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#557 やりたいことをやっても世界は壊れないという感覚

 やりたいことをやる。日本の教育では、あまり好まれていない価値観かもしれない。人はそれを時に「我がまま」であると形容し、個人のための個人よりも、他者(あるいは社会)としての個人を求められています。

 しかしながら、私は「やりたいことをやる」のが悪いことであるとは決して思いません。人は常に、自分の何かをしたいという願望から行動し、そしてそのほうが主体性が出るので確実に成長スピードが早くなるでしょう。何よりも心身の健康にとってもそっちの方が快適です。

 『「周りのことを考えなさい」と言われて育った日本人…「どうぞご自由に」と言われフリーズする理由とその末路』の記事では、オリンピックに3度出場した元陸上選手の為末大選手が、自分の「やりたいこと」を抑圧した結果起こることを以下のように述べています。

 
 人生の後半戦に入ると、人は自分が社会のために生きているのか、それとも幸せになるために生きているのかを考えるようになります。「このまま自分を抑圧して、幸せを感じることをないがしろにしていいのだろうか」と疑問を抱く瞬間がふと訪れるのです。そして、年を重ねると抑圧し続けていくことの弊害が大きくなるように思います。抑制力が弱くなって、ストレスが他者への嫉妬や攻撃につながったり、自分と同じような自主規制を他人に強いたりする人もいます。自分で自分の自由を奪った分だけ、他人の自由も奪いたくなってしまうのかもしれません。

  自分を自身で大切にすることについて以前のコラムで書いた折、アメリカでは自分が遊んでいるおもちゃを貸してと言われても、「嫌だ」と表明する訓練があると述べました。

 逆に為末さんのコラムでは

 これは子供のころから、「周りのことを考えなさい」と言われて育ってきたことが一因にあるのではないかと思います。お気に入りのおもちゃで遊んでいるときに他の子から「貸して」と言われたら、貸したくなくても「いいよ」と渡してあげなくてはいけない。

と述べられており、まさに正反対であると感じる。

 日本社会ではしばしば、「わがまま」という言葉を、非常にネガテイブなものとして考えますが、上のおもちゃの例を見ると、その印象もまた変化するのではないでしょうか。


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