだと思う。なんというかずっと状態異常になっているような感じがしていて、なにをしても「あ〜お尻痛いな〜」といった思いが頭の片隅に巣食っており、日々の生活の桎梏となって存在しているような、そんな気がする。

トマス・エスペダル『歩くこと、または飼いならされずに詩的な人生を生きる術』を読んだ。

歩くことが自分の人生においてかなり重要な位置を占

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6月11日の日記

その男はなにもかもが平凡の一言で済まされる人だった。身長や顔のかたち、話し方やくせまでもが平凡と形容されるような人物で、モブのようになにかと背景に埋没し、その存在は常に忘れられるような人間であった。あえて特筆する特徴があるならば、彼は人よりもあっけらかんとした態度で、なんに対しても平然としてその表情を変えることは少なかった。人よりも、出来事のあれこれに反応を示さなかった。だがその唯一といってもいい

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