鬱っぽい日。
昨日【ロピア】というスーパーを初めて訪ねて
行ってきて楽しかった。
スーパー内は商品があちらこちらに
置いてあって見るものいっぱい。
人も多くてカートごとぶつかってくる
人も多数いて
なんか疲れちゃった。
刺激強めで。
帰ってきて昼寝して
疲れ取れたかと思いきや
豚汁作っただけで
クタクタ。
夕飯は魚を焼いたり
余ってたごはんを温めたり
夫が全部やってくれた。
夜遅くに
【豚汁おにぎり屋】を年内に
始動しようと言い出す夫。
いやいや、準備が間に合ってないから
来年の秋か春頃でいいじゃないか
という自分。
どこまでも
話し合いがつかない。
寝る寸前まで
話し合ってたけど
布団で話し始めて1分くらいで
寝息が聞こえてきた。
【ロピア】から帰って昼寝してしまった自分は
眠れず。
ようやく寝ても夢で目が覚めて
中途覚醒。
今朝は目が覚めたら眠気は
全然なかったけど
気分が憂鬱で。
再び髪の毛を洗うのが面倒
だったのと
ウォーキングに行く気になれなくて
午前中ゴロゴロ寝てしまった。
起きたら昼過ぎ。
このままじゃいけない。
と思って
雑用もあってついでに
午後2時からウォーキング5.5km。
せっかく歩いて消費してきたのに
帰宅してアイスやらお菓子やら
食べて全く意味ない💦
何してんだろ‥‥。
学校を休んだ娘が家にいて
一緒に文化祭に部活で配布するシール作成の
手伝いをしてハサミでイラストの形に
合わせて切ったりしたんだけど
娘『作業療法だね』
いっぱち『作業所にいた時よくやってたよ。今日の自分にはちょうど良いや。』
娘『あれ?調子悪いの?元気だからウォーキング行ったのかと思った』
いっぱち『いやいや。朝から鬱っぽくてね』
こんな話をしながら
ハサミでシール作成していた。
娘は小1の時から使っているハサミで
切っていた。
物持ちが良い。
夜になっても
調子は出なくて
奮い起こして髪の毛を洗い
夕食作りに取り掛かった。
今日も何とか夕飯作れた‥‥。
このあともまた、夫の帰りに合わせて
夕飯を作らなきゃいけないんだけど。
息子の大学の学費のこととか
考えるだけで鬱になる。
今すぐ働きに出れば解決するのだろうか。
家事をしながら
1日5、6時間週3日くらい
働ければ少しは解消できる問題
なのだろうか。
たったそれだけのことが
出来ないでいる自分を今日は責めたと
思う。
こんなんじゃダメ。って。
自分がひょっとしてぽんこつじゃないんじゃ
ないか?って幻想に浸ってたけど
やっぱりぽんこつだなって
改めて思った。
日常生活当たり前にやることが
当たり前にできない辺り
ヤバい域に入ってる。
健康的な生活リズムは最低限できないとなぁ。
なんでも終わらせようとしちゃう自分。
毎日毎日繰り返しの毎日なのに
終わらせようとしたくなる。
そういうクセがある。
子供達が不登校になってた時に
適応指導教室のルーム長が
『不登校の子供達は終わらせたがるけど、生きることは続けることだ』
という言葉が忘れられない。
聞いた時ハッとした。
自分は終わらせたがってたから。
離婚しちゃったのも
終わらせたかったから。
けれど、終わりって『死』なんだなって
思う。
生きている限り続いていく。
我々は連続性の中で生きている。
髪の毛洗うのも
あぁ、もう今日も洗わなきゃいけない日だ
と思って絶望する。
毎日毎日
ご飯を食べることもうんざりする。
夜が来て
眠ることも
自分には当たり前ではない。
1日1日が
乗り越えなきゃいけない
壁のように立ち塞がっていて
立ち向かってる自分。
諦めたら『死』を意味することが
わかってるから。
こんなに
好きな夫と子供達がいて
美味しいご飯が食べられて
任されてる家事があって
子育てがあって
そこそこ
やりがいも感じながら
生きてるけど
終わらせたくなるのは
なぜだろう。
病気のせいなのか。
自分の望んでいることなのか
病気の症状なのか、わからないでいる。
夫も生きることには
絶望的なところが共通していて
滅多に夫と自分の間で出来ない
共感ができるんだけど
夫がいるから
生きている。
夫も自分がいるから
生きていると言う。
相手のためにも
終わらせることは
良くないと思って
草団子を食べて
今日1日を凌ぐ。
こんなんで明日も
続いていくのだろう。
鬱っぽいから
明るい記事が書けないけど
今日はこの辺でおしまい。
そこそこ
コツコツやろう。
そこそこ
できることをやろう。