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#318 「与えない」価値について考えてみる

 私たちが教育について考える時、何を与えるのかということを考えます。児童・生徒が長い人生の中で学び続ける支援をするために、学校や家庭、しいては社会が彼らに何を提供するべきなのかを模索しています。

 一方、私個人としては「与えすぎる」のはよくないと思っている。何かを与えられることに慣れると、それに依存してしまい、自ら動くことができなくなってしまう。学びの自立支援という観点から見れば、何を与えるのかということと同じく、何を与えないのかを真剣に考える必要がある。

 東京大学先端科学技術研究センターが運営する教育プログラム「LEARN」に関する記事を見つけました。

 LEARNでは、子どもたちが学びの自由さや面白さに気づくことを目的に、多様な活動を提供しているそうです。例えば当日、集合時間が過ぎたというのに、事務局の大人はどこにも見当たらないことも。参加した子どもたちは最初は不安だったものの、最後、彼らはおずおずと話し始め、とうとう一人が電話をかけました。プログラムの責任者を務める中邑賢龍シニアリサーチフェローは「子どもたちは不安だったら勝手に動くもの。受け身の姿勢ではなく、自分が主体となって動くことの重要性を伝えるため、あえて集合時間には行かず、電話があるまで待つことにした」と記事の中で語っています。

 もちろん、児童・生徒が安心・安全に学ぶことができる場があることは大前提。しかし、人が成長する上では、「適切な負荷」が必要です。人は今までやったことのないことには、それが実はハードルが低いことでも、難しく感じてしまう。一本の電話をかける、たったそれだけのことでも、それをできるかできないかは全然変わってくる。与えないことによる教育もまた大切だと感じる一コマです。

中邑氏は取材の冒頭

「子どもは、放っておくのが一番だ。だが、それは、決して見捨てることではない」

と述べたそう。

エレン・ケイの「教育の最大の秘訣は、教育をしないことにある」という言葉を思い出させます。


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