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tennissup
#597 色と伝統
先日からテニスの全英オープン(ウィンブルドン)が開幕しています。大阪なおみ選手が1回戦を突破し、錦織圭選手も久しぶりの大会参加ということで、日本のテニス界も注目する大会となっています。
ウィンブルドンといえば、全身ホワイトウェアのドレスコードが、その象徴であると考える人が多いかもしれません。美しい芝のコートに、全身白の選手がプレーする様は、何かこう西欧の貴族的趣味を醸し出します。このドレスコードは、1884年の同選手権女子シングルス部門の初代優勝者であるモード・ホワイト選手が白で揃えたウェアを着用していた事に由来するそうです。
100年以上の長い歴史の中で徐々に慣習化されたものを、人は「伝統」と捉え、それがあたかも普遍的価値があると考えるようになる。一方で、このドレスコードは生理中の女子選手にとって、非常に不便であるなど、様々な問題を抱えていて、大会ごとに議論の的になります。
私たちは日常の中にあるものを「自然」と受け入れ、その結果、そうではないものに「違和感」を感じる不思議な生き物です。世界には多様な「色」で溢れていますが、本来自由であるはずの「色の使い方」にも、人間社会が意味を持たせることで、徐々に固定化が図られてしまう。
それでも、「ああやっぱりウィンブルドンは白だよね」と心のどこかでは思っている自分に、社会に影響される自分を感じるのです。