
保育園卒園!感謝とともに社会を振り返る
末っ子が保育園を卒園しました。
いま中学生の長男のときから、4人の保育園生活、長かったようで、寂しさが募ります。
保育園には感謝・感謝です。
感謝とともに、ぼくたちの家族や社会との関わりについて振り返ってみたいと思います。
①保育という場への感謝
保育においては、小学校のような義務教育ではなく、いわばオプションサービスのようなものですね。
幼稚園と保育園のどちらかというチョイスもあります。
認定こども園や家庭型保育というのも生まれ、認められてきました。
また、企業などの会社での保育というのも進みつつありました。
親たちは、共働きばかりであり、保育という環境については、生活になくてはならないものでした。
ぼくたち夫婦も、保育園の存在に、とてもとても助けられました。
安心して、仕事に行き、こうして生活できるのも保育園のおかげ様です。
卒園にあたり、感謝の気持ちが募ります。
感染症の波で、一層、そのことが表面化しました。
各種営業や、社会機能が止まりつつあるなかで、換気や消毒、体調管理など、徹底して、保育の機能を継続していただきました。
先生方のご尽力には、感服するばかりです。
②増税と抱き合わせになった負担軽減
消費税の増税においては、子育てに関する経費に充てられるとの紐付きの税収になりました。
ぼくたち、親としては、それはとても助かったことです。
ウチの園では、主食のパンやご飯を持っていって、おかずなどは園でご用意いただくというスタイルでしたが、それも無くなりました。
保育料は、驚くほど各段に安くなりました。
数万円払っていた時期もありましたが、今では桁がひとつ少ないです。
前述の①の話とリンクしますが、
いまや社会的な機能のひとつとして、保育園の利用というのは子育て世代にとっては必須のものであり、とても助かっています。
子育て支援施策としてはとても良いものと思います。
ぼくたちは、この変遷期を知っているため、それらへの感謝をもちます。
ただひとつ、心配するのは
これらが「当然」になってしまわないかです。
負担があるということは、それらへの「選択」をしたうえで、担っていくということです。
当たり前のように保育料が安く、
当たり前のように子どもを預かってもらえる。
保護者が、そんな「当然」と思ってしまうと良くないと思います。
当然と思うということは、裏返せば、感謝できなくなるとも言えます。
時間数を計算してみると、
寝ている時間を除けば、親と一緒にいる時間よりも、保育園にいる時間の方が長いほどです。
一日中の保育で、安全管理、衛生管理、子ども達と遊んだりお昼寝させたり、ご飯やトイレのお世話。
またご飯やおやつも調理・用意していただいて・・・。
保育料を払うだけでは表現しきれない感謝があります。
親として卒園していく身でありますが、これからの保護者の方々にも、
こんなご尽力が当然のものではなく、深い感謝を感じれるようにあり続けると良いなと思います。
③子どもの安全は園と保護者が両輪で
ぼくは一応、保護者会の会長でした。ようやく卒園です。
となりの市町村で、バスの中に園児が置き去りになってしまい亡くなってしまうという痛ましい事故がありました。
「公」の保育園と、子どもを預ける保護者「私」。
この公私の2軸のなかでは、サービスを提供する側、される側という2軸で良いのでしょうか?
事故のあとも、園の管理体制など散々報道もあっておりました。
まさに後のまつり、事後でいくら文句を言っても命は返ってきません。
PTAなどまさにそうですが、
こんな公私の2軸を橋渡しする機関だと思います。
この事故を他人事と思わず、すぐに園長と話しました。
子どもの安全は園だけに頼るものではなく、保護者会としてもその責任と主体を担っていくことを確認しました。
なので、園側から保護者に対しての希望要望があれば躊躇なく言ってほしいということ。その関係性があれば、逆に保護者からも園に対して希望要望を話せるということになります。
子ども達の安全に関して、保護者会長名で通知を出しました。
例えば、園を一歩出れば保護者が保護者自身で子どもの安全を確保しなければなりません。
例えば、目の前の駐車場で、死角に入ってしまう子ども達が車に巻き込まれないよう、保護者どうしが、お互いのために、我が子のために、安全をつくっていく意識をもとうと呼びかけました。
各種行事などにおいても、準備から片付けまで、全部先生が用意・お膳立てしてくれるなんて思わず、役があろうとなかろうと、「子どものために」という気持ちで積極的にご協力させていただきました。
④パパの活躍進む!
ぼくが息子を連れて保育園に送り迎えする頃は、パパはほぼいなくて、ママばかり。
パパが保育園に行くと珍しいというような時代でした。1割ぐらいでしたかね。
たった10年ぐらいしか経っていませんが、随分と変わりました。
朝も夕方も、送り迎えでパパが増えてきました!
半分とまではいきませんが、4割ぐらいの感覚ですね。
会社への行きと帰りの途中に保育園があるという生活です。
まさにぼくもそうでしたが、
単純に子育てのひとつとして保育園の送り迎えを担当しているということではなく、
『働き方』とリンクしています。
子どもの登園時刻と合わせた出勤や、
保育時間に合わせた定時退社ができなければ、これは実現できません。
会社の理解は不可欠です。
ワークライフバランスという言葉も出てきました。
仕事と子育ての両立は、子育てパパとして必須の内容となっています。
ぼく自身も、会社や上司のご理解で、随分と助けられました。
とてもとても感謝しています。
また、保護者どうしの繋がりもたくさんできました。
同じ子育て世代の親どうしが、横に繋がり合うことは、子育てへの不安やストレスから少し解放される思いがありました。
言い過ぎかもしれませんが、「戦友」のような感覚です。
親同士が仲良くなると、そこのお子さんも、親戚のように可愛く思え、今後の成長を願いたくなります。
⑤保育園で育てていただいた
幼い子どもを預け、気付けば随分と大きくなりました。
身体も大きくなり、身も心も随分と強くなったと思います。
友達とも仲良く遊んでいます。
こんな幼い子でも、保育園は社会です。
朝、先生に引き渡すとき寂しがります。泣いたこともありました。
家庭から社会へとチェンジしていくことを実感していたのでしょう。
子どもなりの振る舞いからも感じ取りました。
大きくなると友達たちと過ごす社会の場を楽しむようになります。
保育園に行きたいって思うようにもなっていきます。
随分速く走れるようにもなり、
箸の持ち方も良くなり、
トイレもひとりでできます。
字もかけるようになってきました。
おしゃべりも上手になってきました。
そんな保育園という社会の中で、教えられ、育まれ、周りのお友達とも切磋琢磨したのでしょう。
保育という言葉に包括されますが、
先生方のご指導には感謝・感謝です。
たくさんの思い出と、
抱えきれないほどの感謝の気持ちで
末っ子が卒園します。
そして、ぼくも妻も、4人の子ども達の、長い保育園生活から卒業します。
本当に、ありがとうございました。
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