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「汝、星のごとく」を読んだ
先日本屋大賞をとった「汝、星のごとく」を読んだ(Audibleで)。
名前が難しい。
青埜櫂(あおの かい)、井上暁海(いのうえ あきみ)。
読めんわ・・・。Audibleで聞く分には問題ないが。
でも、なるほどねえ、こういうのが本屋大賞になるんだねえ。
★以下にはネタバレがあります
「厳しい家庭環境に生まれ育った二人の主人公が次第に惹かれ合う恋物語」といった、僕のようなオジサンが読んで面白いのだろうかという始まり方だったが、あれよあれよとネグレクト、ヤングケアラー、SNS、LGBTQ、宗教など、現代社会が課題とするテーマが紡ぎ出されていく。
人生は迷いと選択とすれ違いと後悔。ふわふわして、ぐらぐらして、いろんなしがらみがあって、何をどう決めたらいいのかわからない。自分で決めるしかないのだが、その自分というものもわからない。この物語が共感を呼ぶということは、自分というものがいかに不確実で不安定なものかを、皆が感じているということなのだろう。神を信じる僕にはそこから、帰るところが「自分」しかない人間の限界を見たりもするのだが。
とは言え、僕がこの本を読んで凄いと思ったのは実はそこではなく、全体の構成だ。エピローグを読み終えて思わず「ほーーっ」とため息が出る。
プロローグを読んで抱いた「何だそりゃ」という他人目線の印象(島の人と同じ)。それが、字面そのものは変わらないのに、ガラッと変わってしまったのだ。ああ、そうだったのかー白黒がカラーになったような、描写に意味が加わる満足感と納得感を味わう。
物事は、上っ面を見ただけではわからない。表面的なことは、そこに至る過去から連続している最後の結果に過ぎない。物事には背景がある。背景を知らないと、物事の意味はわからない。背景が無視され、その瞬間だけが切り取られるとき、物事は誤って理解、つまり誤解されてしまう。
誤解は簡単に生じる。表面だけ見ればよい。それはストーリーの中でも、ホテルの中で起きた二人のすれ違いを通して、また無責任な週刊誌やSNSを通して、描かれていたのではないか。
あえて最初で読者を誤解させ、それを最後で振り返らせる。フィクションの世界の主張を読者に実体験させるこれは、メタ構造ではないか。流石だ。
なるほどねえ、こういうのが本屋大賞になるんだねえ。