2024年06月09日の日記 大阪、京都、東京
ここ数日、いろいろあり日記が滞ってしまった。日記というのは日常でないと書けない。地に立って生きていなければ書けないと強く思う。
だから日記は退屈である。日記の形式上、起きた出来事は振り返って書かざるを得ない。書くという行為はさまざまな思惑が入り混じる。より面白く書こうとしたり、賢く見られるようにして書いたり。そうして余計な思惑が入るたび、書かれる出来事は変容をとげ、いつしか原型は崩れ去る。そうすると現実を描くはずの日記はフィクションとなる。そこには私は存在しない。目の焦点が