過去の震災から学ぶ【小説・氷柱の声】
本記事は下記リンクの本、くどうれいん著「氷柱の声」の感想となっております。
あらすじ
語れないと思っていたこと。
言葉にできなかったこと。
東日本大震災が起きたとき、主人公は盛岡の高校生だった。
それからの10年の時間をたどり、人びとの経験や思いを語る声を紡いでいく、著者初めての小説。
被害を受けなかったことを理由に苦しむ人もいる
この本の主人公がまさに、震災当時盛岡に住んでいたが家も家族も失わなかった、“被害を受けなかったことを理由に苦しむ人”である。
周りの友人は家族も家も失っているのに自分はなにも失わなかった、自分だけ苦労が少ない、と主人公が思い悩む場面がたくさん描かれており、その場面を目にするたびにすごく心が痛くなった。
被害を受けなかったことに申し訳ないと感じさせる震災は本当に残酷で恐ろしいものだと改めて実感させられた。
震災が残していった傷は簡単には癒えない
この本には、震災時に電気代わりとしてキャンドルを使っていたという理由でキャンドルがトラウマになってしまった人、海を見ると津波を思い出し恐怖に襲われてしまう人などが登場人物として出てくる。
このように震災から約10年経った今でも心に傷を負っている人は沢山いるだろうし、まだ復興していない場所も沢山あることだろう。
この本を読んでいる間、私は3年前に学校の有志の集いで東北にボランティア活動に行ったことを思い出していた。
そのボランティアは、1週間ほど東北に滞在し福島県や岩手県、宮城県などを回り復興のお手伝いをする、震災の跡を自分の身でしっかりと感じ覚える、というようなものだった。ボランティアに行った時にはもう震災から7年経っており、瓦礫などはほぼ撤去されていたが、何も建っていない更地の場所や仮設住宅などが多かったことを鮮明に覚えている。また、仮設住宅に住んでいらっしゃる高齢者の方を訪ねた時に直接聞いた、
「今でも震災で亡くなった親しい友人のことをよく思い出して会いたくなったりするし、津波の記憶もはっきりとある」
「もう7年と言う人が多いけど、私にとってはまだ7年しか経ってないのかぁ、という感じ」
という言葉は今でも私の心に深く残っている。ボランティアに行った当時私は中学生であったが、震災の恐ろしさというのを今までにないほど痛感したことを記憶している。さらに私は東北に向かう最中“もう7年経ったんだ”と考えていた為、震災を経験した人と経験していない人では全く感じ方が違うということにも気付かされたし、震災を経験していない人はもっと発言に注意した方がいいのではないかと思った。
被災地の更なる復興と、被災者の方々に少しでも不安なく暮らせる生活が戻ってくることを願うと同時に、この震災から学んだことは何なのか、防災等に活かせることは何かをよく考えるべきだと思う。
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