#285 紙と鉛筆、スマホとタブレット
最近SNSを見ていると昭和・平成の文化を投稿している人を見かけます。ますますデジタルな時代に入っていくことが予想される令和の時代。未だアナログ感が強かった昭和〜平成中期の生活・文化は、多くの人々にとって郷愁を誘うものであるのかもしれない。
スマホが固定電話よりはるかに便利であると知りながらも、時に固定電話の時代のことを懐かしみ、いいなと思う。それは車が便利だと知りながらも、馬の時代を懐かしむのと同じ。人は面白い生き物だなと思います。
何事においても、ある分野・領域における変化の初期段階においてには、そのメリット・デメリットが語られます。どちらを評価するにしても、集められている客観的データが少ない。さらに人間には前述した「懐古傾向」が備わるので、その変化が「当たり前」になるまではどうしても「変化前」に引っ張られる傾向にある。
イギリスの大手一般新聞であるガーディアン(The Guardian)がスウェーデンのLotta Edholm教育相が中心となり、紙の教科書を用い、手書きのノートを取って教育を受ける重要性が強調されていることを報じたという記事を見つけました。
スウェーデンにおける「Progress in International Reading Literacy Study(小学4年生を対象とした国際的な学力判定指標となるテスト)の成績が大幅にダウンしたとのこと。そこに危機感を覚えた政府が、学力低下の原因を「教育のデジタル化」としたらしい。
教育のデジタル化はまさに「変化の初期段階」にあるもの。今後10年ほどで、このような議論はなくなるのではないかと考えています。「紙と鉛筆」も「デジタル教材」も、結局は「学びを進めるための」ツールにしかすぎない。私たち自身がどのような学びを進めたいかによって、ツールを使い分けたらいいのではないかと思います。